食堂での不思議 2009/10/17
博物館めぐりで小さな食堂に入ったりしたとき、他に観光客などと一緒になることもある。そんなとき、女性数人のグループなどはにぎやかで、話し声が聞こえてくることもある。これはある3人組の例・・・。
 ・・・冷麦もさっぱりして良さそうね。これにしようかしら・・・
 ・・・てんぷらうどん、○○茸だって。おいしそうね。
 ・・・それ、熱いうどんでしょ?
 ・・・そば、△△そば(ここの地名)って書いてあるから名物なんじゃない?
 ・・・なら、ざるそばにしようかしら・・・

ようやく各自の注文が決まったようで、リーダ格の人が店員さんを呼び、注文した。てっきり冷麦など3種類が注文されると思ったところ、
 
天ざる3つ!
おもわず、え! と言いそうになってしまった。天ざるなんて誰も言っていなかった(と思う)のに・・・。なにか裏で密約があったのだろうか? あとで甘いものを食べるときは●●さんの意見を尊重するから、とか・・・?
そういえば、女性グループ、同じものを注文することが多いような気もする。私は? というとたとえば出張で外で同行者と食事する時、ばらばらのことも少なくない。ただ、時間に余裕が無い時、みんなすぐに出るランチ(日替わり定食)にすることもあるし、人と合わせることもある。だけど、たとえば空港で待ち時間があったりすると好きなもの、になることが多い。(でも、上司と一緒だったらつい同じ程度以下の値段のものにしてしまう? ビジネスマンの悲しさか・・・) 

人と同じものを注文する。この答え、ある人の意見でちょっと納得した。”同じものを食べることで共通の話題ができる・・・”。なるほど、と思う意見である。私の場合、たとえば家族であればいろんな種類のものを注文して、分けながら食べる。中華など、安い定食を人数分、種類を買えて注文するととても豪華に見えるから不思議である。私はそうやって楽しんでいるが、それほど親しい仲でなければ同じもので共通の話題を、というのは納得できる。

でも・・・誰が天ざる、って言ったのだろう? 全く聞こえなかったんだけど?

高山への旅 2009/9/7

青春18切符、最後の1枚で高山に向かった。
青春18切符の有効期間、夏の時期は9月10日まで。最後に残った分を使いきるため? 8月末から9月初めの週末は普通列車が非常に混雑する。名古屋地区勤務のとき、私が主に利用したのは首都圏から関西地区までであるが、一目で青春18切符利用者とわかる人が多く、乗り換えの混雑もすごかった。しかし、北陸地区発となると目立った混雑はなく、非常に平和に利用できることが多かった。だけど、逆方向、つまり関西や中京地区から北陸を目指す人は多いようで、すれ違う列車は結構混んでいた。今回高山に向かったのは、博物館を巡るため、ということが大きいけれど、この時期にしたのは多少なりとも予想される混雑を避けるため、というのこともあった。

さて、金沢起点で、青春18切符を使って博物館訪問を、と思うとあまり効率は良くない。たとえば大阪までは約270Kmある。所要時間にして5時間以上、半日である。距離があるので朝早く出ようと思っても列車が少ない。博物館巡りの場合、到着が遅いのは致命的である。博物館の入館締め切り、
16時頃のところが少なくないので、昼12時に着いたのでは大して回れない。せめて10時頃までには着きたいのだけど、朝7時発ではどうにもならない。ただ、部分的に特急を使うなら別である。幸い、関西
/中京方面なら金沢発は5時からある。もちろん特急券のほかに乗車券も必要になるので、青春18切符以上に出費が必要ではあるが、時間は有効に使える。逆に帰りは早いので、行きは特急、帰りは青春
18切符で普通、としても3千円位はすぐに節約できるので青春18切符を利用する価値は大きい。今回の高山行きも、金沢発は6:51の電車になってしまった。
10時すぎに高山に着く。ちょっと遅いが、それより早くとなると特急を2回使っても9時すぎ。これでは効率が悪いのでやめた。富山から高山方面の列車が少ないためであるが、ローカル線の列車本数の少なさを実感する。
前回までより1時間遅くの出発、早朝らしさが薄れ、高校生なども乗る電車で富山方面に向かう。この方向の列車、以前は多かったのだが、乗るのは久しぶりである。
4,5年ぶりだろうか? 富山へ行くことは少なくないのだが、どうしても車が中心である。景色がとても新鮮である。富山までの途中、実は私の実家のすぐ近くを通る。最寄り駅、学生頃まで何度も乗り降りしたのだが、その駅で降りない、というのはちょっと落ち着かない。なにか乗り越しているような・・・そんな気持ちになってしまう。降りたい気持ちを我慢してそのまま進む。

富山からは高山線に乗り換えとなる。本線ではあるが末端部分になるから? 列車は2両である。だけど半分は通勤向きのロングシート。富山近辺は通勤時は混むのかな、と思いつつロングシートに座る。この座席では旅の気分になれないが、座席は
7割近く既にふさがっているので仕方が無い。向かいに座っている女性グループ、旅行だと思うが手には鱒の寿司を持っている。朝食用なのかもしれないが、この座席では食べられないだろう。
列車は富山県の平野部を過ぎると山に入る。高山線は非電化なのでディーゼルカーである。見た目は電車と変わらないのだが、エンジンで動いているので音は大きいし床からは振動が伝わってくる。坂にかかると音が一層大きく感じ、いかにも山を登る、という雰囲気になる。が、ロングシートでは外が見えにくい。おまけに向かいの席は東側で日があたるからブラインドを下ろされてしまった。こうなると外をちらりと見ながら本を読む、となってしまう。まあ、これはこれでよい。乗ってから気がついたのだが、この列車はワンマン運転で車掌さんはいない。無人駅では、降りるのは運転手さんのいる前のドアから。切符を渡すか整理券と一緒に支払って降りる、バスと同じ方式である。私の乗った車両は2両目なので降りる人はほとんどいない。時々高校生が降りてゆく程度である。運転手さんのチェックはないが、定期を持っているのだろう。谷間を進むとまもなく列車の終点、猪谷駅となる。乗り換えはどうなるのかな? と思っていると放送で前のドアから、と。何人かが立ち上がったのにあわせて前の車両に行く。既に数人が待っているが、この人たちは青春
18切符客だろう。到着後、運転手さんに切符を見せて降りる。どこか新鮮に思える。
猪谷での乗換え、ここでJR西日本からJR東海に変わる。時間が短いのだが、まだ接続列車は来ていない。ホームは島式で両側に列車が着く。てっきり反対側に? と思っていたのだが、ホームの時刻表で見ると到着と同じ
2番線になっている。到着列車は富山方面へ折り返すが、当選乗継があるから到着前に発車するはずは無い。種明かしをするとホームが長いので前後に並ぶように着ける。国鉄時代にはこんなことはしなかったとおもうが、最近はローカル線などで時々見るようになった。ホームの有効利用にもなるし、乗り換えにも階段の上り下りが不要で便利なこともある。でも、目の前に列車がいるホームに突っ込んでゆくわけで、ブレーキの弱い鉄道ではちょっと怖いのでは? と思ってしまう。
乗り換えの列車、こちらもワンマン運転でお客が降りるのを待って乗り込む。こちらも2両であるが、ロングシートが少ない。乗り換え客はクロスシートにゆったりと座る。私も日差しを避けて西側の席へ。とたんに旅らしく感じられる。高山本線は神通川に沿って進む。神通川は、岐阜圏内では宮川となる。石や岩のごつごつした中をきれいな水が流れる。急流から一転してダム湖となったりするもする。山は緑が豊かで青空と白い雲も見える。本はまだ開いてはいるが、景色を見る時間が長い。山を登りきり、平地が広がり始めたところで高山着となる。

