据え切り 2009/9/25
車の運転で据え切り、つまり車が止まった状態でハンドルを切ること、やっていますか?
私はなるべく行わないようにしているのだが、駐車場などでは普通に行われているのを見かける。
据え切り、私が免許を取った頃はパワーステアリングのついている車なんてほとんど無かったので、事実上行えなかった。やるな、とは言われていたけれど、ハンドルが重くて事実上無理だった。そう言えば子供のとき、エンジンのかかっていない車の運転席に座り、ハンドルを回したことがあったが重くて回らず、力がないと車の運転はできないのか、なんて心配になった記憶がある。
パワーステアリングがない頃、駐車場での切り返しはゆっくり動かしながら行ったものだけど、今の車はパワーステアリングがついているのでその必要もない。だから、多くの人が気楽に、というより意識しないで据え切りを行っている。しかし、パワーステアリングのない車ではハンドルが回せないくらい重いのだから、操舵関連の部品にはものすごい力が掛かっている。今の車はタイヤが広くなりグリップも良くなっているので更に重いはずである。そして・・・実際、操舵のロッドが折れた事故があったそうだ。
ロッドの破損、もし起こるとハンドルが利かなくなるので、走行中であれば重大な事故の原因となる。破損は当然、強度不足なのだが、メーカとしては設計上、据え切り6万回以上の耐久性を持たせていたそうだ。しかし、事故車は毎日15回以上、10年間続けていたそうだ。計算上、毎日15回なら10年で約5万5千回になる。6万回、メーカは十分な回数と考えていたようだが、駐車の際意識していないなら3,4回据えぎりを行うことはありえる。自宅と目的地3箇所で約15回である。決して多くはないだろう。
では据え切りはやってはいけないのか? これはそうではない、となるだろう。もし避けたほうが良いのなら、取り扱い説明書に記載しなくてはならない。私の車には書いてなかったと思う。(隅々まで熟読していないので見落としがあるかもしれない・・・) また、最近はディーラで納車の際に簡単な説明があるが、聞いたことはない。だから、据え切りはやってもよい、となる。だから、6万回程度で壊れるロッドは問題がある、となる。
これについては、技術雑誌関連のWebにも投書があり、”説明書に禁止と書いてないのだから当然据え切りはやってよいこと”といった意見も結構あった。意見としてはもっともである。でも・・・ちょっと違うかな? とも思ってしまう。ものには寿命があるのは仕方ないことだろう。永久に故障しない、というのはありえない。そして、乱暴に扱えば壊れやすいとなるのは当然である。たとえばパソコンのキーボード。注意書きに強く打ってはいけない、とは書いてないと思うが、やさしくキーを押すより力を込めて打ち込めばより壊れやすいことは想像がつく。長く使うために無理をしない、というのは当然だろう。だから、”禁止されていないから行って当然”というのはちょっと無理があると思うし、技術屋の意見としては非常に寂しく思えた。技術屋、設計などをしている人はどんなときに無理が掛かるか直感的に分かることが多い。だから、使う際に無意識にそれを避けるので故障が少ない、と以前は言われたりした。そういう意味で、必要なときには仕方ないけど無理の掛かることはやるべくやらない、というのが技術屋だと思うのだが・・・。
さて、車に限らず、以前より故障しにくい機器が増えてきたと思う。だから、私自身、ついついそれに甘えて無理をしてしまうこともある。据え切りも回数が増えたと思う。大切に使うこと。もうちょっと意識を高めたいな、と思う。
セダン
私は、自分の車としてはセダンを乗り継いでいる(といってもまだ3台目だが)。セダン、少し前から勢いがない。ミニバンとか、比較的車高が高く、多人数乗車や荷物も積める車に人気がある。だけど、私はセダンを乗り継いでいるし、今買い換えるとしたら、やはりセダンにするだろう。
セダンを買う理由、そのひとつは走らせやすいから、というのがある。重心が低めで安定しているし、曲がるにも安定している。そして、横風にも強い。
セダン、考えてみれば合理的な形である。
高さは低いが、座ってシートベルトをしている分には、(背がかなり高い人を除いて)十分である。定員の5人では厳しいが、4人以下なら十分である。(車によっては、後席は日差しが強いこともあるが) 荷物も、普通の旅行なら、十分入る。雑に載せても外から見えないのもありがたい。
考えてみれば、セダンは自動車の比較的早い時期から作られている形である。長い時間の間に改良されて着ている合理的な形、ともいえる。ただし、多人数乗車と荷物。これだけはどうにもならない。それさえ問題なければ、セダンの走らせやすさなどは魅力が大きい。
ところで凧には?
やはり大きな車が積みやすい。もっとも、私の凧は折り畳みが基本。だから、太目の釣竿程度に収まる。だから、セダンにも余裕を持って積める。もっとも、セダンしかないからそのように作っている、という面もあるのだが・・・。
ETC,ようやく・・・
少し前にETCをつけた。
私の場合、高速道路は月に2〜3回程度は使うし、長距離も年に数回はつかう。だから、もう少し早めにつけてもよかったのだが、装置の費用を考えるとなかなか踏み切れないでいた。それに、取り付けのためにしばらく時間がかかる、というのも理由の一つだった。そして、ハイウェイカードで多少の割引になるから、わざわざETCをつけなくても、ということもあった。
ところが、今月の中ごろでハイウェイカードの販売が中止になると言う。来年の3月頃までは使えるそうだが、カードの買い溜めは現実的ではない・・・。ということでようやくETCをつけることにした。
まずETCカードを手配し、装置の取り付けを依頼。ETCの装置は結局ディーラにお願いした。選んだのは一番安いもの。高いものだと、音声案内などがあるそうだけど、そこまでいらないと思う。個人使用なので、使う回数も少ないのだし、いくら割引があるとっても、装置が高価ではありがたみも少ない。だったら、安いもので十分、と思う。
同じようなものなら自動車用品店の方が安いと思うが、以前いい加減な作業をやられて以来、自動用品店に車を触らせたくない、という気持ちが強くなってしまっていて、ディーラにお願いした。今回の作業もまあまあだと思う。だけど、アンテナが見えるのは仕方ないし、装置本体もいかにも後付け、という感じである。次の車の買い替えの頃には、ETCが当たり前になっているだろうから、メーカのオプションですっきりしたのになると思う。
さて、ETCである。
他の人の車でETC自体は経験があるのだが、自分の車で、それも最初のETCは、やはり緊張する。アンテナや装置の動作、当然取り付け時にテストしているだろうけど、私のETCカードは当然初めての使用になるのだし、不安になる。
初めてのゲート通過、ETCゲートに向かうが、自然とスピードが落ちる。進路を遮るバーが見え、大丈夫かな? と思った瞬間に開いた。当たり前のことなのだけど、ホッとした。そして帰り道。今度はETC/一般併用のゲートである。2つあるゲートの一方が開いていたのでそこを抜ける。併用だから係員がいるが、今度も無事、ゲートが開いて抜けられた。一通り経験できて、安心したところである。
ETC、改めてみてみると、結構な車が利用している。北陸自動車道、首都圏などに比べて利用台数が少ないので、料金所待ちはそれほど多くはない。待ってもせいぜい2〜3台だった。時間がどれだけかかるものでもない。首都高速などではETC利用率が5割を大きく超えているそうだけど、北陸では、という思いがあったのだが、今回見えた範囲では、やはり半数近くETCを利用していた。意外と普及率が高いようだ。
さて・・・今回の高速利用したとき、途中で無理に追い抜き、先を急いでいった車がいた。追い越されて少し時間がたってからインターチェンジを降りたのだが、その車が料金所で引っかかっている間にETCで追い越してしまった。料金を支払う時間は数十秒から1分。1台待ちで2分弱・・・。結構飛ばしていったと思うのだが、簡単に追いついてしまった。北陸自動車道でも、ETCの時間短縮効果は意外と大きいのかもしれない。
過ぎたるは・・・ 2005/2/24
久しぶりにブレーキランプが点きっぱなしで走る車を見た。完全に点きっぱなしではなく、ブレーキを緩めるタイミングでたまに消える。おそらく故障ではなく、左足をブレーキペダルに乗せたまま運転しているのだろう。こういう運転をする人、多くはないが、たまに見かける。私の周囲では、年に1〜2回程度だろうか?
