日本列島の地政学的位置・役割と日本共産党史
戦前戦後93年間における日本共産党史の特殊性
45年間・48%が、基本路線・党財政・幹部任命権を奪われ続けたソ中両党隷従政党
ヨーロッパ型共産党とアジア型共産党の共通性・異質性
(宮地作成)
〔目次〕
3、共通性と異質性
1、レーニン型前衛党の崩壊過程と度合−ヨーロッパでの全滅
〔関連ファイル〕 健一メニューに戻る
5、逆説の90周年党史 6、逆説の戦後党史 7、逆説の戦前党史
2、民主主義的中央集権制 3、世界のコミンテルン型共産党現状
1、日本列島の地政学的位置・政治的役割と日本共産党史
日本列島の地政学的位置・政治的役割は、まさに「不沈空母」そのものだった。米ソ冷戦時代、(1)アメリカからみれば、日本列島は、ソ連・中国・北朝鮮の3社会主義国家に最近接した「攻撃基地」「攻撃の兵站補給基地」「防波堤列島」だった。(2)一方、ソ連・中国・北朝鮮から見れば、3カ国の喉元に突きつけられた「匕首=アメリカの不沈空母」だった。
レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデター・1917年後における世界史・地球規模上における日本列島の客観的ニ面性こそが、日本共産党史の特殊性を決定づけた。それが、ヨーロッパの共産党と隔絶した異常な党史形成を運命づける党内外犯罪政党に作り上げた。
戦前における国家権力・特高が行った日本共産党にたいする異様なまでの弾圧・検挙・殺害行為モチベーションの根底に何があったのか。それは、日本共産党が、1922年結成当初から、スターリン100%隷従・盲従政党であり、実質的に日本列島のソ同盟化を最大限綱領としていたことにある。
ソ連共産党・スターリンは、それだけに、とりわけ日本共産党を隷従させ、基本路線・党財政・幹部任命権を握り、日本共産党に渡さなかった。
宮本・不破・志位が、「日本共産党は、戦前戦後とも反戦平和のためにたたかった」と大宣伝し続けるのは、真っ赤なウソである。戦前真相は、「スターリンの社会ファシズム殲滅指令=社会民主主義政党・団体を壊滅させよ」に盲従し、軍部ファシズムとの闘争をほとんどしないで、反戦平和運動を妨害分裂させた、反国民的政治犯罪行為政党だった。
日本共産党の反国民的政治犯罪党史を知らない、無知な学者文化人だけが、現在の志位「新提案」に無条件・無批判の絶賛を捧げている。善意の「選挙共闘」願望からであろうと、「イデオロギーの壁」「共産党アレルギー」棘抜き拒絶姿勢を黙認している。
志位「新提案」「国民連合政府」構想は、「共産党アレルギー」体験議員・団体の民主・維新・連合幹部の反対・抵抗により、わずか4カ月間で破綻した。無知な学者文化人数十人は、破綻した現実・情勢に、まだ気付かないのか。依然として、「国民連合政府」「選挙共闘」という赤色念仏を唱えている。次のステップに踏み込む新主張をすべきなのに。
赤旗『戦争法(安保法制)』無党派学者・文化人数十人との懇談記事
無批判・無条件絶賛者リスト
『志位「国民連合政府」構想・「選挙共闘」宣伝→4カ月間で破綻』
「イデオロギーの壁」「共産党アレルギー」抜取なしで、勝てるとの空想
15年9月「国民連合政府」構想提唱者志位は、16年1月、破綻を認めた
「選挙共闘」も熊本県・市民連合主導以外で不成立
世に倦む日々『悪銭身につかず - 半年弱で破綻した
パクリと誤算の「国民連合政府」』1月12日
『小林節は新党結成を決断せよ 1月25日
三つの市長選の結果が憲法学者に促すもの』惨敗
赤色地獄への道も、無条件・無批判の絶賛学者文化人の善意で舗装されている。世界・日本において、どれだけの人々が善意で舗装されたレーニン地獄への道を歩いたのか。
戦前戦後93年間における日本共産党史の特殊性はどこにあるのか。それは、日本列島の特殊性から、45年間・48%が、基本路線・党財政・幹部任命権を奪われ続けたソ中両党隷従政党だったという歴史的事実にある。
日本共産党史の特殊性は、ヨーロッパの共産党幹部と異なる共産党幹部も製造した。それは、宮本顕治という疑惑に満ちた経歴者であり、異質な独善・独裁タイプになった。党内大量粛清者としては、(1)ソ連共産党の長女と言われたフランス共産党マルシェ書記長と、(2)東方の島国の宮本顕治の2人が有名である。