高山、まだ午前中だからか、人は少ない。まずは駅前の観光案内所で地図を確保? 普通はすぐ前にあるはず? と思ったのだが、英語や中国語などばかりで日本語版がない。聞いてみると品切れで印刷中とか。仕方ないので英語版を受け取る。英語版といっても名称は日本語が併記されている。良く考えるとこれは便利である。地元の人に地図を見せて道を聞くにしても日本語が書いてあれば目的地を指差せばわかるだろう。それに、目的地の看板は日本語だったりする。文字の形を比べれば目的地とわかるかもしれない。
今回は、まずは地図を頼りに陣屋に向かう。ここは何度か来ているが、記録上未訪問になっているところである。続いて市制記念館へ。続いて郷土資料館に向かうが、ここで食事にする。高山ラーメン、と言いたいところだけど近くにあるのは蕎麦屋さん。食事はできることなら地元の人が入るような店にしたい。金沢ではすぐに見分けられるのだが、高山では・・・? 食事を重視しないのはいつものことなので、とりあえず目の前の蕎麦屋さんに入る。
期待したとおり(良い意味? 悪い意味?)の食事を済ませて更に資料館を回る。どこも空いていて、他の見学者はほとんど見なかった。獅子会館などは屋台などのからくり実演(手作業!)ができ、更にからくりを操作する裏側も見学、操作する方の話も聞けてとても良かったのだが、見学者は他に
1組だけ。ちょっと寂しい。土曜日の昼過ぎだし、夏休みも終わったので観光客は少ないのかな・・・と思いつつ、古い町並みにある資料館に向かう。途中、だんだん観光客が多くなり、気がついたら道にあふれていた。
古い町並み、もともと道幅はそんなに広くはない。だけど、歩行者は多く、しかも何か食べている人が多いので道が一杯になってしまった。いつの間に、と驚いた。資料館などでは、いつも写真を写しているが、ここでは人が途切れるのをちょっと待った位である。が・・・通る人は多くても、資料館に入る人は非常に少ない。今日街中で見た中では比較的多かったのは陣屋位である。個人でやっているような、資料展示としてはいまひとつのところもあるけど、もうちょっと人が入ってもいいな、と思う。古い町並みを歩いて五平餅などを食べるだけ、というのでは折角来たのに・・・と思ってしまう。もっとも、たとえば金沢観光も似たようなところがある。東茶屋街は、茶屋としてではなく、街をちょっと歩いてお茶を飲んでお土産を買う、という感じになっている。観光として、それでも良いのかもしれないが、もう少し街のことを知って帰ってほしいと思うのは古い考えなのかもしれない。ソフトクリームを食べるだけなら自分の街でも良い、とさえ思うのだが・・・。

さて、高山には街中以外にも資料館等がある。そのひとつは飛騨の里で、園周囲にもいろいろとある。そしてもうひとつは飛騨・世界生活文化センターである。ここには県立の資料館がある。今回は飛騨・世界生活文化センターに向かった。ここへはバスもあるので鉄道利用でも行きやすい。そして、手前には祭り会館などもある。祭り会館、地中のドームの中に祭り屋台があり、からくりの実演がある。なかなか面白いのだが、観光地的すぎるようにも思える。そして・・・入館料が高い。屋台の展示があるから資料館相当としているけど、もともとは観光施設なのだから仕方ないかもしれない。昆虫館、茶道に関する美術館も合わせてみる。展示は良いのだが、高い、と言う感覚がどうしても強く感じてしまった。
最後に行ったのは飛騨・世界生活文化センターの資料館である。ここは実物展示は少ないのだが、高山の暮らしや行事、そして職人の技が実に良い展示となっている。行事では、小さなボックス的なスペースに人形などを使った展示が月ごとに並んでいる。見学者が扉を開けたり、人形を動かしたりできるのもまた楽しい。生活に関しても、パネル展示と実物、模型をうまく組み合わせている。見やすくて楽しい丹治になっている。そして、受付の対応もまた良かった。この日、家具に関連するイベントに合わせて企画展が開催されているが、フロアが異なる。これを案内してくれたし、イベントも合わせて紹介してくれた。私の場合、帰りのバス時間も気になったので聞いてみるとその案内もしてくれた。博物館などの印象の良し悪し、展示も重要だけど係りの人の対応も重要だと思う。その意味で、こちらは気持ちの良い資料館である。
展示を見終わって駅に戻る。乗る予定の列車まで40分ほど時間がある。昼食べられなかった高山ラーメンでも、と思うが、お土産のひとつぐらいは買いたいし、ぎりぎりに乗るのもあわただしい。と考えると、どこかに食べに行くにはちょっと時間が足りない。幸い、バスの待合室には麺類中心のセルフサービス店がある。高山ラーメンもあるので、ここで済ませることにした。一応高山ラーメンなどだろうけど、セルフ店なのでそれほどのものでもない。すぐ作れるように? 麺が非常に細めなのばかり覚えている。で、駅に戻って飲み物でも・・・と思ってみると、駅弁がある。夕方なので売り切れのものもあるが、5種類くらいはある。飛騨牛の地らしく、牛肉の弁当もある。しまった・・・駅弁にすればよかった・・・と後悔する。

家に帰って地図上で見訪問博物館をチェックする。地図に丸を付けてゆくと、結構あるな、と思う。数えてみると20近い。あれ、よく見ると陣屋のすぐ近くに資料館がある? 陣屋へは地図を見ながら行ったのだから気がつかないはずはない? 今チェックしたのは資料館にあった日本語版。案内書でもらった英語版と見比べると、その資料館は日本語版のみの記載されている。他の記述を比べると、英語版がちょっと古いようだ。数もそうだけど、結構分散している。今回、全て回りきれないのはわかっていたので、次回の効率を考えて回ったのだが、予想外に分散している。あと2回は来る必要があるのだが、次も相当歩き回ることになりそうである。(今回も2万歩・・・)


「鉄」の中で・・・ 2009/10/16
鉄道マニアなどを指す、「鉄」という言葉がある。鉄と言っても非常に広く、分野などによって○○鉄、と細分化されている。それぞれ非常に奥が深いく、私から見れば狂信的とも思えるほどである。私は鉄道好きではあるけれどとてもついてゆけるレベルにはない。たとえば列車に乗って楽しむ「乗り鉄」と呼ばれる人の中には全国の鉄道を乗りつくした人はもちろん、JR/私鉄全駅に乗降した、という想像を絶する人さえいる。全駅乗降、となると、112本の列車しか停まらない駅もあるし、北海道の山奥の駅で他の交通から途絶され、周囲には民家などなにもない駅もあるそうだ。列車の写真を撮る「撮り鉄」と呼ばれる人では、山に登って撮影などはもちろん、時には雪原を歩いて撮影ポイントに向かう、という命がけの撮影をしていたりする。また、青春18切符を使うとなると夜行はもちろん、乗り換えを繰り返し、1日のほとんどを列車の中ですごしたりする。このような人たちと比べると、私は単に鉄道に乗って楽しむのが好き、という程度であり、「鉄」とは別の世界と思っていた。
実際、廃線が近い電車に乗りに行ったとき、生粋の(?)鉄らしい人を見たが、普通の鉄道利用者、旅行好きの人とは明らかに異質と思える雰囲気があった。事前に調べた資料などを持ち、こまめに写真を撮り、ビデオを回す・・・。とても私のような気楽なものではない。私の場合、移動の手段として利用しながら楽しむのが中心で、たまに鉄道が主目的で乗るけど、鉄道の雰囲気などを楽しむためだらか、居眠りもすれば本も読むし、パソコンを持ち込んで使いもする。時には映画などの動画をパソコンに落としておいてそれを見る、とうこともある。駅弁を食べながら、お酒を飲みながら、というのもよくあることである。鉄とは違う、と思っていた。
が、最近見た本の中に、「旅鉄」とう言葉を見つけてしまった。これは、旅などの中で鉄道を利用して楽しむ、と言う人たちである。一部の”鉄”が嫌う特急列車や新幹線を積極的に利用し、遠距離では飛行機、便利であれば高速バスも使い、旅の中で鉄道を楽しむ。観光向けの列車にも乗るし、列車の中では駅弁はもちろん、お酒を飲んだりしながら鉄道を楽しむ。本を読んだり、居眠りをしたり・・・。今までの鉄と比べると実に気楽である。そして・・・まさに私の鉄道の楽しみ方である。

