ビデオフレーミングシステム 2010/6/3
カイトフォト、これはファインダーを見ないで写すのが一般的である。しかし、私ははっきりと写真をイメージして写している。偶然写った写真では決してない。では、見えないファインダーでイメージする写真になるようにどのようにしてカメラを被写体に向けるか、というとこれは勘も混じる。写真からイメージした位置にカメラを持ってゆき、カメラの角度を調整してシャッターを切る。あるいは、インターバルの5秒以上を待つ。とはいえ、見て確かめられないし、正確にカメラを向けられるわけではなくて誤差もある。それも見込んでやや広い範囲を写すようにしたり、位置や角度も多少ずらして写すなど枚数を写すのだが、それでもほんの少し被写体が入っていなくて残念な思いをすることもある。ならばファインダを手元で見られるようにすればよいではないか、という意見も当然あるだろう。映像を電波などで飛ばすこと。これはそう難しくないではないか、それくらい出来る機材があるではないか、と言われそうである。これはそのとおりである。これはビデオフレーミングシステムとも呼ばれ、実は相当前から行われている。

ビデオフレーミングシステム、実は私は既に一度カイトフォトをはじめて間もない頃に試みている。フイルム一眼レフカメラに並べるようにして白黒のCCDカメラをおき、トランスミッタで手元の携帯テレビで映像を見てみた。正直なところ、正確なフレーミングは困難であった。カイトフォト、どうしても揺れがある。その中で映像を見て正確に向きを変えること。これは非常に難しい。風の変化による向きや位置の変化もあるのだから。そして、撮影となると操作が非常に難しい。特に風の変化があると、凧を見て糸を操る必要もある。その上で、手元のラジコンで小さなテレビ画像を見ながら向きを変え、シャッターを的確なタイミングで切る、というのは一人では非常に難しいと思う。風が安定していればもちろん可能だが、逆にそのようなときはカメラの真下に入るなど、ファインダーをみなくても正確なフレーミングはしやすい。

こういう状況なので、結局広角でやや広めに写して多少のトリミング写すのが確実、となる。また、当然重くなる。CCDカメラとトランスミッタで3〜400g程度にはなる。これは一眼レフを前提にしても非常に重い、と言える。その分凧が大きくなり機動性が損なわれるし、重くてカメラが揚らない、ということにもある。そして・・・当時はCCDカメラが白黒であり、カメラとの間で向きの多少のずれがあることも正確なフレーミングを困難にする理由となり、結局は止めてしまった。その間に慣れ、カメラの向きがある程度正確になったこともある。
しかし、時代が変わってきたと思う。今のデジタルカメラにはビデオ出力端子がある。これを使えば別途CCDカメラなどをつける必要はない。後はトランスミッタがあればよい。そして、非常に軽量な機器が出てきた。ビデオフレーミングシステム、よりやりやすくなっていると思う。

今回紹介したい機器、これは八日市でお会いしたドイツから来られた人の超軽量機材である。重さは100g程度だろうか? 大きさは一般的なコンパクトデジタルカメラを一回り大きくし薄くした程度である。この機材、電波で映像が飛ばせ、更に手元で十字形に配置したボタンでカメラの向きが変えらる。つまり、手元で映像を見ながら撮影が可能になる。レンズはズームではなく固定のようだ。この機材、非常に気になるが、おそらく画質は携帯電話内蔵カメラ程度かな? と思う。彼は、この機材を凧の糸目糸が集まったあたりにテープで固定していた。(不意の落下が気になるが・・・)


この機材を見てビデオフレーミングシステムに心が動いたことは事実である。再度使ってみたい、とも思った。が、この機材に乗り換えるか、と言われるとそうはしないと思う。一番の理由は画質である。現在私はコンパクトカメラ、その中では高画質のものを使っている。普通に写すには十分な画質があるが、やはり一眼レフとの間に画質の面で大きな開きがある。とはいえ一眼レフは重いのでその中間的な存在、つまりAPS-Cなどの大型の撮像素子を使った小型カメラへの移行を検討しているところである。だから、画質的に落ちる方向には行きたくはないのである。

ところで、日本ではカイトフォトでビデオフレーミングシステムを使っている人は非常に少ないと思う。その理由、広角レンズが好まれるから? とも思う。日本での先駆者の影響からか、魚眼レンズも多用されている。広角、更に魚眼となるとビデオフレーミングシステムの必要性は低い。それに対してヨーロッパなどでは標準以上のレンズが好まれるから、とも言われている。更に、風の違いもあると思う。強めで安定した風であれば少々重くてもビデオフレーミングシステムは有効である。その違いもあるかもしれない。そして・・・見せていただいた機材、レンズはかなり望遠寄りであった。画角は狭く、50mm相当以上、多分80mm相当位かな、とも思った。この画角ならビデオフレーミングは必須だろう。

この機材、使い方によっては面白いと思う。凧本体に固定するとカメラの安定の面では有利かもしれない。現状、多くの人はカメラを揚げ糸、凧の下20m程度に吊している。これは、糸を引くことで凧への重さの負担を減らせることも理由である。が、カメラが非常に軽いのなら、この位置にこだわらなくてもよいと思う。凧に搭載するなら、これはこれで面白い映像になるかもしれない。

風のよいとき・・・もう一度ビデオフレーミングを試みてもよいかな、と思い始めている。やるなら望遠空撮だろうか・・・。

カイトフォト、低空垂直撮影の話 2010/5/23
垂直撮影、カイトフォトでのカメラの向きの話である。
カイトフォトでカメラを水平、あるいは水平やや下に向けた場合、非常に広い範囲が写る。これは展望台などで見慣れた風景である。安心感のある風景であり、広い範囲が写るので、特定の被写体をぎりぎりで狙わないなら、比較的失敗の少ない撮影方法である。撮影場所も自由度が高い。
これに対して垂直、すなわちカメラを真下あるいはそれに近い角度に向けて写す。これは、他の方法では困難な撮影である。ラジコンヘリなら撮影は可能だけどローターの風の影響もあるだろうし、音もうるさい。そしてなにより、人を写すのは危険だと思う。バルーンの場合、糸が写るのを避ければ可能だと思う。
カイトフォトでは、比較的容易とはいえ、カメラを被写体の真上に正確に持ってゆくのは難しい。被写体をはずしたら本当に何も写っていない、としかいえない写真になってしまうなど失敗も非常に多い。そして、風の変化によっては危険も伴う。カメラの高度を維持できなくなるような風の変化があった場合、被写体の上に凧やカメラ、ラインが落下する可能性があるため、狙う被写体によっては危険である。たとえば高速道路の真上であれば、万一の際に人命にかかわる事故につながる。このような撮影はさすがにできない。
しかし、安全に注意するなら、難しいけれど面白い写真を写すことができるのが、垂直撮影である。真上から見る、というのは非常に新鮮な光景である。