運転している本人は、”すぐブレーキを踏めるから”と安全運転している、と思っている人が多いようだ。しかし、こんな車の後ろはたまったものではない。ブレーキランプがいつも点灯、というのはブレーキランプがないのと全く同じことである。だから、減速に気がつくのが遅れる恐れもある。
当然、車間距離を開けて走ることになるのだが、非常に走りにくい。人間が出来ていない私など、こういう車を見ると前にでて同じ運転をし、なおかつ急ブレーキを踏みたくなるのだが、おそらく運転している本人は”ブレーキランプが点灯しっぱなし”という認識はないだろうから、驚かしたところで多分無駄だろう。これも、オートマチック車ならではの弊害なのだろうな、と思う。マニュアル車の時代、左足でブレーキを踏むなんてことはありえなかったのだから。
ブレーキランプは、”これから減速する”という、一種の警告である。警告も常に出ているようでは、狼少年と同じで無意味になってしまう。
ところで、一部の車についているリアフォグランプ。これもブレーキランプと同じくらいの明るさがある。だから、霧のないときに点灯されるとブレーキランプが点きっぱなしと似たようになってしまう。
これも必要なとき以外は点けないでほしいものだ・・・。
余分な情報・・・ 2004/12/25
金沢の道路に、電光式の道路情報の表示が何箇所かに設置された。渋滞情報などもあり、役に立つ。
表示は漢字で5文字程度の小さなものだが、流れるようにスクロールするので情報量は十分である。しかし、信号待ちのときはともかく、肝心の情報が読み取れないことが少なくない。
その理由、余分なことが書いてあるからである。
たとえば、
”金沢警察署から交通情報のお知らせ・・・ 国道○○○号線で、△△から□□まで、渋滞しています。”
見たいな感じで表示されている。
これでは読み取るのに時間がかかってしまい、走りながらではとても見えない。渋滞の文字に気がついても、一回りする頃には先に進んでいたりする。渋滞情報、行き先によっては重要であり、それによって経路を変えることも少なくない。渋滞部分を避けられるなら、円滑な交通にも役に立つのに、ちょっと残念である。
対策は簡単である。余分な情報が多すぎるから、それを減らせばよい。上の例なら、
”○○○号線△△→□□渋滞中”
これなら元の表示の1/3で済む。これを繰り返すなら、走行中でも読めると思う。
余分な情報、それが必ずしも無駄とはいえない。自然言語では、冗長な文字がかなり含まれている。しかし、そのおかげで何文字か欠けても意味がわかることが少なくない。もちろん、1文字かけても意味がわからなくなる場合もあるが、そうでない文字も沢山ある。無駄ではないが、速読の必要な場合もある。情報の密度、これも重要かと思う。
(ここにかかれているのは全て余分な情報ともいえるが・・・)
悲しい改造車 2005/4/19
通勤帰りにふと隣に並んだ車を見ると、その車、異常に大きなタイヤをつけていた。軽のオフロードタイプの車。TURBOつきとはいえ、軽規格の小さなエンジン。機構が複雑で丈夫な、つまりは重い車である。もともとエンジンに余裕がないのにこの過剰なタイヤ。これではまともに走れるはずはない。大きなタイヤ、いかにもエンジンの力を無駄なく地面に伝えそうに見えるが、それはエンジンの出力が余りあるような車の話。軽にこんなたいやをつけたのでは、走りの邪魔になるだけである。結果として・・・加速が遅く、流れに乗れないでいた。
近頃は、標準とはちょっと違う車をときどき見かける。ほとんどはホイールをちょっと変えた程度のものや、メーカの純正のオプションをつけた車で、このくらいなら何の問題もない。しかし、それ以上に変えた車も珍しくはない。
そういう車に中には、車としてみた場合、これはどうかな? と思うような車も少なくない。やたらと音が大きかったり、車高が低かったり・・・。
そういう車、一見速そうにみえても実はそうではないことが多い。特に一般道路で走る場合には改造により走りにくくなっていることが多い。スピードの遅い部分でエンジンの出力が改造前よりも落ちていることが多いからである。それをカバーするようにして走ればよいのだが、多くの車はやっていない。だから遅い。
この前見た車、マニュアル変速なのだが、変速ときにエンジンの回転数が下がりすぎるものだから、変速後に再加速できずにもたついてしまっていた。もうすこし回転数を上げて変速すればよいだけのこと。それを、普通のエンジンと同じようなタイミングで変速してしまっている。折角のエンジンが全く生きていない。
車の改造をすること。これは決して悪いことではない。でも、改造で性能を落としすぎたり、改造の成果を生かせないで走ってしまっている車があまりにも多いような気がする。
昔のいわゆるスポーツカー。これは、もちろんマニュアル変速であり、技量がないとスピードを上げられなかった。でも、オートマチックならアクセルを踏むだけ。単純にアクセルを踏み切ればほぼ最大の加速ができる。しかし、だからといって、知識が要らないわけではない。改造でエンジンの特性が変わればオートマチックでもそれを生かす運転をしなくてはならない。(変速機は元のエンジンの特性にあわせたまま、なのだから)
オートマチック化で、エンジンを生かした走り方への知識が欠けたところへの改造車。
なんだか、車がかわいそうに思えてならない。
でも・・・改造車の能力を最大限に発揮するような走りを一般道路してもらっても困るけど。
冬の必需品 2005/1/16
写真の道具、これは冬、北陸の車に大抵積んであるものである。なにに使うかというと、駐車中に車に積もった雪を降ろすのに使う。元々は窓ガラスを洗うのに使う道具だったのだと思う。でも、最近はそれとは別に車の雪下ろしの道具として売られている。雪下ろし用に限定するなら、長さも短めで強い方が良い。そして、安い。12月あたり、そろそろ雪が、という時期になるとホームセンターやスーパーの店頭に出てくる。多くの人は既に持っているはずなのだが、仕舞い込んだりしてすぐに出てこないから? 毎年結構売れている。