戦前戦後日本共産党史の特殊性は、宮本顕治という人物の疑惑・言動と表裏一体とも言える。戦後の最高権力者期間39年間とは、資本主義世界共産党における異様な最長不倒記録である。
宮本顕治における二重恐怖有無と2つの恐怖相互増幅作用
(1)スパイ査問シーン全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖
(2)検挙後の特高と秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑発覚恐怖
『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部、目次1〜4
獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑
山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった
『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部、目次5〜7
『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9
〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因
〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎
『宮本顕治の異様なスターリン崇拝』高杉一郎抑留記『極光のかげに』批判の態度
『宮本顕治の「五全協」前、スターリンへの“屈服”』党史偽造歪曲犯罪の基礎資料
『嘘つき顕治の真っ青な真実』屈服後、五全協武装闘争共産党で中央の活動証拠
『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件
『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団を中核とする私的分派
『宮本顕治がしたことの表裏・12のテーマ』戦後の最高権力者期間39年間の表裏
2、朝鮮戦争と日本共産党が実質的に参戦した武装闘争
〔小目次〕
日本共産党の地政学的位置・政治的役割テーマを象徴的に示す歴史的事実がある。それは、1950年〜53年の朝鮮戦争と日本共産党が実質的に参戦した武装闘争データである。
朝鮮戦争は、金日成がスターリン・毛沢東の事前了解・支援受け、社会主義3国家が先に仕掛けた朝鮮半島武力統一侵略戦争だった。その経過を載せる。
1945年日本敗戦→45年ソ連軍満州北朝鮮侵攻・ソ連軍人の金日成北朝鮮支配者→49年毛沢東・中国革命国家宣言→50年まで金日成は、スターリン・毛沢東に半島武力統一戦争支援・許可を何度も要請・モスクワ訪問→50年スターリンが戦争支援・武器供与開始→50年6月25日北朝鮮軍が南進戦争開始をした。
『朝鮮戦争 - Wikipedia』 『朝鮮半島戦後史 朝鮮戦争年表 その2』
日本共産党の朝鮮戦争参戦経過を確認する。これは、スターリン・毛沢東隷従経過の一部である。以下は上記『年表その2』より。52年1月白鳥事件・下記(表3−1)前までの経緯。
51年2.23 日本共産党の第4回全国協議会開催.「北京機関」の指示に基づき「軍事方針」を受け入れる。武装闘争を柱とする「当面の基本的闘争方針」(51年綱領)を決定する。
51年4月 スターリンの直接指示による「五一年綱領」が,日本共産党に提示される。モスクワでの会議では,「中核自衛隊」,「山村工作隊」などの武装闘争路線が押し付けられる。
51年8.02 コミンフォルム機関紙『恒久平和と人民民主主義のために』,日本共産党の全党員に対し,「北京機関」と「軍事闘争」路線への服従を迫る。国際派(国際主義者団、団結派、統一協議会、統一派)はこれを機に自己批判し復党を認められる。
51年8.19 日本共産党の第20回中央委員会。「新綱領」草案、改正「党規約草案」、「党の統一に関する決議」を採択し、武装闘争路線を宣言。
51年10.16 共産党第5回全国協議会開催。新綱領(51年テーゼ)を採択。革命の目標を民族解放民主革命であると規定し、武装闘争方針を具体化。火炎瓶時代が始まる。