最初に垂直撮影でカメラを被写体の真上に持ってゆく方法を少し書いてみよう。
まず、カメラはラインの下にある。これは間違いない。だから、揚げ手から見て凧やラインが被写体に重なるように揚げる位置を変えれば後は揚げ手から見て前後方向を合わせるのみ、となる。位置あわせの一例は助手を使うことである。助手は被写体の横などに立ち、カメラの位置を前後で示す。それに応じて前後に移動あるいは糸の長さを調整する。これなら正確に真上にもってゆくことが可能になる。ただし、被写体に助手が写り込んでしまう可能性もあるので注意が要る。この場合、真横でなくても揚げ手から離れれば位置はつかみやすい。
もうひとつ、低高度で至近の日中に限られるが、影を見る方法がある。揚げ手からカメラの影が見える場合、被写体の影の真上にカメラの影がくるように調整することで真上に持ってゆくことができる。もちろん、方向はラインで合わせるのが大前提である。ただ、影で確認できる状況は比較的限られている。
これらが困難であれば・・・あとは勘で調整することになる。シャッターを切りながらゆっくり被写体に向かって移動する、低高度であれば勘であっても比較的成功率は高いと思う。

次に真下に向けた場合の写る範囲である。28mm相当の広角レンズ程度であれば、横方向で高度の5割くらいを目安にする良いと思う。つまり、カメラの高度が30mであれば、15m位の幅が写る、という感じである。実際にはもう少し広い範囲が写るが、多少トリミングすることも多いのでこの範囲で狙っておけばよい。これは広くて狭い、微妙な範囲である。人を狙うには広く、建物などを狙うには狭い。特に人ひとりを写すにはかなり広い。かといって、望遠レンズにすると正確に向けるのが難しいので、写る範囲を意識しながら低空で狙う方がよいだろう。カメラを中心にそこから左右に25度位の斜め線をイメージすればよいだろう。

ここで写真の例を紹介しよう。今年の大門の凧祭り、初日は比較的凧も少なく、被写体も凧仲間中心で狙いやすかったので真上から写してみた。人を写すとこんな感じ、という例である。

カイトフライヤー


カイトフライヤーを写したのは高度は5m位かと思う。被写体も凧を揚げていて、角度が同じくらいだったので私の空撮用凧のテールがラインに重なりそうなぎりぎりの位置であり、凧にライン、カメラの高度と位置、頻繁に確認しながらの撮影だった。風の変化もあるので何度も凧が真上になるように調整を繰り返した。これは影が大いに参考になった。


凧を用意する人


もう一例、これは凧を用意する人を写している。範囲が広いので高度はやや高く、だいたい凧の真上であれば良いのでこれは比較的写しやすかった。風の変化もあって位置の固定が難しかったが、これだけ広いと成功率も高くなりそうだ。花見風景など写すのもこの位の高度が適当かな、と思う。

真上からの低空撮影、これはカイトフォト独特だと思う。
しかし、被写体の真上である、ということはカイトフォトでも危険があることを十分認識して写さなくてはならない。機材の落下や凧の落下には注意しなくてはならない。私の撮影機材は実績があり、カメラ等の落下防止策もとっている。
低空垂直撮影、面白い写真になるが、くれぐれも危険のないように・・・。

喧嘩凧、引きと緩めの妙・・・ 2010/5/20
小型の喧嘩凧、これは普通の凧同様、一本の揚げ糸だけど自由自在に操れる凧である。長崎のハタや田原凧、韓国凧などがある。また、海外ではインドのインディアンファイターがあり、類似の凧が東南アジアやネパールやアメリカなどでも作られている。

小型の喧嘩凧、揚がっているのを見ると、たとえば高い位置から反転して急降下し、地面すれすれで再上昇、あるいは右に左にと自由自在に飛び回る。普通の凧のイメージとはずいぶん違う。同じように操れる凧に、いわゆるスポーツカイトがあるが、これは揚げ糸が2本だったり4本だったりする。上げ糸が2本あればその長さの調整で操れることはイメージできる。しかし、揚げ糸が1本では? 操るイメージとはほどとおい。どのように操るのだろうか?
揚げ糸が1本で出来ること。これは引くと緩める、その2つだけである。でも、普通の凧では引けば上げるけれど緩めてもゆっくり下がるだけである。操ることはできそうもない。では喧嘩凧では? これは、喧嘩凧の2つの特性、「緩めると不安定」になり「引けば安定して直進」する、これがあるから操れるのである。私の凧、インディアンファイター系であるが、形はやや横長のダイヤモンド型に近く、骨は縦横に2本、横の骨は大きく湾曲している。糸目は2本ないし間隔の狭い3本。糸目中心はほぼ重心の位置。凧としては不安定であり、地上から上げようとしてもくるくる回ってしまう。この凧がなぜ揚がるか? それはもうひとつの特性「引けば安定して直進」があるからである。インディアンファイター、引くと横骨は後ろに反り、横骨の下だけが凹んで上への力が働く。つまり、安定して直進するのである。
操縦、糸を送って緩め、凧が不安定になって向きを変え、動かしたいところに向く直前に引く。これにより、自在に操縦できるのである。だから、喧嘩凧の糸巻きは緩めと引きがすばやく行えるように出来ている。実際に凧を操るとき、この引きと緩めが無意識にすばやく行えないと操れない。