車の雪、まず窓は雪をよけないと前が見えない。また、屋根はブレーキを掛けたときなどに前に落ちてきて危険(前が見えない!)なのでこれも下さなくてはならない。ボンネットとトランク、これは勝手に落ちてくれるので、少なければそのままでも良い。最低限、屋根や窓の雪を降ろさなくれは走れないが、ちょっと多いとこれを降ろすのは結構大変である。
まず、素手ではすぐに痛く感じてしまうほど冷たい。手袋があったとしてもすぐに濡れ、冷たくなってしまう。では傘で降ろしたら? 少量の雪ならばよいが、少し多くなると雪は重く、簡単に傘の骨を曲げてしまう(経験あり・・・)。
素手や傘では、落とした雪が服につくことも多く、服だけでなく車のシートまで濡れてしまう。
でも、この道具を使えば、やや少なめなら屋根の向うに雪を押しやってしまえば一気に落とせる。多いときは何度も落とさなくてはならないが、そんなに時間はかからない。服も濡れにくい。
この道具、最初に使い始めた人、なかなかのアイデアだと思う。新しい発明ではないので、特許にはならないかもしれないが、北陸の人への恩恵、これは相当のものである。
坂道発進 2005/4/17
駐車場での出来事である。
この駐車場、地下にあって料金所は地上にある。地下1階から坂を上り、上りきったところに料金所がある。その間の坂、かなり急な坂になっている。途中で止まると、坂道発進をしなくてはならない。
マニュアル車の運転可能な免許を取った人にとって、一番の難関はやはり坂道発進だろう。右足でアクセルを踏みながら、クラッチを踏んでいる左足を戻し、更に左手でハンドブレーキを戻す・・・。両足と片手で連携した操作をしないとうまく発進できない。アクセルの踏みが足りなかったりクラッチの戻しが早すぎたりするとエンジンが止まってしまうこともあるし、ブレーキの戻しが早すぎると後ろに下がってしまったりする。アクセルの踏みが大きすぎると、坂道とはいえ、やはり飛び出してしまう。運転免許の一番の難関、といっても大げさではないと思う。
最近のオートマチック車ならば少なくともクラッチの操作はいらない。そもそも、クリープで少々の坂なら下がりはしない。
急な坂なら後戻りはありえるが、ブレーキを踏むかハンドブレーキを使って下がらないようにしておけばよい。あとはアクセルをじわりと踏み、前に進み始めたところでブレーキを緩めればよい。マニュアル車ほど難しくはない。
さて、駐車場の話に戻る。
坂が急だからか、この駐車場では料金所手前の坂に止まりたがらない車が少なくない。その場合、坂の手前で待つことになる。料金所手前に1台分、坂が緩やかになっているのでそこで待つことができるので、時間が無駄に長くかかることはない。但し、駐車場に列が出来ることになる。
ここではなぜか、ほとんどの車が坂で止まるのを嫌がって手前で待っている。私が利用したとき、丁度出る車が多く、列が伸びていた。で、私の前の車、先行する車が坂の手前で待っているのを嫌がってか、警笛を鳴らしていた。
人をせかすくらいだから、当然、その車は坂の途中で待つように車を止めた。私も坂道発進に抵抗は全くないので、そのまま後について進んだ。
ここまではよかったのだが、この坂、オートマチックでも後ずさりする坂。前の車、発進時にうかつにも後退してしまった。で、あわててアクセルを大きく踏み、派手なエンジン音とともに急発進。ちょっと情けない発進になってしまった。
急坂で止まらない。これは妥当な選択だと思う。それを無理やり進めさせるのは望ましくない行為だろう。その上、自分自身が後退に急発進・・・。運転者の技量を疑ってしまった。
でも・・・後ろの車に全て見ていられた、と思うと、直前に警笛を鳴らしているだけに恥ずかしかっただろうな・・・。これで、少しでもまともな運転になってくれればいいのだけど。
夏タイヤへ 2005/3/22
雪の降る地方では、初冬と初春にタイヤを交換することになる。タイヤ交換、スタンドなどで行う人も少なくなく、特に雪が降った直後などは車が列を作って待つことになったりする。タイヤ交換、車にもよるが、自分で行ったとすればだいたい40分〜1時間、というところだろう。ちょっとタイヤが大きくなるときつくもあるが、私の場合は車の点検も兼ねて自分で行っている。
タイヤ交換、時期の判断はやはり難しい。雪のある間はスタッドレス出ないと危険だが、雪のないときは夏タイヤの方がより安全である。早すぎ、遅すぎ、共に望ましくはない。が、スタッドレスが長めのほうがどちらかといえば安全である。
今年のように、3月も半ば近いのに雪が新たに積もると、どうしても交換時期を延ばしたくなる。
とはいえ、3月も後半。気温も上がり始めたことでもあり、連休中に交換をした。
夏タイヤ、やはり安心できる。タイヤを替えた直後、ハンドルが重く感じられた。それだけしっかりと路面をとらえている、ということになる。そして、走っていても安心感がある。スタッドレスでは、時速100Km近くなるとなんだかタイヤが少し浮いているような感覚があったのだが、夏タイヤではそれがない。スタッドレスに慣れていたからか、タイヤが地面に張り付いているような感覚さえする。もっとも、多少道路の影響も受けやすくなり、わだちでハンドルを取られるような感じも強くなるのだが、それでも夏タイヤの安心感は強い。こんなに違うのか、というのが正直なところである。
走る、曲がる、止まる。とても素直である。
タイヤ交換の時期、タイヤの重要さを感じる時期でもある
金沢での車の運転マナー、決してよいとはいえない。
そのひとつに、空いている右折レーンに向かって反対車線を走ってゆくことがある。これはもちろん問題ある運転であり、危険でもある。これは金沢ではないが、つい最近あるバス会社の路線バスが行い、問題になったりしている。
反対車線が空いているといっても、その先の交差点から右左折で入ってくる車は直前まで見えない。だから、直進車とぶつかりそうになったりもする。 非常に問題ある運転なのだが、目の前にある右折レーンが空いているのでついやってしまう車もけっこういるし、最近更に増えてきたようにも思う。私も左折した直後にそういう車
と出会い、ちょっとあわててしまったこともなんどかある。