51年9.15 5.7 仁川上陸作戦→52年1月白鳥事件にエスカレートさせられた。日本共産党は、スターリン・毛沢東に隷従し、地政学的位置・役割から、朝鮮戦争参戦を指令され、参戦したのが歴史的真実である。朝鮮戦争における日本列島の地政学的位置・役割は、後方兵站補給基地だった。そこでの武装闘争による基地かく乱は、100%戦争参戦行動だった。
朝鮮戦争とは、何だったのか。それは、(1)ソ連共産党・中国共産党・朝鮮労働党という社会主義3国家・政党と、(2)日本共産党という非政権・隷従政党という4共産党が仕掛けた侵略戦争だった。後方兵站補給基地における武装闘争とは、明白な戦争参戦行為だった。
以下の武装闘争データはまったく知られていない。当時の日本共産党指導者は、それらデータの公表をソ中両党から禁止されていた。1955年6全協時点・事後も野坂・宮本顕治は、公表禁止命令に隷従し、沈黙・隠蔽しつくした。公表した規定は、ソ中両党が指令・許可した「極左冒険主義の誤り」という一語だけだった。
野坂は、6全協後の「メーデー事件」総括の党員会議における、データ公表の強烈な要求・批判にたいし、「外国共産党から公表を禁止されている」と発言し、批判を抑圧した。宮本顕治は、データ公表の強烈な要求・批判にたいし、「後向きの態度」とはねつけ、100%隠蔽しきった。
日本共産党は、50年当時、ソ中両党隷従政党だった。基本路線・人事・党財政などすべてをソ中両党指令にたいし無条件で隷従していた。多数のリンクで検証する。ただし、リンク番号は、ファイルによってかなり異なる。(表)だけは(表1)からとして載せる。
資本主義ヨーロッパの共産党は、朝鮮戦争の地政学的位置から、日本共産党のように参戦していない。資本主義国の共産党で、参戦させられたのは、日本共産党一党だけである。そこから、資本主義国共産党において、日本共産党特有の体質・党史の特殊性が生まれた。
ソ中両党支配下の反国民的隷従政党
後方基地武力かく乱戦争行動り実践データ、効果と結果
〔第3部・目次8〜11〕
2、後方基地武力かく乱戦争行動の項目別・時期別表 (表5)
3、武器使用指令(Z活動)による朝鮮戦争行動の項目別・時期別表 (表6)
4、武装闘争4大事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無 (表7)
5、大須事件中、共産党が隠蔽したもう一つの真実 (4事件中の4番目)
3、党勢力の増減、国政選挙の増減 (表8)
4、国際共産主義運動
〔第1部・目次1〜4〕スターリン・毛沢東指令隷従の軍事方針・武装闘争時期、主体と性格
〔第2部・目次5〜7〕軍事組織実態、戦費の自力調達、ソ中両党による戦争資金援助
〔第4部・目次12〜14〕「戦後史上最大のウソ作戦」敗北処理のソ中両党隷従者宮本顕治
『宮本顕治の「五全協」前、スターリンへの屈服』7資料と解説
THE KOREAN WAR『the korean war の画像検索結果』
Wikipedia『朝鮮戦争』
〔小目次〕
2、後方基地武力かく乱戦争行動の項目別・時期別表 (表5)
3、武器使用指令(Z活動)による朝鮮戦争行動の項目別・時期別表 (表6)
4、武装闘争4大事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無 (表7)
5、大須事件中、共産党が隠蔽したもう一つの真実 (4事件中の4番目)
1、後方基地武力かく乱戦争行動のデータ沈黙・隠蔽の命令者?
日本共産党が遂行した武装闘争の性質とは何か? それは、朝鮮侵略戦争参戦において、日本共産党「軍」が遂行した後方基地武力かく乱戦争行動のことである。それを、いくつかのデータで検証する。その完璧なデータを保管しているのは、(1)現在の日本共産党、(2)中国共産党、(3)元ソ連共産党「赤軍参謀部」記録保管所である。日中両党は、今日にいたるまで、それを見事なまでに隠蔽している。
日本共産党も、政府・自治体に要求するだけでなく、そろそろ自らの情報公開を、率先して断行したらどうなのか。というのも、フランス共産党は、(1)1994年に民主主義的中央集権制を放棄しただけでなく、(2)1998年、市民のための開かれた党という路線を打ち出し、すべての歴史家、ジャーナリストに党の保管文書を公開したからである。もっとも、フランス共産党は、朝鮮戦争参戦していない。朝鮮戦争参戦行動のデータそのものが存在しない。