さて、喧嘩凧、引きと緩めの原則は既に紹介したとおりである。が・・・実際にはとんでもない動きをする。中途半端に引くと凧は弧を描く。また、糸を弾くような瞬間的な引きと緩めで、凧も弾かれたようにくるりと瞬間的に回ったりする。なぜこんな動きが? と思うけど実際にそのように意図して動いてしまうのだから不思議である。もっとも、動かす方も”こう動かしたいから糸をこう引いて・・・”なんて考えて操作しているのではない。とっさに手が動いてしまうのである。まさに引きと緩めの妙、ということになるのだろう。

ところで・・・喧嘩凧の聖地ともいえる長崎でのことを書いておこう。
小川ハタ店を訪ねたとき、ちょうど観光客向けに実演をやっていた。基本的な操作などを説明、観光客に糸を持たせていた。”うまいうまい・・・”などとほめるなか、私がそっと糸を持ったとき、言葉が変わった。実は、私はハタは初めてみたいなものである。が、ちゃんと動いてくれた。私に対しては”うまい”などとはもういわなかったと思う。多分、糸の引きと緩めに迷いがなく緩めるときには一気に送りすばやく引くからだろう。観光客はこわごわと引き、緩めてしまう。中途半端になってしまう。それとは全く違うからだろう。同じこと、私が他のカイトフライヤーでも感じることである。

カイトフォト、撮ることが目的になってはいけない・・・ 2010/5/13
デジタルカメラが普及し、以前と比べると簡易空撮が非常にやりやすくなった。
デジタルコンパクトカメラ、フイルムコンパクトカメラに比べて高画質で軽い。そして、撮影枚数が非常に多くなっている。空撮に便利なインターバルタイマ機能を持つものも増えてきている。これは、簡易空撮に非常に便利である。簡易空撮の敷居、以前に比べると低くなったと思う。そして、デジタルカメラならでは利点、動画も撮ることができる、というのもある。デジタルビデオカメラに比べると簡易動画的ではあるが、カメラ自体非常に軽いので利点は大きい。

このこともあって、カイトフォトを含めた空撮事例が増えてきていると思う。たとえばラジコンヘリコプターでは、足の部位分を少し大きくしてそこにカメラを載せるだけでも空撮可能である。凧と違って機体の姿勢を変えられるのでカメラは固定でも撮影の自由度は高い。カイトフォトにしても、カメラを糸で釣る程度の構造であればほとんどカメラの重さだけなので、小型の凧でも十分に揚げられるようになってきている。風船を使うにしても重量が軽いため、より小さな風船での撮影が可能になってきている。こういうこともあって、簡易空撮を試みる例が増えてきていると思う。これは非常に嬉しいことではある。

しかし、その簡易空撮の写真である。Webなどで多数紹介されている。カイトフォトのほか、ラジコンヘリコプターを利用した例も多い。中にはすばらしい写真もあり、大いに刺激になる。だけど、その一方で感じたことのひとつがタイトルにある、”撮影自体が目的になっているのでは?” である。
簡易空撮、技術的にも工夫が必要で、多くの人は独自に機器等を作成して撮影している。特にカメラの向きをコントロールするには、軽量小型の機器を作る必要があり、技術力も工作力も要る。そして・・・空撮をする人が理系だから? ”こんな装置を作って空撮をやった。すごいだろう”的な記事がある。
これはこれでよいのだが、やはりその上を目指すべきだと思う。つまり写真を撮ることが目的ではなく、良い写真を撮ることを目的にしなくてはならないと思う。つまり、カイトフォトは単なる手段である。もちろん、カイトフォトを使うことで写真の撮影範囲は一歩広がる。その写真は今までに目にしなかった新鮮なものである。写真撮影そのものが面白くなる。が、それで終わるのではなく、写真そのものが評価されなくては意味がないと思う。つまり・・・
”これ、良い写真だな・・・。でも、どうやって撮ったのだろう?”そう思ってもらえるのが良いカイトフォト写真だと思う。では、私はそうなってるか? これはまだまだ、と答えるしかないのだが・・・。だけど、良い写真を撮る。これを心がけて写している。

カイトフォト、被写体はどう狙う? 2010/5/11
カイトフォト、私はファインダーは一切見ないで被写体を狙っている。カメラの向きなどは勘で調整することになる。これでちゃんと写せるのか? という疑問もあると思う。 で、私が聞かれたなら、”失敗も多いけど大体狙える”と答える。

ここで、私の写し方を少し書いてみよう。まず被写体探しであるが、これは普通の写真撮影と変わることはない。ただ、当然カイトフォト向きの被写体はあるわけで、それは意識する。続いて撮影場所探しであるが、このとき凧を揚げやすい場所、となる。公園、河川敷、海岸、グランドなど安全で障害物のない場所が望ましい。風の良し悪し、障害物の有無も重要である。更に危険性も考慮する必要がある。たとえば高速道路や交通量の多い道路、鉄道などが近い場合、危険がないように揚げる必要がある。具体的には凧が落ちても支障がないような長さに糸を押さえ、また万一糸が切れても凧が手前に落ちるような位置で揚げる、といった感じである。風が悪いと特に慎重に行う。
ここで、被写体をどのような角度から写せば最も良いか考える。角度、光の当たり方、背景・・・。普通の写真となんら変わることはない。ただ、実際にファインダーを覗いて確認はできないので、仕上がりをイメージすることになる。次に、その場所にカメラを持ってゆけるかを考える。風向き、障害物などの都合でそれが無理なら、可能な範囲で最も良い位置を探す。このときも仕上がりをイメージして考えることはいうまでもない。もっとも、実際のところは揚げられる場所が限られるので、そこから一番良い写真は、と考えることも多い。