さて、つい先日のこと、交差点を右折する予定で中央寄りレーンを走っていて信号待ちになった。場所は右折レーンの手前である。右折レーンは空いていたのだが、私は当然、直進車と一緒に待っていた。反対側は2車線で、交通量も多く、反対車線を走るのは非常に危険(そもそも違反)である。右折レーンへの距離も50m程度はあった。が、私のはるか後ろの車(以後、A車と
する)が無謀にも反対車線に飛び出し、右折レーンに向かった。反対車線も交通量は多い。 何台かよけるように車線変更していたが、右折レーンにたどり着く前に反対車線の車(以後、B車とする)と鉢合わせになってしまった。そのまま2台がにらめっこ。交通量の多い道のこと、
どちらも簡単にはよけられない。短い時間だったが、険悪な様子になってしまった。
どちらかの運転手が車から降りれば大事になるのだが、幸いそこまではゆかず、B車がゆっくりと下がった。が、A車もぴったりと前に進んでいて、ちょっと危ない様子だった。B車の運転手が引かなかったら・・・。あるいは、もしだれかが警笛を鳴らしたら・・・車から降りてきて殴り合いになったかもしれない。そんな感じであった。
この運転、もちろんA車に問題がある。身勝手な危険な運転をし、B車を危険な状態にしてしまったのだ。交通量の多い交差点付近でのこと。B車のバックも相当危険だったと思う
。
でも・・・。B車によける余地はなかったのか? ひょっとしたら、A車の運転に腹を立て、そのまま突っ込んでいったのかな・・・なんて思ってしまう。この気持ち、分からないでもない。でも、結局自分も危険なことになってしまった。筋としてはB車が譲る必要はないのだが、相手が間違っているとしても避けられなかったかな・・・と思ってしまう。
とにかく、無事でよかったと思う。自分に正義があっても、事故を起こしてはつまらないから。
先日、交差点で右折待ちの際、対向車の運転手が携帯電話で通話中なのに気がついた。そうなると気になるもので、その少し後にメールを見ているような感じの人が1人、やはり通話している人がもう1人いた。わずかな信号待ちの間に3台・・・。偶然多かったのかもしれないが、かなりの数だと思う。
自動車の運転中の通話、これは法律でも禁止されている。しかし、かなりの数の人が行なっているのは事実である。運転中の通話に関する意識のアンケートでは、資料によっても違うが、
・普段どおり使用
・着信のみ使用
・必要なときのみ使用
など、無条件にではないにしても、利用する、と答えた人を合計すると半数以上の人が携帯電話を運転中も使う、と答えていたそうだ。しかし、これはアンケートであり、危険なことは知ってのことだから建前で回答した人も少なくないと思う。実際にはもっと多くの人が使っているだろう。
数あるアンケートのなかでたった一つ、”9割の人が使用”という結果があった。これは、”運転中は絶対に使わない”を除いたのが1割、という結果によるものである。感覚的にこれが一番近いと思う。
私は? のこりの1割にもちろん当てはまる・・・と思って読み始めたら違っていた。私の場合、”信号待ちの間での短時間の連絡”、”運転中の着信で、胸のポケットから取り出して同乗者に渡す”というのはやったことがある。走行中の通話は一切やってはいないのだが、これも含めてだめ、というアンケートである。
つまり、車に運転手として乗っているあいだは停車中も含めて携帯電話に一切手を触れない、ということである。これはちょっと厳しいと思うが、ポケットの携帯電話に触れるのも場所によっては危険だろう。もっとも、これになると99%以上の人が使用している、ではないかと思うのだが・・・。
しかし、運転中の通話あるいは携帯電話の使用により危険が増すのは間違いないだろう。変な運転、危険を感じる運転をしている車が通話中だった、というのはよく見かける。また、高速道路の追い越し車線に停車して通話していた、なんてすざまじい例もあるそうだ。運転中ではないにしても通話が事故の増加につながるのは間違いないだろう。
携帯電話が便利なことは言うまでもない。が、携帯電話が原因で事故が増えるとしたら・・・。
今回、法規制が厳しくなるが、それでもだめだと物理的に制限がかかることもありえるかもしれない。自転車程度以上のスピードが出ていたら機能を停止するとか・・・。折角の便利な手段、そうならないために、安全な使用を心がけたいものだ。
ちょっと余談:
制限速度の自動取締り風に、携帯電話使用の自動取り締まり機、できないかな?
画像処理で、運転者が何か持っていたら証拠画像を残し、ナンバーなどから運転者を特定し・・・。
技術的には可能だし・・・。
一部の車に”子供が乗っています”といったステッカーが張ってある。この意味、なんだろう? と長い間疑問に思っていたのだが、最近になってその意味が分かった。これは、車が大きくつぶれるような事故になった場合、このステッカーがあれば小さな子供が隙間の取り残されているかもしれない、という前提で念入りに探すため、ということなのだそうだ。小さな子供の場合、事故の際に意外な隙間に入り込んでしまうこともありうる。それを見落とすことのないように、ということだそうだ。
これを聞いてなるほど、と初めて納得することができた。
実は、”子供が乗っているからスピードを出しません”的な意味なのかな? それとも、”子供の乗っている車だから近づかないように”的な意味なのかな? などと思ってみたりしたのだ。
しかし、この種のステッカーの貼ってある車、時にはとんでもない運転をしている車もいたりする。中には”子供が運転しています”の間違いでは? と思ってしまうこともあったりする。
これは別のステッカーの話だが、一度ものすごく車間距離を詰めてくる車がいて、危険を感じたことがあった。片側2車線の道路だったのでスピードを落とし、追い越させたのだが、その後で信号待ちのときに追いつき、リアウインドウになにか貼ってあるのに気がついた。裏に張ってあり、文字が逆さになって見えにくかったのだが、よくよくみると、、
”車間距離をとりましょう・・・”
これを見て大笑いしてしまった。これほどの御仁とは・・・。
あ、これはルームミラーで見て、自分を戒めるためのものなのかな?