『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』
元共産党員で、武装闘争の参加体験を書いたものがいくつかある。しかし、それらは、個々の断片的記録にとどまっている。増山太助、大窪敏三の2著は、党中央、東京軍事委員会レベルの大きな分析をしているが、実践データを載せていない。
後方基地武力かく乱戦争行動のデータを沈黙・隠蔽せよとの命令者は誰なのか、どの共産党なのか。それは、朝鮮戦争敗戦処理をした(1)ソ連共産党・スースロフとフルシチョフ、(2)中国共産党・毛沢東である。2党と敗戦処理者たちは、モスクワで、ほとんど崩壊した日本共産党を再建する会議を、六全協前に開いた。
その場において、ソ中両党は、日本共産党「軍」にたいする後方兵站補給基地武力かく乱戦争へのソ中両党による参戦指令の公表を禁じた。日本共産党「軍」が遂行した武装闘争データの完全沈黙・隠蔽を指令した。具体的総括・公表禁止命令の存在は、不破哲三も著書で公式に認めている。ただ、「極左冒険主義の誤り」という抽象的な日本語・イデオロギー規定だけを公表してもよいとした。
2、後方基地武力かく乱戦争行動の項目別・時期別表 (表1)
全国的な後方基地武力かく乱戦争行動データを載せているのは、現時点で、警察庁警備局『回想・戦後主要左翼事件』(警察庁警備局、1967年、絶版)だけである。よって、以下の諸(表)は、それを、私(宮地)の独自判断で、分類・抽出したものである。
(表)の数字は、別ファイルと異なるが、このファイルにおいて(表1)から始める。
(表1) 後方基地武力かく乱・戦争行動の項目別・時期別表
事件項目 (注) |
四全協〜 五全協前 |
五全協〜 休戦協定日 |
休戦協定 〜53年末 |
総件数 |
1、警察署等襲撃(火炎ビン、暴行、脅迫、拳銃強奪) 2、警察官殺害(印藤巡査1951.12.26、白鳥警部1952.1.21) 3、検察官・税務署・裁判所等官公庁襲撃(火炎ビン、暴行) 4、米軍基地、米軍キャンプ、米軍人・車輌襲撃 5、デモ、駅周辺(メーデー、吹田、大須と新宿事件を含む) 6、暴行、傷害 7、学生事件(ポポロ事件、東大事件、早大事件を含む) 8、在日朝鮮人事件、祖防隊・民戦と民団との紛争 9、山村・農村事件 10、その他(上記に該当しないもの、内容不明なもの) |
2 1 1 |
95 2 48 11 20 8 15 19 9 23 |
1 5 2 3 |
96 2 48 11 29 13 11 23 10 27 |
総件数 |
4 |
250 |
11 |
265 |
(表)の説明をする。本来は、統一回復五全協が行なった武力かく乱戦争実態を、六全協日本共産党が、これらのデータを公表すべきだった。しかし、NKVD・赤軍情報部スパイ野坂参三・ソ連内通者袴田里見と指導部復帰選別・被任命者宮本顕治ら3人は、ソ連共産党フルシチョフ、スースロフと中国共産党毛沢東、劉少奇らが出した「具体的総括・公表を禁止する」との指令に屈服した。
そして公表許可をされた上っ面の極左冒険主義というイデオロギー規定だけにとどめ、武装闘争の具体的内容・指令系統を、隠蔽した。そして、今日に至るまで、完全な沈黙を続けている。
このデータは、『戦後主要左翼事件・回想』(警察庁警備局発行、1968年)に載っている数字である。そこには、昭和27年、28年の左翼関係事件府県別一覧、その1〜4が265件ある。総件数を、私が(表5)の10項目に分類した。警察庁警備局も、このような事件の性格別分類をしていない。
3、武器使用指令(Z活動)による朝鮮戦争行動の項目別・時期別表 (表2)
(表2) 武器使用指令(Z活動)による朝鮮戦争行動の項目別・時期別表
武器使用項目 (注) |
四全協〜 五全協前 |
五全協〜 休戦協定日 |
休戦協定 〜53年末 |
総件数 |
1、拳銃使用・射殺(白鳥警部1952.1.21) 2、警官拳銃強奪 3、火炎ビン投てき(全体の本数不明、不法所持1件を含む) 4、ラムネ弾、カーバイト弾、催涙ビン、硫酸ビン投てき 5、爆破事件(ダイナマイト詐取1・計画2・未遂5件を含む) 6、放火事件(未遂1件、容疑1件を含む) |
|
1 6 35 6 16 7 |
|
1 6 35 6 16 7 |