鉄、鉄だけにかたいもの、と思っていたけど、こういう軽いものも含む、とは以外でもあった。が、私も”鉄”になってしまう? 複雑な気持ちである

北陸鉄道、アテンダントと葬式鉄 2009/10/12

葬式鉄らしき人々

10
10日、北陸鉄道、石川線に乗ってきた。この路線、末端に当たる鶴来-加賀一の宮間が10月末で廃止されることもあるが、えちぜん鉄道に乗ってローカル私鉄への関心が高くなった、ということもある。石川線は、全線に乗っても片道30分少々、始発の野町駅は自宅から近い。土曜の午後に行ってみた。

野町駅は、国道からちょっと入ったところにある。同じ北陸鉄道でも浅野川線は金沢駅に隣接しているのだが、野町駅は目立たない、というより知らないと目につくことはない。野町駅は、元は中間駅であり、更に先へ一駅延びていた区間が廃止、また市内の路面電車へも接続していたが、こちらもすでに廃止となっている。現在はバスの小ターミナルがあり、ここから市内バスの一部路線が発着している。市内への交通は配慮されている。駅は比較的こじんまりとしていて、鹿も半分がバスターミナル用、といった感じになっている。鉄道用は狭い建物のかなりの部分をトイレが占領しているようにおもえる。切符は自動販売機も2台あるが、窓口もある。料金表で見ると加賀一の宮までは片道は500円。すぐに買ってもよかったのだが、まだ時間がある。あわてず周囲を見てみると、一日フリー乗車券があった。料金は1000円。浅野川線も乗れるがそれは今回は無理。往復運賃と同じなのでこちらにする。一日フリー乗車券なら途中どこかで降りることもできるし、なにより切符が手元に残る。一日フリー乗車券は金箔貼りでデザインは4種類。うち1種類は売り切れ。私は兼六園の徽軫灯篭のものを選んだ。このほかにも、特典付き往復乗車券などもあるようで積極性を感じるのだが、多くは定期や沿線利用のようで、割引切符を買いそうなお客はそれほど多くはない。それでも一日フリー乗車券を買う人が3人いた。なぜか私と同様、徽軫灯篭灯篭のものを選んだのが面白い。

発車までに駅を少し見てみる。野町駅はホームが2面あるが、1面しか使われていないようだ。2番線のレールは赤く錆びている。電車はホーム1面で足りる程度の本数、ということになる。やはり利用者はそれほどではないのだろう。バス同様、電車の位置が2駅先までわかる。次の駅のランプがついたところで見ていると踏切の警報音が鳴り、折り返しとなる電車が入った。一度全てのお客が降りて一度ドアが閉まり、準備が整ってから改札が始まる。写真撮影で改札近くにいたので真っ先に入ると、驚いたことにアテンダントが乗っている。早速聞いてみると81日から乗務を始めたそうだ。
乗客は残念ながらそう多くはない。2両のロングシートで椅子が埋まらない程度のお客になる。途中JR駅と接続する新西金沢でまとまった乗客がある。金沢市街地への利用ならバス接続の野町駅の方がよさそうなのだが、JRからのお客も結構いる、ということなのだろう。それから先もぽつぽつ乗車客がある。
石川線の沿線、予想していたより住宅が多い。比較的新しい家も目立つ。このあたり、普段は自動車になるのだろうけど、電車もある、というのは大きな利点に違いない。私の家もバス路線が充実している場所、というのが安心につながっている。電車ならなおのことだろう。路線は全線単線で、淡々と走る。さてアテンダントは? というと主に切符を売っている。新西金沢からのお客が多いので、販売に手間取っているようだ。だけど、残念ながらえちぜん鉄道ほど存在感がない。駅はほとんどが無人駅なので乗車時に整理券を取って、料金は降車時に運転士横の料金箱に入れるバス方式なのだが、アテンダントがこの位置に立っていることは少なく、また立っている場合でも乗客は直接料金箱に入れている人が多かった。えちぜん鉄道ではアテンダントが積極的に切符や料金を受け取り、またほとんどの乗客に切符を販売していたのに比べると対照的である。なんだか存在感が薄いのである。もちろん絵池泉鉄道と単純に比較することは難しい。えちぜん鉄道では始発の福井駅などのほか、乗降客の多い駅は駅員がいて切符を販売しているのに比べるとこちらはほとんどが無人駅になる。だから、切符の販売量が増える。また、観光客は少なく、沿線案内などの必要もない。アテンダントの必要性が薄い、ともいえる。もっとも、えちぜん鉄道でもアテンダントの必要性は? と言われたのだから活躍するのはこれからかもしれない。

電車は30分弱で鶴来駅に着く。ここに車両基地などもあり、機関車も見える。来月からはここが終着駅になるわけである。
さて、葬式鉄である。野町駅付近から乗り込んだ”鉄”と思える人は3人。3連休の初日だし、廃止は2駅間だけ。こんなものか…と思った。が、鶴来駅に着いて驚いた。先頭付近には数人のそれらしき人たちが待っていて、一斉に乗り込んできた。まあ、廃止になるのはこの区間。ここだけ乗れば十分ともいえるけど・・・。それはさおき、乗り込んだ”鉄”で運転席直後は埋まった。それまで明るかったのが暗くなったように思えた。始発から乗って座っていた”鉄”、あわてて運転席後ろに立った。ここでは皆、進行方向にカメラを向けている。とても異様に思えてしまった。途中駅、降りる人もいて、当然無人駅なので先頭から、となるが、料金箱付近は”鉄”が占領している。邪魔になるのでは、と思っていると出口近くの人がさっと降りて道を開けた・・・。と感心していたら単に降りてビデオを撮りたいだけだった。料金箱の上に荷物を置いている人もいる。これでは乗客には邪魔になるだけ。とても残念である。

最終、加賀一の宮駅、実はここは以前に来たことがある。といっても小学校の頃である。それでもなんとなく駅には見覚えがあった。が、記憶にあるのは外観だけ。内部は全く見覚えはなかった。レールは、更に先まで伸びているように見える。実際、以前は伸びていたのが廃止になっている。が、駅の先は草などもあり、廃線らしい雰囲気になっていた。中途半端な位置、とも感じる。白山比盗_社は近いのだが、ここは町はずれで、初詣以外はそんなに多くの人が行くわけでもない。廃線は仕方ないのかもしれない。
折り返しに時間があるので駅の正面に出てみる。数人の”鉄”が一生懸命写真を写している。やはりどこか異様に思える。丁度乗り合わせた初老のご夫婦、タクシーを呼んでいたのだが、この光景に驚いたのか、私に”なぜ?”と話しかけていた。”間もなく廃止になるから・・・”と答えたところ、納得されたようだ。 熱心な”鉄”、独特の雰囲気があるのでやはり近寄りがたいのだろう。その点、私は”鉄”と言うほどではなく単に鉄道を楽しむ程度だから話しかけやすいと思う。”鉄”、鉄道好きの私からみても特殊で全く別世界の人のようにも思えるし、大型カメラにリュックあるいは一目でカメラバッグとわかるカバン、時々見はしたけど数人が集まっているのはやはり異様だと思う。そして、駅前には約3台、”鉄”らしい人の車があった。鶴来駅で多くの人が乗り込んだのは、先行する電車で来たからではなく、初めから廃線部分だけ目当てに来た人が結構いた、ということになるのだろう。鉄道に乗りに来るのだからその途中も鉄道で、というのは普通人の発想でしかないのだろう。廃線と聞いて集まる・・・葬式鉄、などと好まれないのが分かるような気がした。
私に話しかけられたご夫婦、岐阜から来られたそうで、白山比盗_社までは毎年来ておられるそうだ。今までは車だったけど今回は電車で。ここからは歩いて5分となっていたが脚が悪くて厳しいのだそうだ。数少ないまともなお客である。廃止以降は、白山比盗_社へは鶴来駅からバス、となるのかもしれないが、初詣はどうなのだろう? 5分なら歩けるけど、バス乗り換えでは利用しにくいと思う。だったら金沢からバスで? あるいは車で? これも収入減につながるのでは・・・と心配になる。

帰りの電車、予想以上に平静だった。”鉄”はせいぜい3人程度。それも、比較的一般の人と見分けがつかない人が2人。途中駅から一人乗ってきた人も含めて鶴来駅で降り、残りは一人。やはり廃線部分だけが目当て、ということか・・・。