先日のこと、繁華街にある駐車場の出口、そこの細い道から幹線道路に出るところの交差点で、ちょっと流れが悪くなっていた。この交差点付近は元々人が多く、横断歩道を横断する人が多いので休日は普段でも車がなかなか進めない。とはいえ、普通はそんなに待つことはない。
だが、この日はすぐ近くで政治家の演説(?)があったからだろうか、ちょっと流れが悪くなっていた。その近くには大きなホテルがあるのだが、政治家などがそこを利用しているのか、大きな黒塗りの車が何台か止まっていた。その車の1台、ホテルの従業員の誘導で出て行ったのだが、その従業員、その後で道路から出る車の誘導も始めた。しかし、道路交通法に反する誘導になってしまっている。念のために言うと、その誘導自体は危険ではない。更に、それに従うことで多少は流れがよくなる。だけど、法に反するような誘導である。私に対しても動くように誘導してきたのだが、従えば道路交通法違反・・・。私は、無視することにした。その誘導に素直に従った車が先に行く。だからだろうか、その次の信号で、わざわざ車のところまで来て出るように言ってくれたが、やはりまずいと思い、”警察官以外の指示で道路交通法に反することは出来ない”と言ったところ、素直に引き下がってくれた。
繰り返しになるが、誘導に従っても危険、ということはない。そして、従った方が流れはよくなる。が、違反は違反。警察官の指示であれば問題はないが、筋を通して(?)従わないことにしたのだ。もし素直に誘導に従えば、信号2回分は早く行けたことになる。筋を通して余計に待って、結果として損をしたことになるが、まあそれはそれでよいと思ってのことである。
道路での誘導、これは警察官の指示にはもちろん従う必要があるが、それ以外の人であれば、その義務はない。そして、たとえば赤信号で進む、といった法を超えての指示は警察官しか出来ない。だから、道路工事の誘導員に従って赤信号で進んだら、これは信号無視で違反となる。
念のために書き加えると、私はこういう道路工事での指示に逆らうようなことは原則としてしない。その方が安全で円滑に進むからである。それに、普通は道路交通法に反する指示は出さないから、である。もし、道路交通法に反するような誘導をされたら・・・。そのときはやはり従わないだろう。
ついでにもうひとつ。
幹線道路に出て、立体交差での合流。合流先も混雑してるとき、なぜか金沢近辺では、本来は通ってはいけない導流帯(ゼブラゾーン)を抜けて合流する車が多い。先に進むと、本線で待っている車に割り込むように感じるからだろうか? でも、これはまずいと思う。導流帯は通るべき場所ではない。だから、私は正規の合流地点で入るようにしている。だが、このときは、そのようにすると先に合流した車より先行してしまう・・・。筋を通すのはよいとして、それで他の人を不愉快にするわけにもいかない。結局、正規の進路を、先に入った車を追い越さないようにゆっくり走って合流した。
違反である誘導や望ましくない合流・・・。
深く考えずに他の人と同じにしてしまえば気苦労はしなくてもよいのだろう。それでも、素直に真似るのは抵抗がある。そして、結局は損をしている。割に合わない性分である。
私は普段、FR車に乗っている。FR、ご存知の方も少なくないとは思うが、これは後輪駆動、つまり、後ろのタイヤをエンジンで回して進む車である。最近はFF、前輪駆動車が主流である。そして、四駆、四輪駆動車も増えてきてる。四駆、これは前後4つのタイ
ヤをエンジンでまわして進む車である。
雪道を走る、という意味では、四駆が一番強く、FRが一番弱い、とよく言われる。だから、雪の降らない地方の人と車の話になると、当然四駆でしょ?なんて感じで言われたりする。確かに四駆の方が利点は多い。しかし、四駆でなければ、というものでは決してない。そのあたりのことを書いてみようと思う。
雪道でのFR、何が困るか? といえば前に進む力が弱いこと、である。雪道の場合、どうしてもタイヤは滑りやすい。FRの場合は後輪だけ回すの対して四駆は前輪も回すから進みやすい。仮にタイヤがひとつ滑ってもあとのタイヤで進むことができる。この点、FFも同じであるが、FFの場合は重いエンジンのあるところのタイヤを回すから空回りしにくい。特にハンドルを大きく切ったとき、FRではハンドルをきったことで進みにくくなっている状態で後ろから押すので、余計空転しやすくなる。
もうひとつ、それはアクセルを踏みすぎたときなどに後輪が空転してしまうことである。そうなったとき、左右のバランスが崩れやすく、極端なときには車が回転して真横になったりする。もっとも、FFはブレーキをかけたときに後輪がスリップしやすいのでFR同様、注意が必要である。
四駆の場合、ブレーキ時のスリップは注意が必要ではあるが、欠点は少ない。雪道ではやはり四駆の方が安心できる。
では、FRではだめか? 決してそういうことはない。4輪スタッドレスのFRで走れない道。これはかなり限られる。思いつくのは、急な坂道、あるいは除雪をしていない道、だろうか? この点さえ注意すれば、FRでも十分走ることができる。困るとすれば、駐車場である。駐車している間に大雪で車が埋もれてしまったようなとき・・・。これはさすがに動き出すのは大変である。そして、駐車するとき。これも、ハンドルを大きくきらなくてはならないことが多く、そうなると簡単に空転してしまう。道路以上に注意が必要である。もうひとつ、駐車場や路地などから道路に出るときである。道路わきには半分融けてぐじゃぐじゃになった雪が溜まってることが多く、これを乗り越えるのは意外と大変である。おまけに一時停止しての安全確認が必要なことも多く、止まってしまうと動き出しが困難になることが少なくない。
しかし、逆に言えば動けなくなる危険な場所を避ければそんなに困らないのである。住むところによっては避けられない場合もある。しかし、そうでないなら、これはそんなに難しいことではない。たとえばスキー場。雪が激しく降り続いているときはさすがに危ないが、雪が普通に降っている程度なら除雪もされているのでそんなに困ることはない。北陸程度の一般道路では、まず心配はない。但し、路地裏の細い道は要注意である。
こういう、走れなくなる危険のある道をさけられるなら・・・。FRでも十分である。自分の駐車場から幹線道路まで出られるなら、路地裏に入らなければよい。目的地付近で安全なところに駐車してあとは歩けばよい。
私がFRを選ぶわけ・・・。それは、欲しい車に四駆がないからである。また、四駆があったとしても、それはFRなどに比べると100Kg以上重くなってしまう。更に、タイヤを4つ回すことで抵抗が増える。これは、燃費と加速に影響してくる。また、小回りが利がなることもある。そして、高い。
これは、雪道を走らないときには大きな欠点にもなる。それもあって、私はFRを選んだ。もし、どうしても走れないとすれば、そのときだけタクシーを使っても良い。雪の、わずか数日のことのために好みから外れた車を買うこともない、と思ってのことである。少なくとも、北陸の平地では間違っていないと思う。
