本多劇場 4/4〜4/13
4/12(土)ソワレ観劇。座席
F-13
(招待)
作・演出 三浦大輔舞台下手に2階建ての一軒家。兄夫婦と妹の三人暮らしの平凡な家族。2階が妹・久美(松村翔子)の部屋。上手には隣接する2階建てのアパート。1階に住んでいるのが田村(古澤裕介)。2階には今井裕一(米村亮太朗)が住んでいた。
若い女と不倫関係を続ける夫、その美人妻・ 橋本智子(内田慈)は、エロDVDを観ては自慰にふける。 夫の妹の久美は、合コンで顔をライターで焼かれ「一生焼跡が消えない」と診断されてしまう。火を付けた上村(岩瀬亮)は責任をとって久美とつきあうことにするが、承諾はしたものの身体が拒絶反応を示すのか帰り道では嘔吐する…。 アパートの1階は自分をイケメンと勘違いしている不細工な男・田村。自分を棚に上げ恋人である裕子(白神美央)の容姿を恥じていた。 2階は引きこもりの今井が住んでいた。今井は隣に住む 橋本智子にイヤらしい悪戯電話を繰り返す。今井の弟・隆司(脇坂圭一郎)は、顔の皮膚病にコンプレックスを抱いていた。加えてハンサムな兄に引け目を感じていた。隆司の彼女・里美(安藤聖)はメンクイに関わらず、隆司とつきあっていた…。
4部屋を舞台に、 第一章「傷」、 第二章「醜」 、第三章「性」、第四章「血」、 第五章「美」、 第六章「業」、最終章「顔よ」の七章で繰り広げられる「顔の美醜」に関する物語。感想を書くまで(書こうとするまで)かなりの時間を要した。それほど観劇後の疲労感はただものではなかった。加えて尾を引いていた。書き逃している公演が多い中、書こうと常に心にある公演でもあった。
「顔の美醜」に関する話が7章に分かれて展開していく。登場人物それぞれに抱えているコンプレックスは違うが、なにかしらの繋がりを持っている。 そんな人々の群像劇なのだが、集中して見過ぎてしまった為か、疲労感が凄かった。内容も凄かったけど。観劇直後に感じたのが、あんな物語(失礼)なのに、交響曲を聞いた後のように感じたことである。それは、それぞれのパーツが違う音色なのに一つになった時の共鳴の凄さを感じたからかもしれない。そして静かな引き際の静と動。なんだろこの素晴らしさは。いつもの“暴力”を少なく(ほぼなかった)、感情面での醜さを浮き彫りにしている点は、新しい展開ではないかと思う。だから一層重く、疲労感が強かったのかもしれない。“顔”に関する物語は三浦大輔が数年暖めていたものだが、みごとに開花したと思う。顔で人生が決まってしまうってのは大袈裟かもしれないが、影響力は大きい。自分の中にもあるコンプレックスを曝け出された公演でもあった。
ただ絶賛する気持ちとは裏腹に、評判が良すぎることに疑問も感じる。男のオナニーシーン(もちろん隠しはしない)とか、SEXシーンとか、現実をありのままに表現しただけだが、拒絶する人はいないのか?過剰表現だと怒る人はいないのか?それとも見て見ぬふりか?その表現方法を簡単に容認してしまうほど日本の文化は進歩したのか?…性表現のリアルさが受け入れられ過ぎて私は怖い。まぁ容認する私が書いていても説得力はないやね。
あと、ラストの悪夢的なシーンは鳥肌ものだったが、smartball『The Perfect Drug』のラストを思い浮かべてしまったり(同じ感想を抱いた人が「若手潰し」と冗談まじりで言っていた)、妄想という点では『人間失格』を思い浮かべてしまったりしたところは、残念であった。 次回公演は『愛の渦』の再演らしいが初演で見せた異世界をどこまで新しい表現で見せるか楽しみである。 ただの再演ではつまらないからね。役者で言えば松村翔子(チェルフィッチュ)がすごく良かった。あの性格の悪さの表現は絶賛したい。チェルフィッチュの公演は“演技”というよりは気持ちを言葉で並べる(その感情を特殊な動きで表現する)手法だが、その言葉での感情表現に“演じる”事が加わり、見事に性格の悪い女を作り上げていた。可愛いだけに性格の悪さが引き立つ。すばらしい。
最後に余談だが、本多劇場で通路までぎっしり埋まっているのは久々であった。補助席ではたらず通路に座ぶとん。立ち観も。それだけ注目度の高い劇団になってしまったんだなぁと感慨深い。
“ポツドール”自分が観た公演ベスト
1.騎士(ないと)クラブ〈再演〉 2.激情〈初演〉 3.顔よ 4.愛の渦 5.騎士(ないと)クラブ〈初演〉 6.男の夢 7.激情(再演) 8.夢の城 9.恋の渦 10.ANIMAL 11.人間失格 12.メイク・ラブ〜それぞれの愛のカタチ〜 13.身体検査〜恥ずかしいけど知ってほしい〜 14.熱帯ビデオ 【作・演出:溝口真希子】 1.「女のみち」 2.「女の果て」