次に撮影である。当然、カメラをどうやって正確に被写体に向けるか、がポイントである。揚げる位置や上がる角度を考えながら移動する。
私の場合、ラジコン撮影なので地上からカメラの方向と上下角を調整できる。だから、思う位置にカメラをもって行きにくい場合は角度で多少の調整を行う。また、風の変化もあるので、動く被写体などタイミングが重要な場合はカメラを被写体に向くように調整しながらシャッターを切るようにする。ラジコンでのカメラの動きは結構早く、ある程度の微調整も可能である。
カメラを正確に向ける、これは慣れによる推測である。風がよければ揚げ糸をアンカーに固定し、カメラの真下に入り、向きを確かめながら調整することができる。この場合、まあ正確に被写体に向けることができる。そうでない場合、被写体の位置とカメラの位置を見比べて操作することになる。当然誤差はあるが、だいたい調整は可能である。
ただ、上下角は結構誤差が大きい。傾向として角度を大きくしすぎてしまう。その結果、被写体の手前が写ってしまうことが多い。これは意識して調整し、更に角度を変えて写すのだが、それでも手前気味になってしまう。高さが低めのときは一度カメラを下ろして確認することもあるし、結果を見て再撮影、ということもある。

続いてカメラを真下に向ける場合である。これは角度の調整はいらないが、被写体の真上に持ってゆかなくてはならない。この場合、カメラは揚げ糸の下にあるのだから、揚げ糸が被写体と重なるようにすれば方向は一致するこれは揚げる位置を移動することで行う。後は被写体までの距離である。もし手伝ってくれる人がいれば、横に立って位置を教えてもらう。手前、奥を手などで示してもらいながら微調整する。これは確実である。が、それが無理な場合、多少前後に動いて枚数を写して撮影する。

以上が私の写し方である。これである程度イメージした写真になるが、ここは風任せのカイトフォト。いきなりカメラの向きや位置が変わる。失敗になることもあるけど意外な写真になることもある。そして、仕上がりをあまりイメージしないで写すこともある。高い高度の撮影や、直接見通しが利かない場合などである。海岸沿いのゴルフ場ではどんな様子かまったく予想できないまま写したし、水平を高度を上げて写すときはどこまで見えるかはわからない。真下に向けた場合でも、高い高度では写る範囲はちょっとイメージしにくい。そして・・・水面に光が反射するなど、予想外の写真になることもある。これはこれで面白いと思っている。

カイトフォト、私は心の目で見て写真を写している。

空撮撮り鉄 2010/5/01
空撮、多くの場合はシャッタータイミングを重視しない撮影が多い。これは、カメラを被写体に正確に向けるのが難しいこともあるし、インターバルタイマを使った撮影が多いこともある。ファインダーを覗いてシャッターを切ることができない所以だろうか? だから、建物や風景など動かないものが中心である。

しかし、今回カイトフォトで撮り鉄をやってみた。鉄道車両を写すので、当たり前だけど列車が来たときにタイミングよくシャッターを切らないとだめである。だから、私の5秒間隔のインターバルタイマでは非常に厳しい。鉄道相手で5秒は非常に長い。もし1秒間隔ができればよいのだが、それでは撮影可能時間が短くなってしまう。ここはやはりラジコン式でシャッタータイミングを狙って写す必要がある。

さて、鉄道相手の空撮、これは安全確保が非常に重要になる。鉄道の運行に支障があるようなことは絶対に避けなくてはいけない。だから、当然車両のアップではなく、風景の中で鉄道を入れることになる。今回写したのは福井県のローカル私鉄、えちぜん鉄道である。そして、凧揚げ可能な場所として選んだのは河川敷の堤防である。最初にこの場所に着いたときは無風。で、しばらく別の場所に行って戻ったときは強風で風が乱れていた。凧は変化し、安定するタイミングが限られている。そのとき列車がいればよいのだが、そうはいかない。ますますシャッタータイミングが大切になる。

カイトフォト、風の変化がある中での撮り鉄となるとラジコン撮影が唯一の方法、というのを実感した。タイミングのほか、方向と角度が変化する。固定式のインターバルタイマ撮影では非常に難しい。しかし・・・ラジコン式でも非常に難しい、というのが正直なところである。車両を追ってカメラの向きを変え、シャッターを切る。その間、風が変化して勝手にカメラの向きが変わる。ローカル線なので上下あわせて1時間に4本程度しかチャンスはない。駅があるので15秒ほど停車してくれるし速度は遅いのだが、それでも難しかった。車両を捉えられた写真はごくわずかであった。事前にためし撮りをして、上下角の確認をしたのに揺れて変わってしまうのも難しかった。
それでも、これだけ写せたのはやはりラジコン式だからだろう。だけど・・・疲れた、というのが正直なところである。


カイトフォト、成功率の低下? 2010/4/25
今日も続けて空撮した。風は非常に不安定で、強弱のほか左右に変化したりした。上空に上げれば左右の安定はよかったのだが、強弱はやはりあり、高度が維持できなくなってしまう。それでも数回あげてカメラのカウンタを見ると110枚位進んでいた。
110枚といえばフイルム3本分。これだけあれば何枚か・・・と思ったが成功率は低く、1枚2枚といった感じだった。成功率の低さ、高度が低すぎることもあるが、ブレの大きな写真も目立った。成功率はものすごく低いことになる。

理由、デジタルではインターバルタイマで写しているからだと思う。インターバルタイマは5秒に設定しているので、写したい方向に5秒以上向けていればよい。フイルムのときはラジコン操作でシャッターを切っていた。これに対してインターバルタイマは微妙な凧の操作が必要なときには糸の操作に専念できるのでありがたい。が、この成功率の低さである。この理由、ラジコン操作では、カメラが安定した瞬間にシャッターをくることが出来る。しかし、インターバルタイマではカメラの状態にかかわらずシャッターを切る。だからブレが目立ったのだろう。
私の機材、ラジコン式のシャッターリリース機構がついている。ラジコン式シャッターリリース、もう一度見直したほうがよいかも・・・。

この日の撮影場所、金沢市民芸術村です。

この日、好天で多くの家族などが芝生広場で遊んでいました。


足元の模様は? 2010/4/24
松任海浜公園の海岸で空撮してきました。
砂浜で揚げたのですが、海岸にはなにやらタイルで何かあるのは分かっていました。きちんとした四角形でもなく、不思議なカーブ? 何かの跡かな、とあまり気にしていませんでした。
で、帰宅後、写真を確かめていると何やら模様が・・・。

まずは地上から.
なにか模様のようなものが見えますね


少し高度を上げると何やら尻尾のような?