さて、四駆の欠点も書いておこう。燃費などもあるが、雪道での一番の問題は、走りすぎることだと思う。四駆、ブレーキに関しては普通の車と全く同じである。だけど、安定して走れてしまうので、いつの間にかスピードが出ていた、なんてこともありえる。その展、FRだとすべることが分かるのでスピードは自然に抑えられる・・・。
北陸の雪道。走れなくなるのが嫌だから四駆。それも妥当な考えであるが、四駆でなくても十分走れる。但し、最低限、スタッドレスで走ること。できればチェーンも用意を・・・。
最近、パトカー等に追跡された車が事故を起こす、というのをよく聞くような気がする。たとえば飲酒運転で、検挙を逃れようとしての結果だったりする。パトカーからの追跡を逃れようとして無謀な運転を行い、その挙句にコントロールを失って道路を逸脱、あるいは他の車と衝突したりする。そのとき、全く関係ない善良な市民が巻き添えになり死亡する例さえある。また、追跡を受けた車が事故を起こし、運転者が死亡、という例もある。
まったく関係のない一般市民が巻き添えになっての事故。とてもやりきれない思いである。
まずはパトカーの追跡による事故。このような事故が起きるとよく言われるのが、”追跡を行なったのが妥当かどうか?”である。つまり、パトカーが無理に追いかけたから逃げ、その結果として事故になったのでは? ということのようだ。まあ一理あるようでもあるが、やはり疑問を感じる。危険だからといって犯罪者を見逃すのか? ということでもあり、また飲酒運転を行っていると思われる危険な車を放置するのか? ということである。一時的に追跡を止めたとしても、警察に見つかった、とおもえば早く遠くへ、と考えて逃げようとするだろう。危険なことに変わりない。それに、無理に逃げる車は追わない、なんてことになればそれこそ逃げ得とばかり、逃げようとする車も増えるかもしれない。結果として、無謀な車を放置することにもつながりかねない。やはり、過激な意見ではあるが、可能ならば強硬手段を取っても車を止めるべきではないか、ということである。
強硬手段、というのは、たとえば車をぶつける、といったことである。もちろん、このような車を他に影響なくとめるのは困難だろう。車を強引にでもぶつければ止められるだろうが、そのために大事故になる可能性ももちろんある。”可能なら”というのは、そういう意味である。もちろん、犯罪者であっても、人権には最大限の配慮をしなくてはならない。これは言うまでもないことである。しかし、一般市民が巻き込まれ、命を失う危険があるならば、それを阻止するための措置
として行うことは仕方ないことではないだろうか。
そのために、逃走車の搭乗者が危険になったとしても、一般市民を護ることを優先させる。暴走する車は、それだけで人の命を脅かす。であれば、やむをえないと思う。もちろん、処置の妥当性は考えなくてはならないだろうけど・・・。
最近、駐車場などで妙にはみ出している車を見かけることが多くなってきたように感じる。
ひとつには、車がやや大きくなってきているのに駐車場の枠が以前の車向けに狭いまま、ということもある。だけど、”きちんととめていない車”が結構いるように思う。
この前見かけた車・・・。大型のオフロード車だが、通路に1m少々はみ出していた。だが、その車、停止位置のブロックからタイヤが1m以上手前になっている。後ろは壁だが、どう見ても1m以上開いている・・・。なんのことはない、ちゃんととめれば枠内におさまるのである。
それから、最近見かけるの、斜めにとめて2台分を占領している車。これも大きなの車のことが多いが、これも枠どおりに止められないほどの大型車ではない。これもきちんととめれば1台分のスペースに収まる。しつこいよいだが3例目。これは駐車場で、一部の場所が柱などにより奥行きが狭いところがある。軽自動車や小型の車なら十分止められるのだが、普通車では奥行きが足りず、はみ出す、という場所である。にもかかわらず、無理にとめて通路にはみ出してしまっている。
こういうことをするのは大抵は普通車などの大きめの車である。大きな車だから、なんて気持ちがあるのかもしれないが、ちゃんととめられるのである。なんのことはない、”私はちゃんと駐車できる運転技術もないのに大型車に乗っています”といってるようなものではないか。
駐車が一番目立つのでまず例に揚げたが、それ以外でも妙な運転が増えてきたように思う。たとえば、車線が減少することがわかっていながら減少する側から直前に追い越そうとする車。結局追い越せずにむりやり合流しようとして流れを乱している・・・。あるいは、高速道路で追い越しをかけようとして追い越せずに併走してしまう車・・・。これも、自分がどこまで加速できるが、どこまでスピードを上げられるか、そして他の車がどこまで走るのか、これを判断できずに行動してしまった結果ではないだろうか。
こういう運転で目立つのは、どちらかといえば大型乗用車が多いように思う。大型車に乗るなら、せめて駐車の練習ぐらいしてほしいものだ。出入り口から少し離れた、空きの多い場所でゆっくり時間をかけてとめればすむことである。こういう車を見ると、”カニの巣穴は・・・”という言葉を思い出してしまう。
それにしても、お店などの駐車場で、大きく通路にはみ出してとめて、車が(ぶつけられないかと)心配になることはないのだろうか? 私だったら、(高級車ではなくても)大事に乗っている車がぶつけられそうでとても気になるのだが・・・
最近の自動車、電子化が進んでいて、どんどん新しい装置が付くようになってきた。そういう装置のひとつで、最近出たものの中に”衝突時の衝撃を減らす装置”がある。大型乗用車の一部につき始めたところであるが、これは、レーダーなどにより前方の障害物との距離を計り、衝突が避けられない、と判断した時点で急ブレーキが自動的にかかり、衝突時の衝撃を減らす装置である。ならば一歩進めて、衝突直前で止まれるように、とつい思ってしまうが、そうなるとより早い時期にブレーキがかかることになる。早いハンドル操作を行ったとき
なと、不意に作動してしまうことでのより危険な状態になることもありうるし、隣の車線からの割り込みその他で防ぎきれないこともあるだろう。まさかこの装置に頼っての運転、なんてことはないと思うが、あくまでも非常時のみに作動、ということで考えれば妥当なところだろう。
この装置、大型乗用車の場合は、乗員保護が目的になっていると思う。高価な、大型乗用車を買う人が車により魅力を感じるように、との考えだと思う。もちろん、装置が高価だから、安い小型の自動車に付けると差額が目立ってしまい割高感が強すぎる、なんてこともあるとは思う。そういう意味で、高価な大型
乗用車から、というのは妥当なところだろう。
さてこの装置、これとは別に、大型トラックなどに義務化しようとする動きがあるそうだ。大型トラックの場合、車両重量が乗用車に比べて非常に大きいから、追突時の事故の大きさ、これは乗用車の比ではない。当然、事故の被害も大きくなる。高速道路で渋滞時の追突などでは、死者もでてしまう。そういう意味で、大型トラックにこそ付けるべき装置かもしれない。まだ具体化はしていないが、義務化の動きは、大いに歓迎したい。当然、装置の分だけトラックの価格は高くなる。