北陸鉄道石川線、1.5時間程度の小旅行、結構楽しめたのだが、”鉄”の嫌な面も見たような気もする。それはさておき、アテンダントには今後も期待したい。

200910月末で廃止となる、加賀一の宮駅

加賀一の宮駅で撮影する葬式鉄らしき人々。


えちぜん鉄道、アテンダントの話 2009/10/7

えちぜん鉄道、福井駅と三国、福井と勝山を結んでいるローカル私鉄である。以前は京福電鉄であったが、事故が続いて運行停止命令がでてしまった。電車の運行ができず、バス代行となり、設備投資も必要なためとうとう廃止届が出されてしまった。バス代行のニュースを聞いたとき、私はそのまま廃止になる、と思った。しかし、第三セクター、えちぜん鉄道として復活した。バス代行時、利用者の一部は自家用車に移行し、その結果道路が大渋滞し、交通に大きな支障がでたそうだ。また、沿線住民の応援もあって、復活した。
えちぜん鉄道、最近の鉄道にはない特徴が 2点ある。まず券売機がないことである。小さな私鉄でも券売機は当然であるが、あえて廃止。これは、乗客の年齢層を把握するためと、お客様との対話を大切にするためだそうだ。(切符自体は発券機で作成している)
2番目、これが最大の特徴で、乗客対応のアテンダントが乗車していることである。電車の乗務員といえば車掌を思い浮かべるのだが、アテンダントの業務は異なる。では何をする? このあたりはアテンダント嶋田郁美さんが書かれた”ローカル線ガールズ”(メディアファクトリ刊)に詳しい。非常に面白い本であり、お勧めしたいが、それとは別に私が実際に乗った感じを書いてみたい。

えちぜん鉄道は、 JR福井駅に隣接する福井駅から発車し、 2駅目の福井口で2方向、勝山と三国方面に分かれる。それぞれ別々の 2路線として運行している。やはり両路線に乗りたいが、ただ鉄道に乗るだけではもったいないので、勝山と三国の資料館も合わせて訪問する予定である。この範囲には新しく見つけた資料館が約6館ある。これをえちぜん鉄道を使って訪問、となると結構難しい。ローカル私鉄なので駅が多いこともあり、福井から勝山、福井から三国、いずれも約1時間かかる。行って帰ってくると往復約4時間になる。これに見学時間を加えると結構な時間になる。しかも一部の資料館は駅から離れている。1日で訪問できるか? と調べていると更に新たな3館が見つかり、これではどうがんばっても1日では無理なので、えちぜん鉄道を楽しむことを重視し、比較的駅に近い5館に絞って出かけることにした。とはいえ、福井駅は7時半が目標。早起きしなくてはならない・・・。
えちぜん鉄度には一日乗車券がある。これは土曜休日限定で 800円。福井から勝山や三国に行くだけで750円なので、片道だけでほぼ元が取れてしまうような激安切符である。あとで計算するとこの日約3000円分乗っていた。ちょっと申し訳ないような格安切符である。福井駅には予定通り 7時半頃に着き、早速福井駅の窓口で(昔の)お姉さんから一日乗車券を買う。大版でなかなかよい。出札が窓口だから、改札ももちろん有人。昔ながらの鋏を入れてもらう。北陸地区のJRはスタンプなので鋏は久しぶりである。これだけでもうれしくなる。そして、”一日お楽しみください”と声を掛けてくれた。本当なら気のきいた返事をすべきなのだが、発車まで1分を切っていて、気持ちはあせってしまっている。実は、駅には5,6分前に着いていたのだが、朝食がまだなので急いでコンビニに行き行列に並びながらサンドイッチとコーヒーを買ってきたためである。返事もそこそこに急いで乗り込んだ。
勝山行きの電車は2両。いわゆるクロスシート、 4人のボックス席のある電車である。電車は2両あるけど、無人駅では運転手さんのいる先頭のドアから降りることになるので、2両目まで来る人はほとんどいない。1両目には短距離らしい高校生が時々立っているのが見えるけど、2両目はがらあき。まだアテンダントは乗務していない。ここはのんびりとローカル線旅を楽しむ。今朝は冷えたから? 遠くが霞んでいるようにも見える。山の麓付近に部分的に霧がかかっているように見えるところもある。そんな朝らしい景色を見ていると、ふいに銀色の巨大な卵が見えてきた。勝山にある恐竜博物館である。ここまで1時間弱なのだが、あっという間に着いたように感じる。
今回勝山の目的はできたばかりのはた織り関連の資料館。駅から少々あり、 Webではバス利用になっている。しかし、バスは当分こない。歩くことにした。15分程度? と思っていたが20分で到着。もっとも、これでも開館の9時までまだ5分ある。周囲をうろうろして待つ。今日も一番乗りかな? と思っていると妙な家族連れが来て、私が先に開館を待っているのはわかるだろうに、開いたドアから割り込むようにさっさと入る。まあ、このくらいのことで怒ってもしょうがないのでおとなしく隣で待つと、財布をひっくり返してゆっくりとお支払い。更に機織体験の申し込み。小銭が足りないからどうのこうのと結構時間が・・・。もっとも、待ったようで2分少々。文句を言うほどではないか・・・。
ここは機織りの工場だったところ。糸を巻き取る機械が動いているのはなかなか面白い。そして、機織りの機械も動かしてくれた。こういう機械を見るのは初めて? と聞かれるが、私は名古屋でもっと古いタイプの機械も見ているし、能登地区で実際に動いているのも見ている。で、それを話し、”○○が違う”というと言うと、結構詳しい、と思われたようだ。いろいろと説明してくださる。
のんびり見たつもりでも25分。展示がそれほど多くはないので時間はかからない。次の電車は 9:40? 駅まで歩いたのではどうせ間に合わないのでゆっくり歩く。空いた時間は駅をゆっくり見るつもりである。ここには恐竜の博物館もあるので、街中には恐竜の小モニュメントも多い。やがて駅が見え、時刻は40分に。 が、踏切が見えているのに電車は通らない。 45分頃に駅に着くとホームにまだ電車が止まっている。時刻表を見ると発車は9:49だった。時刻は記憶違いだったようだ。得したような気分で改札を通るが、もっと駅を見ておきたいような気持ちににもなる。こんどの電車は1両。そして、いよいよアテンダント乗務の列車である。
アテンダントは、だいたい電車の先頭に立つ。が、アテンダントの重要性はまだみえない。私も来るときと同じように景色をたのしんで乗っていた。ではアテンダントの役割は? まず車掌業務ではない。ドアの開閉は運転士さんが行う。そして、駅の案内もテープである。無人駅での料金収受も運転士さんだけでも行えるようになっている。つまり、アテンダントが何もしなくてもちゃんと電車は動くのである。アテンダントの仕事は? まず、無人駅で乗り降りの際の切符の販売と受け取りである。そして、お手伝いが必要なお客の手助け、沿線案内・・・となる。でも、この電車に関しては、幸か不幸かアテンダントの有用性を感じる場面はなかった。福井に10時頃着く列車で、ほどよい混み具合だからかもしれない。そして、用務など乗りなれた人が多い。実際、同席になった人は”アテンダント、時々見かけるけど、どうして必要なのか分からない・・・”と話していた。この電車に関しては確かにその通りだろう。もちろん、切符を売るだけでも乗り降りがかなりスムーズになる。バスの整理券方式では時間が掛かる。もしアテンダントがいなければ、多くのお客の降りる福井駅の改札で払うことになるが、一斉に降りるから改札が混むだろう。10分近く待たされるかもしれない。が、この時点ではそれ以上のことは見えなかった。この程度? と感じたのも事実である。

今回は福井の手前、福井口で三国港行きの電車に乗り換える。こちらは比較的空いていて、適度に座っているボックス席の中に空いていた席を見つけて座る。昼のローカル線としては多いかな、と感じる。この電車で初めてアテンダントを呼びとめてみた。聞きたかったのは三国港駅での折り返し時間。今回の目的である資料館、最寄り駅は三国駅だけど、折角だから終点の三国港駅まで行って折り返し、全線乗ってみたかったからである。もちろんこの回答はすぐにあった。
10分で折り返し、とのこと。まず、三国港駅まで行くことにした。乗り続けてそろそろ三国港駅、と思っていると道路の下を横切る橋が見えた。これが煉瓦造り。形もよさそう・・・と思っていたら煉瓦が斜めにねじれるように積まれている。「ねじりまんぽ」である。これは、斜めに横切るときに使われる手法である。知識として知っていたのだが、実際に見るのは初めてである。また、ねじりまんぽが北陸にあるとは知らなかった。三国港駅についてホームの端まで行き撮影するが、真正面すぎてねじれが見えない。撮影できる場所は? と思ったが近寄れないような感じである。こういうときはアテンダントに? 聞いてみたけど、やはり近寄るのは無理なようだ。それにしても、ねじりまんぽをご存じのようだ。さすがである。