これは波?


その先にはクジラが・・・。


それにしても、これだけの大きな絵、多分地上からでは分からないでしょうね。





久々の空撮 2010/4/18


昨日書いた、イギリスのカイトフォトグラファーの機材です。
カメラは固定式。揚げ糸にロッドをぶら下げるような感じでぶら下げます。特徴は帆のような三角布。これは安定用だそうです。写真などでは見たことありましたが、実物は初めてでした。
凧はデルタ。白色ですが、縁取りやキールが赤でした。弧を描くような感じで美しい凧でした。この日、風の変化がありましたが、このテールは有効に働いていました。

久々の空撮 2010/4/17

しばらく空撮から遠ざかっていました。これではカイトフォトグラファーであることを忘れ去られてしまいますね。機材の不調があった、ということもありましたが、イギリスからカイトフォトグラファーが北陸に、ということで急ぎ機材を点検してみたところ、単なる軸のずれではなく、サーボモータ内のギアが割れていることがわかりました。幸い同型のサーボの手持ちがあったのですぐに交換、復活しました。

久々の空撮、福井県のエンゼルランドふくいです。ここは木々があるけれど芝生広場があります。風に変化があり、時々凧が揚げ手より風上に行ってしまったり弱まって急に高度を落としたりするので油断できません。高度をもう少し上げるべきでしたね。もっと写さなくては・・・。
嫁に来た凧 2010/2/21
凧、人にあげることもある。そんなとき、大事にしてほしい、という意味も込めて”嫁に出す”と言ったこともある。私の凧、いくつか海外も含めて嫁に出した。もっとも、私の場合数は少ない。切抜凧などは揚がりが悪い、ということもあってのことである。それとは逆に、貰った凧もある。で、つい最近嫁に来たのがこの凧である。一宮の凧あげ祭りのことである。

一宮は微風だったが、今日は晴天で適度に風もある、ということで早速いつもの公園で揚げてみた。しばらく雪が降っていた後の晴れ間だから? この公園にしては結構人が多かった。グランドゴルフをしている人がいて場所をとっているからかもしれない。今日は初めてなので場所を慎重に選んだのだか、小さな子供がよちよち歩きて寄ってきてしまった。これは危険なので離れるのを待って揚げようとしたが、ちょっと風が弱くなった。しばし待って揚げるとふわりと上空へ。風が適度だからか引きも程よく揚がってくれる。素姓のよさを感じる凧である。
周りでもみてくれる人がいて、携帯などで写真を撮っている人も。もっと引きを楽しみたいと思うが、ここはちょっと風が乱れる。私が揚げるには十分だが、他の人では・・・。様子が分かったことだし、早めに降ろすことにした。いつもより人が多いのが気になってのことでもある。

凧を畳むのも初めて・・・だけど、なんとか袋に収まってくれた。
新しく嫁に来た凧、金沢に水になじんでくれるといいな。



フライパン凧 2010/1/11
年が明けて初めて凧揚げが可能な休日となった。年末年始は雪だったので凧は無理。晴れていても地面に雪があると揚げられない。幸い今日は曇りながら適度に風があり、昨日までの雨も小雨程度だったので排水の良い公園はほぼ乾いていた。

さて、最初に揚げたのは昨年から作っていた新凧の一つ、フライパンである。見た目の通り丸い形であり柄がついている。丸い凧は安定させにくいのに、フライパンに合わせて真ん中をへこませていたため、安定はしない。これは反りが逆になっているのと同じことなのだから、凧としては安定させられないのである。だから、この凧も大きな尻尾をつけている。が、それでも安定は足りない。だけど偶然、くぼんでいる真ん中を引っ張ったら安定してしまったのである。フライパンとしては形がおかしいのだが、揚がる方を優先しようか、とも思った。

なお、もう少し形に手を入れる予定である。ますますフライパンらしくなるはず?
そして、新MauBeeはほぼ形になってきた。更に2つ、準備中である。


ピンバッジ 2009/2/18

写真は凧に関するピンバッジである。
これには大きく分けて2種類ある。ひとつは凧揚げ大会のもの、もう一つは凧の団体のもの、である。これを集めている人は結構いて、凧揚げ用の服、あるいは帽子に多数つけている人がいる。私の持っている数、まだ少ない方だろう。
ではどうやって集めるか? ひとつは凧揚げの大会に参加することである。大会の中には記念品としてピンバッジを作っているところが少なくない。こういう大会に申し込みして参加すると、記念品としてピンバッジがもらえる。大会の会場で売っていることもある。形は毎年同じであっても色が違っていたりする。
もうひとつ、凧の会の作っているものは、その会の人から貰うことになる。何回かお会いしていると自然と貰えることも少なくない。(何かお渡ししていることも少なくないが・・・) どちらにしても、ピンバッジが多い、ということはそれだけ凧のイベントなどで活動していることになる。私の場合、凧の大会に参加用のユニフォームは持っていないので、当日のみ、服に付けることもあるが、自然とこういうコレクションになってしまった。中には珍しいものもあるようで、箱の蓋にあるものは限定品のようで、通し番号が書いてある。これは海外のものである。また、海外のカイトフォト団体のものもある。一部は管理が悪くてどなたから頂いたのか分からないものもある。だけど、このように大切に保管している。




大凧と子供の凧 2006/9/28

先週、豊橋の凧揚げ大会に行った。

凧揚げ大会など、凧のイベントでの華、やはり連凧と大凧だろう。大会の両横綱という感じである。
連凧、非常に華やかであるが、その一方で他の凧と絡むと厄介な存在である。揚げ糸なら軽い絡みなら地上から何とかなる。しかし、連凧は糸の途中に凧があるので糸が滑らないので、絡むと一度降ろすしかない。でも、連凧を揚げる人はベテランも多く、うまく邪魔にならないように揚げている。とはいえ、風が変わったりすると絡むことはどうしてもある。