場合によっては、輸送費の増加で商品価格に影響するかもしれない。しかし、それで事故の被害が軽くなるのなら安いものだと思う。この装置がすべてのトラックに付いたなら、追突による死亡事故は確実に減るだろうから。それに、義務化となれば装置の量産化で安くなるだろうし・・・。
自動車以外の交通機関、たとえば鉄道では多くの場合、赤信号を無視、あるいは制限速度を超えて進もうとすると自動的にブレーキが掛かる装置が付いている。自動車の場合、こういう装置は難しいが、
せめて可能な衝突軽減の自動ブレーキ、効果的だと思う。悲惨な事故を減らすためにも、ぜひ義務化が進んでほしいものである。
まじめな運転ははやらない? 2002/9/30
少し前までは普通の車、というとセダンだった。人の乗る場所の前にエンジンがあり、後に荷物を入れるトランクがある、といった感じである。小型車では、セダンではないが、トランクのないものもあった。
どちらにしても似たような感じで、客室の天井は低く、どちらかといえば平べったい感じになっていた。だから、座る姿勢も足を前に投げるような感じになる。身動きが取れない、というと大げさであるが、姿勢を大きく変えることはできない。
今は? というとミニバンと呼ばれる車が主流になってきている。これは天井も高く、座る姿勢も普通の椅子に座るような感じに近くなっている。車によっては、後部座席を向かい合わせに出来たりもする。
ミニバンがなぜ売れるか? 荷物が載せやすいとか、多くの人が乗れるとか、理由はいろいろと言われて入るが、なんとなくこじつけ見たいにも思える。 流行だから、というのも結構あるのでは?と思う。
ミニバンがはやるわけ・・・。それは運転への意識が変わってきた、というのが大きいのではないだろうか。
自動車の変速機、以前は、マニュアル、というのが普通だった。だから、高速道路などは別にすれば、運転中は頻繁にシフト操作が必要であり、必然的に運転に集中する必要があった。車の中でできること、といえばせいぜい、ラジオやテープなどを聞く程度であった。
だが、今はオートマチックが普通である。変速がほとんど必要ないから、普段の運転でも交差点などを曲がるときなど以外は左手が空いている。だからだろうか、”ドリンクホルダー”なるものが売られはじめ、いつの間にか車に標準装備になってしまった。運転は、集中しなくてはできないものではなくなってしまった、とうことの表れだと思う。
ミニバンの流行、これもこの流れの中でのひとつの方向ではないだろうか。運転に集中しなくてはならないなら、スポーツカー的に閉鎖感のある運転席が余計な雑念が入らない分、より望ましいだろう。室内が多少広くたって、何も出来ないのなら無意味である。だが、運転のついでに何か出来る、となれば別である。やはり広いほうがよい
、と考える人がいても不思議ではない。
先日、フェアレディZに乗ったとき、”この車はいい加減な運転を許さないような雰囲気がある”と感じた。この感じ方から言えば、ミニバンはその反対だろう。この車、乗っていて緊張感に乏しい。たとえて言えば、バスや列車に乗っているような雰囲気がする。
まして後部座席だと緊張感なんてかけらもないのでは、と思う。その影響は、当然、運転席にも伝わるだろう。スポーツカー的な車だと、たとえ助手席に座っていても軽い緊張感がある。これとは全く正反対の車なのである。ある人は、これを、
”まじめな運転姿勢は流行らない”
と表現した。実にすばらしい表現だと思う。ミニバンに、スポーツカー的なまじめな運転は似合わない。というより、まじめな運転はしない、から始まった車かと思う。
でも、これでいいのだろうか? 車の運転スタイルが変わっても交通事故の可能性があることには変わりはない。事故にならなくても、急ブレーキを掛けなくてはならないこともある。適度な緊張感は本来、必要なものだと思う。そして、 同乗者の雰囲気は運転者にも伝わるだろう。まじめな運転姿勢がはやらない。なんだかとっても危険なように思う。
スポーツカー、運転する楽しみ 2002/9/2
先日、車の点検でディーラに行った。
ディーラの前には、発売されて間もない新型のスポーツカーの試乗車が止めてあった。車好きの私としては興味のある車である。受付で点検をお願いして、終わるまでの間、店内の展示車などを見てると
、いつものセールスマンが話しかけてきた。 当然、そのスポーツカーの話題になり、”乗って見ますか?”と言われた。実は、買うような車ではないので、試乗を、とは言いにくかったところだった。”それでは”と早速お願いした。
そのセールスマン、これから納車にゆく、ということで、代わりに整備などのサービス担当の(つまりは販売担当ではない)若い女性が鍵を渡してくれた。試乗車なのでてっきり同乗するもの、と思っていたら、車の前で”適当に走ってみてください”みたいに言われ、拍子抜けしてしまった。300万円以上の新型車なのに? 暇なセールスマンがいなかったのかな? それとも暴走が怖くて逃げたのかな?(実は私は普段、やはりスポーツカー的な車に乗っている) それとも、仕事が忙しくて付き合ってられないのかも? まあ、この店での実績もあるので、信用してくれた、ということだと考えよう。でも、 ”新型スポーツカーでお姉さんとドライブ♪” と期待していたのでこれはちょっと残念である。
気を取り直して車に乗り込む。外観から見たとおり、車内は狭い。シートが低いのでちょっと乗りにくいが、たいしたことはない。座ると椅子が体をきっちりと押さえ込むような感じになる。とはいえ、身動きが取れないような狭さでもない。シートの位置をあわせ、ベルトをする。
固定されているわけでもないのに軽い圧迫感を感じる。と同時に、車との一体感もしてくる。
座ってすぐにエンジンを掛ける。せっかちなようだが、試乗車とはいえなるべくなら冷えたエンジンで走りたくはない。少しでも暖めておきたいのだ。しかし、エンジンがかかったのにとても静かである。エンジンが止まってる? なんて思えてしまう。もちろんそんなことはなく、ちゃんとタコメータの針は上がっている。
エンジンを掛けたのだから、メータ類をさっと見て異常がないことを確かる。もちろん、異常などない。ここで改めて運転席の周りをゆっくりと見る。メータ類は多い。数えてみると6つある。ハンドルの前方のほかに助手席との間にもある。普通の車に乗っている人なら全部見られるか? なんて
あわてるかも知れないが、実は私が今乗ってる車も同じこと。数が多くても自然と見えるものだ。数は多くてもメータはとても見やすい。次にシフトレバーに手を掛ける。試乗車はATではあるが、レバー操作でマニュアルにもなる。試乗ではそんなに動かさないだろうが、位置はしっかり確認しておきたい。丁度左手をハンドルから下ろした位置にある。サイドブレーキ、これは遠い。
助手席側にある。輸出向けの左ハンドルの位置そのままなのだろうか? ちょっと不満に思うが、運転中にそんなに引くこともないからこれでも良いのだろう。
運転席周りを一通り確認したところで、窓の外を見る。一番に感じるのは、視界の狭さである。前方の視界、これは屋根が低いので、普通のセダンで言えばサンバイザを降ろしたときのような感じになる。前がこの程度だから後ろはもっと狭い。窓に高さがないので、座る位置をちょっとずらしすぎると後ろが見えなくなる。横は?これはまあこんなものか?