総件数 |
0 |
71 |
0 |
71 |
(表2)の6項目も、私の判断で分類した。(表2)件数は、すべて(表1)に含まれており、そこから武器使用指令(Z活動)だけをピックアップした内容である。この『回想』は、283ページあり、これだけの件数を載せた文献は他に出版されていない。
もちろん、警察庁警備局側データである以上、警察側の主観・意図を持った内容であり、そのまま客観的資料と受け取ることはできない。しかし、五全協日本共産党による武装闘争指令とその実行内容を反映していることも否定できない。
(表2)後方基地武力かく乱戦争行動の攻撃対象には、特徴がある。米軍基地、米軍キャンプ、米軍人・車輌襲撃件数は、11件/265件で、4%だけである。それにたいして、警察署等襲撃(火炎ビン、暴行、脅迫、拳銃強奪)、警察官殺害(印藤巡査1951.12.26、白鳥警部1952.1.21)、検察官・税務署・裁判所等官公庁襲撃(火炎ビン、暴行)件数は、145件/265件あり、55%を占める。
このデータ件数比率からは、次の判断が成り立つ。ソ中両党が指令した日本共産党「軍」にたいする後方基地武力かく乱攻撃命令対象が、(1)米軍基地・軍需輸送の直接破壊ではなく、(2)後方基地日本全体の治安の武力かく乱に限定したのではないかということである。
(表2)使用武器の大部分は、火炎ビンだった。ただ、使用総本数について、『回想』も明記していない。『戦後事件史』(警察文化協会、1982年)という、1232ページの警察発行の大著がある。
そこでは、1952年6月25日、吹田事件翌日の新宿駅事件について、次の記述をしている。「朝鮮動乱二周年目の二十五日、夕方から新宿の東京スケートリンクで行われた国際平和記念大会に集った約二千五百名が、散会後の九時四十分ごろ新宿駅付近にくり出し、警戒中の約千名の警官と衝突した。
例によって硫酸ビン、火炎ビンを投げつけて大乱闘となり、検挙者三十名、警官隊の負傷者二十名、新聞記者、カメラマンの負傷者三名を出した。投げられた火炎ビンはこれまでの事件では一番多く総数五十本以上で、投げ方も非常に正確であった」(P.378)。この本数を見ると、使用火炎ビン総数は、火炎ビン投てき件数35件で、数百本と推計される。
4、武装闘争4大事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無 (表3)
〔小目次〕
1、4事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無 (表3−1、2)
2、白鳥事件
3、メーデー事件
4、吹田・枚方事件
1、4事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無 (表3−1、2)
北朝鮮系の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)とは何か。武装闘争において、民戦・祖防隊が果たした役割・比率は大きい。日本共産党軍事委員会・民族対策部(民対)は、民戦を指導下に置いていた。当時のコミンフォルム路線は、一国一前衛党方針だった。そこから、在日朝鮮人内の共産党員は、全員が日本共産党の党員になっていた。
当時の民戦は、在日朝鮮人60万人中、45万人を傘下に抱えていた。在日朝鮮人の日本共産党員が中核となっていた戦闘部隊が、祖国防衛委員会・祖国防衛隊だった。彼らは、これらの武装闘争やZ活動を祖国解放戦争参戦行動と受け止めて、日本人共産党員兵士よりも、先頭になって実践した。それだけに、当局による逮捕・弾圧、職場解雇などの犠牲は甚大だった。
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北朝鮮系在日朝鮮人組織と運動の3段階
下記でのべるように、六全協の野坂・宮本指導部は、彼らを見殺しにし、日本人共産党員兵士ともども極左冒険主義路線実行者として切り捨てた。武装闘争発令の日本人中央委員たちは、誰一人として、武装闘争・Z活動事件で逮捕・有罪・下獄にならなかった。
日本人指導者たちの自己保身=在日朝鮮人の実践兵士見殺し政策にたいする怒りと批判が、金日成の思惑による呼びかけもあって、1955年六全協と同時に、日本共産党指導下の民戦から、朝鮮労働党指導下の朝鮮総連に組織転換する下地にもなった。