さて、もう一つの大凧である。
大凧、高く上がってしまえば、そして安定していれば他の凧と絡むことはない。悠然としている姿は横綱の貫禄を感じるものがある。しかし、調整が悪くて動き回ったり、また揚げるときに他の凧と絡むことがある。これは小さな凧でも同じだが、大凧なので小さな凧を巻き込むと簡単に壊してしまう。
私も一度、凧が揚がっている下で揚げ始められ、危うくかわしたことがあった。そのままなら確実にぶつかっている。相手は6畳クラスの凧だが、こちらもカイトフォト用の凧。絡んだら面倒なことになってたことだろう。このときはもっと注意して欲しい、と文句を言った。
とはいえ、凧の経験者同士なら、凧が壊れたとしてもお互いに注意しての結果なら文句は言わない。他の凧の動きを読んでよけるのも技術のうちだと思う。
しかし、相手が子供の凧だったら。これはまた別の話である。
子供の凧揚げ、凧の糸が多い中を走り回ったりすることもある。これは注意するが、その一方できちんと凧を揚げている子供も少なくない。問題はそういう凧が大凧と絡んでしまったときである。豊橋でも、子供の凧がひとつ、大凧に絡まれて糸ごと持ってゆかれていた。そのときの子供の悲しそうな顔、今でも思い出す。

凧の経験者なら、凧は多くの中の一つである。もちろん特別愛着のあるものもあるが、そういうものは絡まれる危険があるところでは揚げない。
だが、子供の凧は多くの場合、それが唯一である。そして、そのイベントで作ったものも少なくない。そうなると、唯一の品である。子供の凧に絡むこと、これは避けなくてはならない。凧への楽しみを台無しにしてしまう。もちろん、大凧のそばで揚げないなど、必要な注意はしなくてはならない。しかし、大凧の側もやはり注意しなくてはならないと思う。

喧嘩凧と六角バトル 2006/5/8

私は普段、喧嘩凧に使うような小型の凧を飛ばして楽しんでいる。喧嘩凧というのは糸の切りあいのことであるが、私は実際に糸を切りあったことはない。つまりは実戦経験がない、ということになる。剣道で素振りばかりしているようなもの、ともいえる。ただ、喧嘩凧では、凧を思うように操ること自体が難しいのだが、その点はある程度マスターしているともいえる。

さて、日本の凧の会の春季/秋季大会では、六角バトルというのがある。これは、六角凧を使った喧嘩凧風のイベントである。喧嘩凧風、と書いたのは、非常に太い糸を使うので糸が切れないから、である。だから、糸を切るよりは他の凧を落とす、というのが勝敗になる。一般に行われている中では、比較的参加しやすい喧嘩凧になる。今回の内灘でも行われていて、私も参加してみた。

六角凧、これは実は非常に安定のよい凧である。だから、たとえばハタや田原凧のような動きの早い喧嘩凧にはならない。糸を引いても送っても、上下に動くのみで左右には動かせない。揚げ手が動いコントロールする程度で動きは遅い。では、喧嘩凧としての特性を持つ六角凧を作ったら? 糸を切らないにしても、たとえば凧の上部を引っ掛ければバランスを崩して降下させられる。それに、逃げ足も速い・・・。そう思って作ったのがCubicである。
普通の六角凧はやや縦長で、骨は横に2本と縦に1本入れる。しかし、Cubicは下の骨が大きく湾曲していて、引くことで安定度を増すように作ってある。そして、縦横が同じとし、全体で安定性も悪くしてある。(もっとも、縦横を同じとすることでルービックキューブのデザインができたのだけど・・・) Cubicの動き、普通の喧嘩凧ほど良くはない。鈍いのは仕方ないが、急降下させると回復できずに落ちてしまうこともある。これでは自滅である。それを防ぐために安定を良くしながらある程度の操作性を持たせるように調整を行った・・・。
なかなか思うようにはならない、調整は最後まで決まらなかったが、それでもある程度のところまではできた。少なくとも、30秒で自滅、なんてことにはならない程度にはなっている。

さて、バトル前、規定の糸を受け取って試し揚げをする。降下して再上昇をやってみる。まあまあの動きである。左右にも動かして見るが、これは軽快。何とかなると思う。で、横から声が・・・。
”あれが六角の動きか・・・?”
ちょっと気持ちが良い。

いざ、合戦。
実は、あっさり負けてしまった。
開始後、早速どれかに絡ませようと仕掛け、様子を見たのだが、その直後、一人、他の凧の揚げ糸を完全に絡めとる戦術にでた人がいた。そうなると、喧嘩凧仕立ての六角は弱い。もともと不安定な凧をコントロールして無理やり揚げているのである。コントロールをやめたらちょっとした風の変化ですぐにひっくり返ってしまう。
そのコントロールは、糸の引きと送りしかない。そして、的確なタイミングで正確に行わなくてはならない。糸が絡んでしまったのではそれは出来ない。不自由ながらもコントロールしてきたけど、絡みがきつくなったらもうだめである。かくして、コントロールを失ったCubicは、大きな円を描きながら最初に落下した。なんだか、剣術で一騎打ちを仕掛けようとしたら、槍で囲まれて動けなくされてしまったような気持ちである。

最初に仕掛けたときにそのまま様子を見ないでしつこく追い回し、落とすべきだったなぁ・・・。
そうすれば、怖がって近づく凧が減ったかも。
というのが私の、敗北の弁である。

MaruBee凧、その後  2005/9/14

MaruBee凧、これは金沢21世紀美術館のマークの凧であり、最初に金沢21世紀美術館で揚げたことは”まるびぃ凧、まるびぃで揚げる”にて書いた。そして、その後何回か21世紀美術館の前で揚げた。そのことについて書こうと思う。

21世紀美術館で揚げるのは、週末の昼ごろ。見学者も比較的多い時間である。何回か揚げたが、それでもこういう時間にこういう場所で凧を揚げるのは、やはり勇気がいる。ここは、公園的になっているとはいえ狭く、木も多いし、人通りも激しい。美術館の正面であり、常識的に凧を揚げやすい雰囲気の場所ではない。だから、揚げたい気持ちもあるけれど、どこかためらう気持ちもでてしまう。一般の人が多く、なおかつ凧を揚げると注目を集める・・・。まるで大道芸みたいな雰囲気である。私みたいな小心者にはとても勇気がいる。