ねじりまんぽを電車から撮影しながら三国に戻る。ここで資料館などを見学する予定であるが、その前に食事をしたい・・・。食事は何でもよいのだけど、博物館訪問時は大抵は丼物や麺類などで軽く済ませている。短時間で済ませてしまいたいからなのだが、地元の人が使うような街角の食堂でよい。なにかあれば・・・と思いながら資料館の方向に向かうが、見つからないまま着いてしまった。まだ12時前だから特別な空腹でもないので、そのまま見学。古い町屋であるが、ボランティアの説明を受けながらの見学はなかなか楽しい。屋根の中央部に石が載せてある、というのは気がつきにくい特徴である。続いて旧銀行の建物を見学。ここもボランティアの方が説明してくださる。格式ある手の込んだ内装で、漆喰による装飾が美しい。その後は町を横断して美術館に向かう。ここに住まわれていた作家の展示がある。古い民家で、アトリエもあり、家具類はないけど、床や天井には絵具の跳んだ跡などがある。その奥の展示室は大きな長方形で、両側がガラス。筒みたいな建物である。景色も合わせてみるような感じになる。広い空間なので、誰もいないのをよいことに床に座り込む。これは楽で作品鑑賞がしやすい。さすがに寝っ転がりはしないけど、それも出来たらいいな、なんて思ってしまう。ゆっくり見て駅に戻る。結局食事はできなかったので、電車の待ち時間、駅に売っていたタイ焼きで
3分で済ませる。
電車、逆方向の三国港行きに乗り、ねじりまんぽをもう一度写して駅で待つ。中年の女性 2人組が近所の観光についてアテンダントに尋ねている。10分の折り返しぎりぎりまでかかった。その間、電車の撮影をしている人たちが新たに乗り込む。この福井行きの電車、アテンダントがとても活躍していた。電車の撮影していた人には、撮影のポイントなどを紹介していた。観光案内に掛りきりだと思ったのに、撮影している様子をしっかりと確認していたようだ。私もねじりまんぽを再々度撮影していたので、”鉄”扱いで案内してくれた。私はただ鉄道を楽しむだけだけど、対応はうれしい。そして、途中から乗ってきた小学生らしい女の子、アテンダントに行き先を聞かれて”タイ焼きを売っているとこ”と。沿線にはタイ焼きを1匹 1匹作っている店があり、車内でも紹介されている。その駅を案内し、切符を売っていた。もちろん降りる駅でも声を掛けていた。こういう、ちょっとあいまいな乗車への対応はアテンダントならではだろう。アテンダントなしでは、たい焼きを買いに行けなかったかもしれない。また、常連のお年寄りにも話しかけていた。多少プライベートなことにも入り込むウェットな対応、えちぜん鉄道では乗客を増やす意味でも非常に効果的だと思う。もちろんドライな対応を望む人もいると思う。でも、観光客には控えめな対応から入っているので、その点は大丈夫なようだ。
この対応、アテンダントがドア扱いをしないことが有効に働いていることがわかる。ドアを扱うとなると、駅ごとにドア操作に行かなくてはならない。しかし、それを行わないのであれば、対応を続けることもできる。えちぜん鉄道、駅の数が多いので、ドア扱いをすると乗客への対応は中途半端になると思う。もっとも、多くの場合うまく短時間で処理をし、ほとんどの駅で乗り降りする乗客に対応していた。この電車では”アテンダントがなぜ乗っているの?” とは言われないだろう。
えちぜん鉄道は、春江付近では、田園地帯を走る。広々として気持ちが良いが、逆に退屈しそうな感じもある。ここで、田んぼの中に咲く白い花は蕎麦であることを紹介していた。これ、うっかりすると見落としてしまうところである。適度の観光案内でうれしい。また、乗っている人にも適度に声を掛けている。で、”ローカル線ガールズ”の著者、嶋田さんのことを聞いてみた。すると、福井で折り返して福井口駅で嶋田さんと交代する、とのことである。初めの予定ではそのまま福井駅まで行ってお仕舞いにしようかと思っていたが、それなら福井口駅で待ち伏せ(?)することにする。
福井口駅で降りた電車が福井まで行って折り返すまで 20分程度。一度駅から出たが、この程度の時間では何もできない。自動販売機で1本飲む程度である。ホームに戻り、勝山からの写真を撮っていると乗客に混じってアテンダントが降りてきた。そして、三国行きのホームに。なんとなく写真で見たような? と思って名札を見ると嶋田さんであった。早速お声を掛けるが、まもなく電車が入る時間だし、お仕事中なのだから早々に打ち切る。だけど、本のイメージがそのままで非常に感じが良く、うれしかった。
入ってきた電車には先ほどのアテンダントが、そして入れ替わりとなる。御礼を行って乗り込む。そのまま三国まで行きたくなるが、それでは福井付近の資料館に行けなくなるので田原町で降り、福井鉄道で折り返すことにする。福井鉄道は福井市街と武生を結ぶ路線で、郊外電車であるが福井駅近くは路面電車となっている。福井駅まで利用することにした。
が、まだ時間がある。田原町駅で切符を買ってみることにした。乗車券もなんなので入場券にする。窓口で買うことになるが、切符は発券機を使う関係で比較的薄い紙に印刷したものになる。硬券でないのは残念だが、そんなに売れるものではないから無理だろう。もっとも、あればそれなりに売れるとは思うけど・・・。で、鋏を入れてもらい、そのまま入らずに戻る。不審に思われないように一日乗車券を見せ、記念であることを伝え、福井鉄道で戻ると言うと、あちらも路面を走るので面白いですね、と。こういう一言がとてもうれしい。

さて、アテンダントである。個人的には、アテンダントの給与その他で一人一月○○万円、□人? なんて計算をついしてしまう。それだけの効果はあるのだろうか? もっと具体的に言えばアテンダントが乗車することで増収になるのだろうか? と考えてしまう。この判断は難しいだろう。だけど、私が乗った休日の数本の列車だけでも、アテンダントの手助けがなければ乗る人は減るかも・・・と思う場面があった。アテンダントが手助けしてくれるから乗る。そういう人は結構いるだろうな、と思う。そして、アテンダントがいることで電車への不安が減る。これも事実だと思う。今日は休日だけど、平日なら通院するお年寄りも増えると思う。足元に不安のある人も少なくない。アテンダントはとても頼りになることだろう。バスのように段差がないとはいえ、ホームとの間に隙間もあるのだから。
アテンダントによる増収、経費以上になるか分からない。だけど、利用しやすくなるのは事実である。
えちぜん鉄道、アテンダントを中心に書いたが、駅員の方など、利用者のことを考えていることがよくわかる。乗客本位の鉄道運営、アテンダントはその中のひとつ、であると考えるのが適当と思う。乗っていて気持ちの良い鉄道である。私自身、また乗ってみたいと思う。ローカル鉄道の新しい取り組みとして正しい、大胆な方法だと思う。この取り組み、応援したい。い。