作・演出・美術・照明・音響 タニノクロウ《作品説明》(当日パンフから流用させて頂きます)
昔々あるところに、雌の豚(ペテュ)と雌の羊(モルチ)が同居していました。二匹の部屋は少し変わっています。二本の木が生えているのです。十年前に突然、一本が空から降ってきて、もう一本は床下から生えてきました。二匹は最初は困っていたのですが、その木から少量取れる白い樹液がとてもおいしいものだということに気づき、いつしか彼女たちの貴重な調味料となりました。変わり映えのしない毎日のスパイス。シーンはそんな二匹の穏やかな生活から始まります。開演まで、舞台には緞帳が降ろされ、そこに真っ赤なライトが当てられている…その雰囲気がデヴィッド・リンチの世界のようで、陰美な匂いを醸し出していた(客入れで流れている音楽が演歌ってのもアンダーグラウンドっぽくていい)。幕が上がるとそこは、天井の低い白い部屋になっている(天井を低くしないとならない理由があるのだが、そこに生きずく二匹の豚と羊の行動にはその低さがとても合っていた)。作品紹介のように二本の木が生えており、窓の外には葉が生い茂っている。雨が降ると天井に生えている木から雨漏りがするので、その部屋の階上には部屋はないと思われる…。
【1幕】
1話「数式と豚みたいな顔」
2話「豊満な化石」
3話「ピーコの涙」
【2幕】
1話「ガリバーと軟鉄道の調子」
2話「実直な拘束者〜受験生〜」
最終話「恋人岬」1幕は雌の豚(ペテュ:島田桃依)と雌の羊(モルチ:瀬口タエコ)の会話からなっている。下手の扉からペテュの部屋へ、上手の扉からモルチの部屋へ続いているらしい。木の生えている部屋は共有のリビングって感じか。部屋に生えた木も下手側(下から生えている木)はペテュの所有物で、上手側(上から生えている木)はモルチの所有物である。下から生えた木は元気が良く樹液を大量に出しているが、上から生えた木は生気(精気)が弱く樹液がなかなか出ない。コを吹いている部分を発見したモルチは、その事が気になって仕方がない。そんなモルチは「ボート屋をやりたい」が口癖になっていた。
2幕(床の下から部屋出現!)。 受験生のムラシマ(山田伊久磨)は、気が付いたら、その部屋でガリバーのごとく拘束されていた。股間には階上の木の根が張っていた。そのうち上の階に人がいることに気が付く(人じゃないけど)。そして拘束された縄を解き放ち、階上に登るのであった。
こんな内容だけど、明確な物語の提示はない。タイトルのごとく“苛々する大人の絵本”の世界である。なので、その内容に関しては、それぞれ観る側が感じるままでいいと思った。
私が感じたのは、受験生が現実逃避で見た悪夢、いや悪夢とは違うな…甘美な妄想。う〜ん、甘美でもないか…。それは子供から大人への成長過程で見る、未知なる“性”への誘いを妄想として表現した世界だと感じた。ムラシマ(もしかしたら引きこもっているのではないか)は、“性”の対照を妹へ向けたり、母親へ向けたりするしか手がないのかもしれない。ただし、それは妄想の世界でしか実現できないことも理解している…。ラストで大量のスルメが出てくるが(臭いがキツイ!)、「精子臭い=イカ臭い」という大人への図式を意味しているのではないか、と深読みもした。まぁいろいろ考え過ぎの面もあろうが、それも個人個人の受け取り方の違いってことで…。パンフの言葉の中に「前進と発展や成長に対し大きな疑問を抱いて作った作品」と書かれてあった。それに 関しては「大人」への成長もあるし、劇団としての方向性もあると感じた。プロデュース公演の『野鴨』とか、仕事を受けてこなすのも必要だとは思うが、それによって失ってしまったものもあると思う。得るものも大きかったが、失ったものも大きい。そんなしがらみを振払うがごとく、全てタニノクロウが関わって作り上げた舞台なのが(本番のオペレートもこなしている)、今回の作品だと思う。そのおかげで、美術が半端なく凄い。特に階下のミニチュアの世界。遠くに見える海とか覗き込まないと見えないのに作りこんでいる。でも、この“変態的な世界”こそペニノの世界。
余談だが、小鳥のピーコってつげ義春へのオマージュ?って思った。でもつげ義春の作品はピーコじゃなくて『チーコ』だった。『ねじ式』も大人への階段を彷徨う物語だったと記憶していたんだけど、あれは死を彷徨うんだったけか…。どーも記憶が曖昧でいかん。
“庭劇団ペニノ”自分が観た公演ベスト
1.ダークマスター(再演) 2.ダークマスター(初演) 3.笑顔の砦 4.ミセス・ピー・ピー・オーフレイム 5.苛々する大人の絵本 6.黒いOL 7.UNDER GRAND 8.小さなリンボのレストラン
作・演出 佑里沢満人申し訳ありません。まだ書けていません。