しかし、いざ凧を手にしてしまえばもう退けない。そうなると度胸が据わってしまうというか、気分的に普通の凧揚げと変わらなくなる。糸を繋いで風を見て揚げるだけである。
揚げるのは普通? でも、人目がものすごく多いこと、そして、よく話しかけられること。これは変わらない。他の場所での凧揚げとは全然違う。
普通は凧を揚げない場所でもあり、また揚げるのがMaruBee凧だから、ということもある。MaruBee、美術館のマークであり、それをわかっている人が多いからだろう。多くの人に見られて揚げ、また興味を持って話しかけれられる。これは、揚げていてやはり楽しい。

さて、その後の変化で一番うれしいこと。
それは、MaruBee凧が美術館関係者の一部に知られてきたことである。2度目に揚げたとき、21世紀美術館の友の会の人が写真を撮り、館内で広まったそうだ。そして、窓の外にMaruBee凧が上がっているのを目にして出てきた、という方もいた。こんなところで揚げてよいのか、と思いながら揚げ始めたMaruBee凧、美術館の人にも好意的に受け止められているようでとてもうれしい。そうなると、また揚げたくなる。

今のMaruBee凧、直径が約1mである。形としては良いが、凧としてはちょっと小さい。
インパクトがいまひとつ・・・。1.6m程度のものも作りたくなってきた。


注意:
私は金沢21世紀美術館の前で凧を揚げますが、この場所、条件が非常に悪く、常識的には凧は揚げられない場所です。
風がひどく乱れ、360度どこから風が吹くかわからず、そして風はいきなり止み、強くなります。
更に障害物も多数あり、人も多い場所です。
このような場所で凧を揚げるには、障害物との間合いを的確に判断でき、風が読め、また不測の事態にも凧をコントロールして対処できる技術が必要です。
普通の人には凧は揚げられない場所であることをご理解ください。

越中だいもん凧祭りにて 2005/5/16

今年の大門での凧祭り、残念ながら私の新しい凧には風が強すぎた。仕方ないので新しい凧は披露するのみで、ほとんど空には揚げなかった。朝の、弱めの風の時には揚がったのだが、見ている人は少ないだろう。
新しい凧は無理だったが・・・今年の祭りはとてもうれしいことが3つもあった。そのことをちょっと書いてみたい。

まず最初。今年揚げた凧は?
初日は公園でよくやる、長い尻尾の喧嘩凧である。観客はフィールドには入れないので、逆に私が観客に近い位置、見学場所ぎりぎりに場所をとった。一番人の多い、理想の場所には別の凧があるので少し外れるがそれは仕方ない。初日なので凧はまだ少ない。それでも、凧の間を縫うような感じで飛ばさなくてはならない。おまけに尻尾の長さは30mある。それが動くのだから、ほかの凧や旗、テントに絡まないように飛ばす必要がある。ラインももちろん、絡んではいけない。ラインから尻尾の先まで、50mから80m。その間の障害物を見極めないと揚げられない。更に、フィールド内に入る人もいる。ぶつかったり、ラインが引っかかったりしないように・・・。一瞬たりとも気が抜けない。昨年まではまだ怖くて出来なかったのだ。苦労はしたが、その甲斐はあり、お客の反応はよかった。見てくれているとわかると凧の動きも良い。時には客席に飛び込むように低く飛ばしたりもした。実際には高度が2m以上あるのでぶつかりはしないのだが、おもわずよけようとする動きも見られた。また、フィールドの外、観客の上でも凧を飛ばした。万一お客にぶつかっても小さな凧だし、飛び出した骨はない。更に尻尾がスピードを抑えてくれるのでより安全である。
この、凧の新体操、評判だった。凧の祭りで普通に揚げていてもお客さんから声を掛けられることは少ない。だけど、今回はいろいろと聞かれた。
なぜあんなに凧が飛び回るのか・・・
尻尾は何か・・・
どのくらい練習がいるのか・・・
お客からの声、これは嬉しかった。凧の新しい魅力、少しは感じてもらえたかな、とも思う。

2つ目。
翌日、私の新しい凧。MaruBeeを出したところ、一番素直な声を掛けれくれたのは、フランスからの人だった。
Crazy kite!"とても揚がるとは思えなかったのだろう。まあ当然のことと思う。Crazy kite。信じられないような凧、という褒め言葉と私は勝手に理解った。そもそも最初の帯凧を作ったとき、作った私も最初は揚がるとは思っていなかったのだから、ある意味当然のことだろう。
このMaruBee、微風用なので日中は揚げられなかったが、FrameWork(EDOKAKU)はきれいに揚がった。これも風を受ける部分が少ない凧。それが揚がるのだから驚いたのだろう。祭りの終わりごろ、彼の近くに寄ったときに話しかけてきた。言われたことの何分の一も理解できていないと思うが、私の凧に対するそうとうのほめ言葉だったように感じた。
創造性のある凧。そういってくれたように思う。ある意味。それだけにとても嬉しかった。

最後は、これは自分のことではない。
この祭りで最高の賞をとった人・・・。これは個人だったが、とても精力的に凧を揚げていた人だった。たった一人でいくつもの大凧を揚げる。それも、長い時間・・・。これは大変なことである。私も単独で凧を揚げることが多いだけにこれはよくわかる。こういう人にこそ賞を、と思っていたのだが、会場の隅っこで揚げていたので、審査員にどれだけ見えたかわからない。そんな中での受賞なので、自分のこと以上に嬉しかった。
見る人は見ている。これもまた、嬉しいことだった。