京阪 京津線 2009/10/3

京都地下鉄から大津に向かう電車、京都地下鉄東西線から御陵駅で別れ、京阪京津線となり、浜大津駅へ向かう。この路線、距離は短いのだが、なかなか変化に富んでいる。どのような路線か、その面白さをここで紹介する。
最初は地下鉄である。京都地下鉄の東西線は比較的新しい路線で、ホームにはドアがある。他の地下鉄では柵と低い扉、というのが多いのだが、ここは新交通などにあるように、ガラスなどで完全に仕切られている。安全面ではより良いのだろうけど、電車のホームらしくない気がする。電車の走る音や風が少ないのでたとえて言うとエレベータに乗るような感覚になってしまう。とはいえ、乗ってしまえば普通の地下鉄みたいなものである。
地下鉄は御陵駅で京阪浜大津方面と地下鉄の六地蔵方面とが分かれる。このホーム、一見普通の島式のように思えるが、方向別になっている。そして、上り下りは、上下2層になっている。京津線方面へは、ここで運転士が交代する。御陵駅を発車するとしばらくして地上に出る。運転席後ろの幕、地下区間では下がっているが地上に出ると電動でするすると上がる。遮られていた視界が一気に広がる。地上に出て最初の駅は京阪山科である。ここは地下鉄の山科駅も隣接しているのだが、それとは別の駅である。だから、地下鉄で浜大津方面に向かう電車にうっかり乗ってしまい、京阪山科駅で降りると京阪の運賃が加算されてしまう。駅自体は隣接しているので利用者としては注意が要るかな、と思う。電車内には注意書きもある。本当は山科で分かれればすっきりするのかもしれないが、無理な事情もあるのだろう。
電車、地上に出ると山越えになる。オーバーに感じられるかもしれないが、山越えが似合うような急勾配である。大谷駅は40‰の急勾配の途中にあるのだが、ホームにある長椅子は足の長さを左右で変えて座る面が水平になるようなっている。普通の長椅子ではずり落ちそうになるのかもしれない。立つのもちょっと落ち着かないかもしれない。40‰、これは1000m進んで40m登る(下る)勾配である。これもかなりの急こう配であるが、この路線で最も厳しい勾配は約61‰。普通の鉄道(ラックレールやケーブルカーではない鉄道)としては箱根登山鉄道に次いで日本で2番目になるそうだ。61‰といえば、1000m進んで61m上がることになる。数字では大したことなさそうに思えるかもしれないが、これは車でも結構きつい勾配である。自転車だと押して歩く人も多くなる。
山越え路線らしい特徴はもうひとつ、急カーブである。この路線には、線路脇の標識で見ると半径80mのカーブが連続しているようだ。通常の鉄道では平野部で半径600m程度までなので相当の急カーブになる。それがいくつも連続するのである。鉄道の場合、急カーブになると内輪差が吸収できず空転し、キーキー音を立てることがある。半径80mともなると非常に厳しいので、レールに水を撒いて摩擦を減らしている。京阪の場合レール脇に散水装置があり、電車が近づくと水が出ているのが見える。同様に急カーブの多い箱根登山鉄道では電車側に水を撒く装置があるそうだ。
ところで半径80mのカーブはどんな感じか? 運転席後ろに立っているとものすごいカーブであるのがわかる。カーブに掛かると電車のすぐ前、身を乗り出してみないとレールが見えない、そんな感じに思える。正面には壁が迫っていたり、住宅があったり・・・。ジェットコースター感覚である。そして、後ろを振り返ると窓から隣の車両が見える。電車が折れ曲がっているのだが、くの字を通り越しているように思えてしまう。そんなカーブの連続だから、当然速度制限も厳しい。30Km/h制限、時には20Km/h制限もある。でもカーブ以外をこんな速度でゆっくり走っていては時間がかかりすぎるので速度は上げる。カーブの手前で55,40といった制限速度の札がATSのところに見える。30Km/hがいきなりではブレーキも間に合わないので手前から安全装置が働くようになっているのだろう。運転を見ていると、カーブを回りきったところで加速、ぎりぎりで減速とあわただしい。
勾配を上って降りると最後は路面電車となる。道路を走る電車、少ないけれど全国各地にある。が、ここは地下鉄対応の、4両編成の大型車両が道路の真ん中を走るのである。通常の電車、ホームから見ても大きいが、道路を走ると更に1m高く見えるのだから存在感は大きい。この車両が4両である。歩行者として歩道から見るには楽しいが、車の運転をしていると怖いのでは? と思う。私の今回の大津行き、大津までの往復は車であったが、この道を走って車から電車を見たい、とは思わないでもないが、その勇気は無かった。道路走行、電車側も苦労があると思う。大型の地下鉄用の車両、減速は普通の路面電車よりは遅いだろう。そのためか、遠くに右折の車が線路を塞いでいると早くからスピードを落としているように思える。さぞかし運転しにくいことだろう。京阪、今回紹介する京津線のほか、石山坂本線も浜大津近くで道路上を走行するが、ここは道路が狭くて歩道もないので、自転車の後ろをゆっくりとついていったこともあった。これもまた運転しにくいだろうな・・・と感じる。
さて、路面走行の最後、電車は交差点を曲がって浜大津駅に入る。交差点に駅ホームが隣接しているような感じである。交差点手前から見ると、正面に石山坂本線のレールが見え、そこに交差しながら大きく曲がって駅に入る。その半径はわずかに40m。無理やり曲がって駅に入るように見える。この交差点から電車を眺めると視界が電車で塞がれてしまうようにも見える。また、橋上の駅に隣接する歩道橋から見下ろすのもまた面白い。

京都地下鉄三条京阪駅から浜大津まではわずか22分、遊園地の乗り物的な、面白い路線である。運転席後ろから見ることをお勧めしたい。

大谷駅のホーム

半径80mのカーブにて。
ほぼ正面を写しているが、レールはほとんど見えない。
奥のレールは複線の反対側のレール。

摩耗防止の散水

浜大津前にて
前方に京阪石山坂本線のレールが見える。

道路上を走る4両編成の地下鉄用電車。

歩道から見た電車。
正面が浜大津駅



ねじりまんぽ 2009/9/20

ねじりまんぽ、なんだかユーモラスな言葉である。これが何か説明する前に写真を見て欲しい。これは福井県を走るえちぜん鉄道の三国港駅近くで、鉄道を道路が越える眼鏡橋の内側である。煉瓦積みのトンネルのような感じだが、煉瓦が斜めにねじれるように積まれている。


ねじりまんぽ、なぜこのような面倒な積み方をするのか? この場合、道路に対して鉄道が斜めに横切るのだが、そのような場合に使われる手法である。普通のアーチをずらすように積むと必要な断面は確保できないだろうし、普通のトンネルを斜めに掘ってゆく両橋の壁の部分が処理できない? それらを勘案してこのよう形になるそうだが、高度な技術がいるため、数はすくないそうだ。Webで見ると日本には約30程度しかないらしい。
この写真、橋の下の部分には近づけないようなので、鉄道から撮影した。

ねじりはよいとして、”まんぽ”の意味は? これはトンネルを意味する方言らしい。



581/583系への思い 2009/8/23

581/583
系は、寝台特急電車である。昼は4人のボックス席が夜は3段式寝台に変わる。昼夜兼用の非常にユニークな電車であった。昼は座席特急として、夜は寝台列車として走ることができるため、車両としての効率は良い。しかし、座席が特急なのに2人席ではなくて4人のボックス席であること、そして寝台も2段式が徐々に主流になる中で3段式であることなど、不人気になってしまった。現在、特急としての運用はなく、急行の”きたぐに”に使われるほか、臨時列車にも使われているようだ。

さて、この電車、一部は大幅に改造され、北陸線を普通列車として走っている。扉の近くは通勤への対応としてロングシート化されているが、中央部は元の寝台兼用の座席が残る。座席上部は、寝台としての構造が残っているようにも見える。今夏も青春18切符を使って普通列車で旅をしているけど、この旧寝台電車も何度も利用している。乗ってみて感想であるが、座席は元特急用だけに非常にゆったりしている。北陸線は普通用には古い電車が多く、元急行用でボックス席を使う機会が多いが、それに比べると幅は広くて間隔も広く、クッションも厚い。背もたれの角度も緩く、長時間座っていても疲れない。座席は快適である。その一方で、寝台構造が残るために圧迫感のようなものがある。座席の上には中段ベッドの下部がせり出していて、その内側に網棚があるからだろう。座席間の仕切りも厚く、また見通しが悪い。窓も小さめで、肘掛が壁に埋め込まれている・・・。天井は寝台車なので高いのだが、これらの構造のために狭く、どうしても圧迫感を感じてしまう。そして・・・もともと2重窓でブラインドがあった部分を1重窓にしてカーテンをつけているので見た目も悪い。このため、座席は良いけど旧急行形の方が快適に思えてしまう。
だけど・・・設計の妙には感心してしまう。網棚を跳ね上げてできた空間から中段ベッドを下ろし、網棚の上に上段ベッドを置く。こんなすごい構造、よく考えたものだと思う。圧迫感があるのは事実だけど、普通の寝台車に昼も乗ることを考えるとそれよりは優れているように思う。B寝台をコンパートメント風に、となるとグループ客以外は乗りにくくなってしまう。網棚もきちんと確保されていることも良い。これだけの構造を考え出した設計者、素晴らしいと思う。