周囲を見回して確かめたところで動き出してみる。ディーラ前の道路は相変わらず車が多い。試乗車なので慎重に車の流れが切れるのを待つ。すぐ近くに信号のある交差点があるので、赤になるのを待てばよい。さあスタート。大出力なのでアクセルは軽く踏む。この程度なら普通の車と同じ位の加速になる。決して扱いにくいことはない。スポーツカーらしさの全くない運転ではあるが、それでもわくわくするような感じがハンドルから伝わってくる。乗り心地もよい。道路の荒れが強く伝わってこない。これなら私が今乗ってる車より乗り心地がよいのでは? なんて感じる。
交差点で止まり、左折する。曲がり方も自然で、走らせにくい感じはまったくない。それどころかとても安定して気持ちよく曲がってくれる。
ここで鉄道の下を通る。急勾配だが、下り坂はスピードを押さえておいて、登りでアクセルを踏む。坂がなくなったように勢いよく加速してくれる。ターボ車ではないので、加速に段がなく、走らせやすい。 車はもっと走りたそうな感じなのだが、すぐにアクセルを離す。ここは登ったところが交差点で、このタイミングでは大抵赤なのだ。すぐにブレーキ。これまた余裕を持って止まってくれる。停止線にあわせて ゆっくりと止める。普通よりちょっと強めのブレーキでも不安はまったくない。走る、曲がる、そして停まる。いずれもが実にすばらしい車である。
この新型スポーツカー、走った感じを表現すると知れば”走る楽しみ”だろうか? 走っていて実に気持ちがよいのだ。走る楽しみ、といってもスピードを出す、という意味では決してない。加速する、曲がる、減速する。これらの操作に車が実に素直についてきてくれる。意のままに走ってくれる。そんな感じがする車である。
だが、アクセルを踏み込むと、相当な走りをしてくれるだろう。だけど、それでいて紳士的である。最初、暑い日ではあったがエアコンを切って窓を開けて走った。もちろんラジオなどは初めからスイッチを入れていない。道の雑音に消えてしまいそうなくらいの静かなエンジン音である。本当にスポーツカーか? と思ってしまう。それなら、とギアを落とし、アクセルを踏み、回転を上げてみる。だけどやっぱり静かである。が、それでいて心地よさを感じるような音がする。そういえば、余計な風切音などしなかった。これも気持ちがよい。
さて、この車は普通に言えばスポーツカーである。だが、スポーツカーという言葉、死語になってしまったのでは? と思う位、売れていないし、話題もあまり聞かない。もちろん、もともと実用性に乏しい車だからそんなに売れていたわけではない。それでも、少なからぬ人が一度は走らせて見たいと感じる車だった。それがいまはどうだろう。6人乗り、7人乗り、8人乗り、といった大きな車が売れている。家族で、仲間で楽しみながら旅行する、ということだろうか。だが、この車、走る楽しみとはまったく別の方向に向かっている。運転以外の楽しみ、である。だからへたすると、運転手以外は後で宴会、なんてことになりかねない。これでは走る楽しみとは無縁だろう。
スポーツカー自体、そんなに注目を集めたりはしなくなったようだ。この試乗車、真っ赤である。新型車でなくても派手な色だ。でも、そんなに見つめられているような感じはしない。同じスポーツカー的な車に乗ってる兄ちゃんが気にして見ていただけ。大型の高級車の方がよっぽど目立つのかもしれない。
さて、もう車名を出してもいいだろう。この車、フェアレディZ、走りを楽しむための車である。ミニバンみたいにルーズな座り方を許さない、体を包み込むようなシート。手も十分伸ばせない低い屋根。でもそこに、雑な運転を許さないような厳とした雰囲気が漂う。トラやライオンのような雰囲気がそこにある。これはとても魅力ある車である。
しかし、その代償は大きい。価格ではない。”2人乗り”ということである。家族持ちにはこの車だけではどうにもならないのだ。家族で乗るとき用にもう一台、といった贅沢は
なかなかできない。
でも、それでも欲しいと思う。それだけの魅力がスポーツカーにはある。もちろん今は無理だ。還暦になり、子供の手が離れた頃、妻と二人で乗りたいと思う。狭い、とはいっても、2人で旅行するなら十分荷物は載る。そして、走る楽しみが最大に生かせるマニュアルで乗りたい。色は?
還暦なのだからもちろん”赤”である。
でも、その頃にこういうマニュアルのガソリンエンジン車は残っているかな? これが一番の問題かもしれない。
スポーツカーは危険か? 2002/ 4/9
今日の夕刊に、車種別の事故による死亡率の話が載っていた。死亡事故率の上位はいわゆるスポーツカータイプの車だと言う。具体的な車名は書いてなかったが、私の乗ってる車も入ってるだろうな・・・とふと思った。
(もっとも、私の車は4ドアである) この記事を読むと一部の人は、”スポーツカーは危険だから”などと考えるのではないかと思う。でも、本当にそうだろうか?
似たような例で、”赤い色の車は事故率が高い”などと言われたことがある。これも同じだろう。おそらく、事故を起こしやすい人は赤い車やスポーツカータイプの車を好む、ということだろう。もちろん、衝突時の安全性が足りなくて負傷がより重くなる、という車もあるかもしれない。が、最近の車ではそれはあまりないだろう。やはり、無謀な運転をする人が好むから、と考えるのがより正しい
と思う。
スポーツカーは危険か? 車の安全性から言えば、 私は、逆にスポーツカーほど安全だと思う。もちろん、衝突安全性に関する設計が同じなら、である。なぜ安全か? それは何といってもブレーキが強力だからである。そして、ハンドル操作への反応も早い。ブレーキが強力なら、より短い距離で止まることが出来る。だから、事故が防げるし、止まれなかったとしてもスピードは落ちているから、被害はより小さくなる。ハンドル操作への反応も早いから、事故回避の操作に余裕が出来る。とはいっても、ハンドル操作で回避するのは難しいことが多いから、ここではブレーキだけ考えてみよう。
実は、私は時々安全なところで急ブレーキの練習をしている。私の車、信じられないくらい短い距離で止まれる。これをやると、あまりの急減速に気分が悪くなる。シートベルトは普段は自由に伸びるが、これをやるとロックしてしまう。その位の急減速である。同じことを車検中の代車でやってみると、”止まらない!”と感じてしまう位違っていた。もちろん、ブレーキが強力、といっても無謀運転時の車を止めるほどの力はない。これが死亡事故率の差になって現れるのだろう。だけど、同じ運転をしていれば、ブレーキ力の差が安全性につながるはずである。私の普段の運転、特に市街地での運転は、全然スポーツカーらしくない。ごく普通の運転である。スポーツカーだからスピードを出さなくては、なんてことはない。ブレーキが強力だから、といってもそれは一杯に踏んだとこのこと。普通に運転している分には普通の車と全然変わらないのだ。
安全のために高性能車を、というのが私の考えだが、ひとつだけ問題がある。それは、燃費が悪いことである。現状では、ブレーキの強力な車はエンジンも強力になる。だから、燃費も悪い。エンジンは普通だけどブレーキは強力・・・。そんな車が増えるといいのだが・・・。
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