なんだか、凧への意欲、とても高めてくれた祭りだった。

喧嘩凧のライン(揚げ糸) 2005/5/4

凧にとってのライン(揚げ糸)、これはとても重要なものである。
揚げ糸、私は”ライン”と読んでいる。これは主にスポーツカイトなどの人が呼ぶ呼び方であるが、洋凧の人もこう呼ぶ人が多いので、ここではライン、と書くことにする。ついでに凧を揚げる人。ここではカイト・フライヤーと書くことにする。これは、適当な日本語がないから、である、”凧を揚げる人”ではちょっと冗長な感じがするし、凧師というと私のようなものには重過ぎる。”凧屋”なんて言う人もいるが、これでは商売と間違われそうである。ということで、これもカタカナになるが、カイト・フライヤーと書くことにする。

さて、ラインである。
これは、凧の揚力を得るためになくてはならないものである。飛行機のエンジンにも相当する。そして、喧嘩凧の場合は、コントロールするためにも重要である。これは、同じく飛行機で言えば、”舵”を動かすことにも相当する。凧がラインを失う、というのは、飛行機で言えば舵が聞かなくなり、同時にエンジンも止まったようなものである。フウセンは糸が切れてもフウセンであるが、ラインの切れた凧はもはや凧ではない。カイト・フライヤーにとってのライン、特に喧嘩凧を扱うものにとってのラインは、その良し悪しが凧の生命を左右するほどのものである。傷はもちろん、捩れもないように糸巻きに巻く。これは、凧のコントロールにとって、とても重要なものである。大きな捩れが生じると伸びが悪くなり、コントロールが一瞬遅れる。その一瞬が喧嘩凧にとっては操作の遅れや狂いにつながる。これは、特に動きの早い喧嘩凧には命取りである。
また、カイトフォトに使うライン。これは重いカメラを支える上でも重要である。切断は、凧を失うと同時に、重いカメラの落下を意味する。カメラの損出だけではなく、被写体への被害もありうる。
そういう意味で、ラインは凧よりも大切なのである。

実は今日、うかつにラインを人に貸したこと、後悔している。
凧が他の凧に絡んだ。凧のイベントではこれはまあ、しょうがないことである。私もたまにやってしまう。だけど・・・絡んだことよりも、それ以前の扱いの関係で糸が捩れ、そのためにひどくもつれてしまった。私が普通に扱っていれば、捩れはほとんどない。
あまりのひどさに、ラインをあきらめようかとも思った。30mほど短くなるが、残りは使える。が・・・このライン、数え切れないほど凧を揚げ、コントロールしてきてくれたものである。自分のミスなら、大いに後悔すればそれであきらめもつく。だけど・・・不適切な扱いのために捨ててしまうのはあまりのも残念である。それまでのラインの働きを思うと、とても切り捨てられなかった。捩れのひどいライン、痛々しさも感じながら、このままとても捨てられない。なんどかあきらめようと思いながらも、なんとか回復した。
ラインは凧より大切。特に喧嘩凧にとっては凧の運命も左右するのがラインである。今回、それを再認識した。

ライン、もつれを取った後、一度軽く伸ばしてねじれを取り、その後で改めて喧嘩凧を揚げた。揚げて巻くことで捩れは完全に取れた。私の凧にとって最適な風であったこともあるが、私にはいつも以上に気持ちよく飛び、またコントロールできたこと、これほどうれしく感じたことはない。
捩れが完全に取れて糸巻きにおさまったライン。いとおしい、とさえ感じてしまった。

伝統技法と技術革新 2005/2/3

伝統工芸の世界では、従来からの作り方、伝統技法が守られている。
技法の中には、普通の人から見て、信じられないほど非常に細かなところまで手順や素材などが決められていることもあるそうだ。

私が趣味としている凧の世界でも同じようなことはあるらしい。たとえば、
”○○凧というには、骨は△△、紙は□□でなくてはならない。絵柄は・・・”という具合である。もちろん、作り方や骨組みまで細かく決められている。だから、骨の組み方が違うと、あるいは材料がちょっと違うと、”それは○○凧とはいえない” となる。
伝統凧を作らない私としては、そこまでこだわる必要があるのか? と言うのが正直な気持ちであった。最近のものでもいいものがあるなら、それを使えばいいではないか、という気持ちもある。 だが、最近、ある話を聞いて、それは間違いであったことに気がついた

それは、人間国宝といわれる人の言葉である。
”伝統工芸の技法は、長い歴史の中で取捨選択されて残った技法なのである。”
伝統技法、ただ単に何の疑いもなく受け継がれたものではなく、いろいろ工夫された結果、確立したものである、ということである。
そういえば似たようなこと、私も経験はある。もちろん、伝統工芸のような重みのあるものではない。それは、本に書かれた”○○の作り方”である。実際に作り、本に書かれている方法よりも、この方法がよりすぐれているのでは、と工夫し、改良し(たつもり)、何度も作った結果は・・・。
結局行き着いたもの、それはもとの本に書かれていたのとほとんど同じものであった。だけど、工夫は無意味だったか、というと決してそうではない。本の作り方を忠実にまねたのと、自分で様々な方法を探ってたどりついた結果が同じであったとしても、知識と経験の裏打ち、という重みが加わってのものである。
伝統工芸も同じであろう。歴史の上で多くの人が工夫し、あるものは取り入れられ、そのほかの多くのものは捨てられ、今の技法が残ったのだろう。
これは、同じく人間国宝の、もう一つの言葉に表れている。
”より新しい、より優れた技法が出てきたなら、それを取り込むことをためらってはいけない。”
だが、これは伝統技法を熟知した人が言えることである。若造が”こういう方法がある”と言ったところで、重みはない。伝統の技法を知り尽くした上でないと正しい比較は出来ない。そのためには、まず伝統技法を自分のものにすることなのだろう。それには、何年、何十年の経験がいることだろう。

私の作るような凧、比較的新しい素材を使うから、技法と言えるものがまだ確立しているとは必ずしも言えない。伝統が確立していないのだから、比較的自由である。なにをやってもよい。だが、先人といえるものはある。それは、市販品であり、より経験豊かな人が作った凧である。そういうのを見ると、まだまだ見習うべきところがあると感じる。
そして・・・自分のやり方が確立していないから、自分の凧の中でも、いくつか異なるやり方で作っている部分がある。

やはり、まだまだと思う、というかそれ以前である。

風に吹かれて  凧の話