581/583
系、名列車ではあったと思うけれど残念ながら今となっては非常に乗りにくい列車になってしまっていると思う。まして、普通列車用には向かない。普通列車向けに改造されて既に20年以上走り続けている。シートなどは張りかえられているものの内装の痛みは激しい。電車自体は丈夫だろうけど、内装は剥げた部分もあり、相当無理している。元特急用だけに余計痛々しく思えてしまう。
そろそろ電車を更新してほしいのだが、更新が遅れている背景には北陸線が交流電化であることもあると思う。同じ交流電化でも九州は独立性が高いから交流専用でよいが、北陸線は他の線へも乗り入れることが多い。だから、高価な交流直流兼用の電車がいる。これで渋っているのかな、と思う。JR西としては、本当は直流電化にしてしまいたいだろうし、実際、直流電化の範囲も地元自治体負担などで広がっている。これを狙っているのかもしれないが・・・。だけど、特急には最新の車両が投入されているので格差が大きすぎるように感じてしまう。関西や中京の新快速並みの車両が入ると、最近増えてきている都市間高速バスにも対抗できると思うのだが・・・。


国鉄色の急行型電車 2009/8/23

青春18切符で関西方面に出た。金沢から関西は遠い。早朝の特急列車(18切符では乗れないので乗車券も別途購入)を途中まで利用し、時間を稼いだ。帰りは時間に余裕があるので通常通り、普通列車である。このとき、武生駅で乗り継いだのがこの電車である。交直両用の急行型電車である。そして、手前の色、これは国鉄時代の色である。久しぶりに見て、しかも今の塗装(普通列車に利用)と並んだので嬉しくなった。

この色の電車、子供のときから乗り続けている。(車体下部のラインは無かったと思うが・・・) 本来は急行用であるが、普通列車にも使われていた。だから、長距離で急行として乗っても同じ電車、ということになるのだが、不思議と違和感はなかった。座席は4人のボックス席。これは、電車ではない客車の普通列車も同じ、ということもあるだろう。普通も急行も同じ電車、というのは都市部では不思議かもしれないが、北陸線では普通のことだった。
その後、JRになっても電車自体は同じだが、急行が無くなって普通列車専用になり、白っぽい色に塗り替えられ、車両の端が通勤対策としてロングシートになった。少し前に急行として復活運転され、その際に国鉄色に戻った車両なのかもしれない。この色、少し地味ではあるが、非常に良い色だと思う。

さて、この車両、普段乗っていたとはいえ、時には急行として乗ったこともある。主に関西方面行きとしてである。その中で思いで深いのは”立山”である。富山から大阪方面に向かう急行であった。私の実家の最寄り駅、停まるのは急行までで特急は停まらない。立山は、大阪方面への一番の優等列車であった。時々、新婚旅行に出かける人の盛大な見送りも見られた。列車は12両編成で、2両のグリーン車に加え、ビュッフェも連結していた。座席は急行用だけど編成は今の特急以上に豪華な時代である。車両は同じだけど、長距離の乗車。わくわくしたものである。

今は普通列車専用。だけど、かっての国鉄急行色。どこかわくわくするものが残っているように思う。


えちぜん鉄道、アテンダント 2009/8/14

えちぜん鉄道は、福井市と勝山、三国を結ぶローカル私鉄である。以前事故が続けて起き、存続が危ぶまれたのだが、運転休止中は道路が大混雑になったこともあり、地域の人の支援もあって第3セクターとして再開された。えちぜん鉄道、昼の時間帯、アテンダントが常務し、乗車券の販売・回収や観光・接続案内の車内アナウンス、高齢者などの乗降時のサポートなどを行っている。お年寄りの乗客、観光客などに公表だそうだ。

えちぜん鉄道のアテンダントに関しては、アテンダントが書かれた”ローカル線ガールズ”が出版されている。私はこの本を読み、ぜひ一度乗ってみたいと思っていた。今回、青春18切符での旅で、福井駅でちょっと時間があり、えちぜん鉄道のことを思い出し、駅まで行ってみた。残念ながら乗ってみるだけの時間はなく、入場券で入ったところアテンダントが丁度降りてくるところであり、折り返す間にほんのちょっとお話できた。乗務中の非常にあわただしい時間にもかからず、とても丁寧に応対してくれたのはさすが、と関心した。私が一眼レフカメラを持っていたこともあり、撮影目的と思われたのか、”○分に次の電車が入ります。”と案内もしてくださった。当然、一般のお客にも的確な対応であり、非常にすばらしい対応と感心した。これだけでもぜひ次の機会には乗ってみたい・・・と感じた。そして・・・次の電車に乗る(えちぜん鉄道ではなくJR・・・)ために駅を出たとき、なにげなくふとえちぜん鉄道のホームを見るとアテンダントが立っておられ、私と目が合った直後に軽いお辞儀を・・・。ほんのわずかな間だったのにお客対応のプロと感心した。ほんのわずかな間なのに、次は是非えちぜん鉄道に乗るために来たいな、そう思った10分間であった。



ローカル線ガールズ、嶋田郁美著(えちぜん鉄道 アテンダント チーフ)、メディアファクトリー刊


サンダーバード2号 2009/3/16

サンダーバードは、1960年代に放送されたテレビ番組である。引退した大富豪の設立したボランティア組織、国際救助隊のさまざまな災害での活躍を描いたもので、サンダーバードは、国際救助隊の使用するマシンの名称である。
 サンダーバード1号: 移動指令所として、災害現場に急行、状況把握を行う。
 サンダーバード2号: 救助活動などに必要な機器を輸送する輸送機。
 サンダーバード3号: 宇宙空間での救助、またサンダーバード5号への往来に使用する宇宙船。
 サンダーバード4号: 水中での救助活動を行う潜水艇。
 サンダーバード5号; 宇宙ステーションで、世界各地からの救援要請を受ける。
この中では、サンダーバード2号が意外と人気があった。輸送機という地味な役割で、形も亀のようなずんぐりとしていてスマートとはいえないのだが、救助用の機器類を格納したコンテナを胴体に格納する、といった面白さもあってだろう。。

さて、もうひとつのサンダーバードである。サンダーバードはJR西日本の特急列車の名称として使われている。大阪と富山を結ぶ列車で、一部は能登の和倉温泉まで行く。この区間の特急、名称は「雷鳥」だったのだが、新型車両の導入を機に高速化、名称の一部にサンダーバードを使い始めた。雷鳥の”雷(かみなり)”と”鳥”のでおこじつけみたいにも思えるが、新型車量のイメージとも重なって定着した。(注: サンダーバードはインディアンに伝わる伝説の鳥であり、雷鳥(ptarmigan)とは別。) サンダーバード、大阪と富山を頻繁に走っているので、JRの特急列車の規則に則り、○号と数字を付けて区別している。当然、12号などもあるわけである。
今回、福岡の凧揚げ大会に行くのにJRを使ったが、折角遠くに行くのだから早く行って博物館見学も、と早朝発車(金沢を朝の5時台!)のサンダーバード2号を使った。この時間だから自由席で十分だろう、とは思うが一応指定席を確保した。”サンダーバード2号”の文字の入った特急券が欲しかったからでもある。でも、切符の購入時、みどりの窓口で”サンダーバード2号”というのはちょっととまどってしまった、というより口にした瞬間恥ずかしいような気持ちもほんのちょっとしてしまった。まあこれは私の思考にテレビ番組のサンダーバードがあるからである。窓口の(テレビのサンダーバードとは無縁であろう)若い女性は何のこだわりもないようだった。
そういえば歌にもなった新宿発の特急列車・・・。”8時ちょうどのあずさ2号で”と、みどりの窓口でいった人、きっといたと思う。(注: 列車番号は下り方向を奇数にするので、残念ながら新宿発のあずさ2号はもうない。今後も・・・)



風情ある町並みでの雑音・・・  2005/8/18

先日、ある町に寄った。
ここは、風の盆で有名なところ。どこか温かみを感じる町であり、街角にも風情があり、個人的にはとても好きな町である。このときは、この町の近くに所用があって通り抜けるだけだったのだが、ちょっと寄ってみたくなり、車を止め、ちょっと町に中を歩いた。
休日の昼、行き交う人も少なく、また観光客もすくなかった。見た目には以前と同様落ち着きある光景。、だけど、どうも落ち着かない。理由は・・・街頭にあるスピーカから流れる音楽だった。音楽と分かると、どうしても心がそちらに行く。その上、音の質も悪く、気になってしょうがない
ここ以外にも風光明媚な観光地などでこういう変な音楽はあり、折角景色を台無しにしていることは良くある。この町、以前に来たときにはこの音楽の記憶はなかった。最近流すようになったのか、限られた時間だけなのか・・・。いずれにしても、風の盆の風情ある町なのに、と残念に思ってしまった。

音楽、どこでも聞きたい人はいるだろう。だけど、それ以外の音が風情を高めてくれる場所では、音楽は邪魔なものである。特に静かな中に、町のほのかなざわめきを感じるようなところでは、音楽はそれをかき消してしまう。墨の濃淡で書かれた水墨画のそばで赤や青の原色の旗がはためいているようなものである。

この町・・・風情の分かる人が住んでいると思っていただけに残念である。


電車にて 2005/12/28

出張続きで、頻繁に名古屋に行っている。 

今月は何度も大雪で運休や大幅な遅れもあったのだが、幸い雪はやや落ち着き始めたようで、電車の大幅な遅れはなくなってきている。しかし、雪は以前ほどではないにしても降っていてる。また、降った直後に電車などが走ると風で雪を舞い上げてしまう。舞い上がった雪、あちこちに張り付くことになるのだが、電車の場合、床下の機器の周囲などに結構な量が張り付いてしまう。
雪、ずーっと張り付いているわけではなく、温まったりすると落ちてくる。鉄道の線路、高架の一部を除くと石が敷いてある。この石、列車の振動を吸収するなどとても重要なのだが、雪の塊が落ちると石が跳ね上がることがある。跳ね上がった石、電車のスピードが速いとより高く飛び上がってしまい、電車にぶつかってしまう。今までもそのようない音が結構していたのだが、今日は雪が少なめでスピードが上がっていたからだろうか? 一時たくさんの石が跳ねたような音がしていた。
金沢駅で降りたとき、窓ガラスが割れているのが目に付いた。応急処置がしてあったし、停車中に処置するような時間がなかったと思うので、私が乗る前に割れていたのだろう。応急処置、割れたガラス周辺にテープその他で破片が飛び散らないようにしてあるだけ。電車の窓ガラス、2重になっているものが多いそうで、割れるのは外側だけなので中のお客がガラスで怪我をすることはないそうだ。だから、応急処置だけで運転を続けられることが多い。話に聞いたことはあったが、実際に割れているのを見たのは初めてである。これは、跳ね上がった石がトンネルの壁など、何かにぶつかって跳ね返ってくることなどによるそうだ。

さて、福井の山間部など、相変わらず雪は多かった。金沢などは雪が少し減ったようであるが、ここはもともとが多かったし、降雪も多いのだろう。この近くに住む人や保線の人の苦労はまだまだ続きそうだ。
下の写真、12/14の大雪のときに折れた木の写真である。中央部に歩き。幹だけが残っている。先端、やや白っぽい部分が裂けるように折れた部分である。12/15に通ったときはもっと明るく見えていた。折れた木、ここのほかにも無数にある。まだまだ冬は始まったばかりなのにこの雪。これ以上大雪にならないと良いのだが・・・。



雪の中の列車にて 2005/12/22

今週末もまた、大雪になりそうな感じがある。
今週は名古屋出張で、58年ぶりという大雪にあったばかりなのだが、今日も名古屋では雪が舞い、時には強く降っていた。出張から帰る列車、北陸線も新幹線も遅れていたのだが、無事帰宅できた。夜の移動なので雪の様子は線路わきしかめなかったが、前回の大雪からそれほど大きく増えたようにもみえなかった。もっとも、今週は一時気温も上がったようなので、減った分が戻った、ということになるのかもしれない。

さて、今回は出張から帰るのに名古屋発の特急ではなく、米原発もの特急を利用した。米原発の特急、運転距離が短いので雪の影響も受けにくいのだが、その一方で運休させやすい電車、ともいえる。今回は幸いなことに運休にはならなかったが、遅れは先行の名古屋発とあまり変わらなかった。もっとも、新幹線乗り換えになるので、遅れを見込んで早めに乗ったので待ち時間は長くなってしまったので、時間は余分にかかったことになるだろう。

私の乗った電車、出発は20分程度の遅れだったが、新幹線が大きく乱れていたためだろうか、あるいは遅れを見込んで早めの新幹線に乗った人が先行列車に乗ったからだろうか、私の乗った指定席車両はがら空きだった。
途中、なぜか大阪からのサンダーバードを、北陸線と湖西線との合流駅で追い越したのだが、そちらは指定席にまで立つ人がいる位混んでいた。こちらは1両に数人。定員の1割にも満たない。なんだか悪いような気持ちになってしまった。サンダーバードに立っている人をこちらに移せば・・・? できればよいのだろうけど、駅での乗り換えに時間がかかり、10分以上の遅れが大きくなってしまことだろう。それに、特急券は1列車のみ有効、という原則もあって難しいのだろう・・・。

さて、途中の雪の影響もあり、遅れは大きくなった。滋賀県あたりでは、視界不良もあって速度を落としていると放送していた。そして、・・・雪の降り続く中、夜なのに保線の人が雪の中で立っているのがみえた。除雪の作業をしていて、列車の通過を待ってたのだろう。
雪の中、ほかにも作業をしている人はいると思う。また、鉄道以外の道路の除雪も夜が多い。数多くの人が、交通維持などのために働いておられることと思う。結局1時間程度の遅れになってしまったが、暗く冷たい雪の中を作業してくださったからこそ、この程度の遅れで収まった、と考えるべきなのだろう。
雪の中の作業、苦労さま・・・。

象潟、江戸時代の景観保護

象潟、ここは芭蕉の句でも知られている場所である。私の場合、古文の教科書にも載っていたこともあり、地名はよく覚えていた。
凧の大会で秋田に寄ったとき、周辺の博物館などを回ろうとして調べた際にこの地名が見つかった。幸い、そう遠くはない。そうなると、ぜひ行きたくなる。ちょっと足を伸ばしてみることにした。

まずは資料館に寄った。ここに、かっての象潟の模型があった。象潟の歴史、ここは鳥海山の噴火により小さな島が多数できた。模型で見ると、海というより湖に近い感じだが、そこに小さな島が多数ある様子をみると、さぞかし絶景であったことだろうと思う。
象潟、その後の地震による隆起で海であった場所が陸地となり、現在の地形となっている。今は、小島は田んぼに中に点在している。実際に見てみると、その様子、やはり不思議な感じがする。田んぼの中の異質な小島。とても違和感を感じてしまう。
農地のことから言えばこんな邪魔なものはない。さっさとつぶしてしまえば広くなるし、作業もしやすい。だけど・・・これをよく残してくれたと思う。実際、危なかったこともあったという。だけど、江戸時代に命をかけて保護を訴えた人がいたおかげで残された。その後もたぶん、危ないことはあったと思う。景観に対して何も思わなければとっくに消えてしまっているような光景なのだから。
象潟九十九島。ここへは車で乗り入れたのだが、ゆっくりと何度も止まりながら抜けた。小島の跡には松がある。周囲は元は水面。田植えの直前には田に水が張られ、かっての象潟に近い光景になると思う。
この光景を命を懸けて残してくれた先人に敬意を表したい。

さて、私が行ったのは平日の朝、やや遅い時間である。
農作業をしている人もいた。この景色に何の違和感もなく作業している。
まあ、この景色、毎日見ているのだから当然なのだけど・・・。

風に吹かれて  鉄道と旅の話