(表3−1) 4事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無
項目 |
白鳥事件 |
メーデー事件 |
発生年月日 概況 参加者 死傷者 |
1952年1月21日 札幌市白鳥警部射殺 殺人予告ビラ→実行→実行宣言ビラ 逮捕55人=党員19、逮捕後離党36人。実行犯含む10人中国逃亡 白鳥警部即死 |
1952年5月1日 講和条約発効後の初メーデー 皇居前広場での集会許可の裁判中 明治神宮外苑15万人→デモ→皇居前 皇居前広場突入4000〜8000人、逮捕1211人 死亡2、重軽傷1500人以上、警官重軽傷832人 |
裁判被告 裁判期間 判決内容 |
殺人罪・殺人幇助罪で起訴 被告追平ら一部は検察側証人に 8年間 村上懲役20年、再審・特別抗告棄却。高安・村手殺人幇助罪懲役3年・執行猶予。中国逃亡者時効なし |
刑法106条騒擾罪で起訴253人 分離公判→統一公判 20年7カ月間、公判1816回 騒擾罪不成立、「その集団に暴行・脅迫の共同意志はなかった」。最高裁上告阻止、無罪確定、公務執行妨害有罪6人 |
軍事方針有無 武器使用 共産党側の認否 関係者の自供 |
札幌市軍事委員長村上と軍事委員7人による「白鳥射殺共同謀議」存在 ブローニング拳銃1丁 軍事方針存在の全面否認 村上以外、「共同謀議」等自供 逃亡実行犯3人中、中国で1人死亡 |
日本共産党中央軍事委員長志田が指令した 「皇居前広場へ突入せよ」との前夜・口頭秘密指令 (プラカード角材)、朝鮮人の竹槍、六角棒 軍事方針存在の全面否認 志田指令を自供した軍事委員なし 増山太助が著書(2000年)で指令を証言 |
警察側謀略有無 |
拳銃・自転車の物的証拠がなく、幌見峠の弾丸の物的証拠をねつ造 |
二重橋広場の一番奥まで、行進を阻止せず、引き入れておいてから襲撃するという謀略。判決は、「警察襲撃は違法行為」と認定 |
朝鮮戦争と武装闘争路線 2、白鳥事件 3、メーデー事件
(表3−2) 4事件の概況、裁判・判決内容、軍事方針有無
項目 |
吹田事件 |
大須事件 |
発生年月日 概況 参加者 死傷者 |
1952年6月24、25日 朝鮮動乱発生2周年記念前夜祭と吹田駅へ2コースの武装デモ→梅田駅 集会2〜3000人、デモ1500人=朝鮮人500、民青団100、学生350、婦人50人、逮捕250人、他 デモ隊重軽傷11、警官重軽傷41人 |
1952年7月7日 帆足・安腰帰国歓迎報告大会、大須球場 集会1万人、無届デモ3000人 逮捕890人、警官事前動員配置2717人 死亡2人、自殺1人、重軽傷35〜多数 |
裁判被告 裁判期間 判決内容 |
刑法106条「騒擾罪」で起訴111人 日本人61人・朝鮮人50人、統一公判 20年間 騒擾罪不成立 第1審有罪15人、無罪87人 |
刑法106条「騒擾罪」で起訴150人 分離公判→統一公判 26年1カ月間、第1審公判772回 口頭弁論なしの上告棄却で騒擾罪成立 有罪116人=実刑5人、懲役最高3年 執行猶予つき罰金2千円38人 |
軍事方針有無 武器使用 共産党側の認否 関係者の自供 |
多数の火炎ビン携帯指令の存在 火炎ビンと竹槍(数は不明) 軍事方針存在の全面否認 公判冒頭で、指揮者の軍事委員長が、軍事方針の存在を陳述。裁判官は、起訴後であると、証拠不採用 |
「無届デモとアメリカ村攻撃」指令メモの存在 火炎ビン20発以上(総数は不明) 軍事方針存在の全面否認 共産党名古屋市委員長・愛知ビューローキャップ永田は公判で軍事方針の存在承認→共産党は永田除名 |
警察側謀略有無 |
デモ隊1500人にたいして、 警官事前動員配置3070人 |
デモ5分後の警察放送車の発火疑惑、その火炎ビンを21年間提出せず。警察スパイ鵜飼昭光の存在。警察側のデモ隊へのいっせい先制攻撃のタイミングよさ |
4、吹田・枚方事件 吹田事件 - Wikipedia 5、大須事件
9、シベリア抑留 10、スターリン批判・ハンガリー事件
スターリン・毛沢東隷従の軍事方針・武装闘争時期、主体・性格
軍事組織実態、戦費の自力調達、ソ中両党による戦争資金援助
後方基地武力かく乱戦争行動り実践データ、効果と結果
「戦後史上最大のウソ作戦」敗北処理のソ中両党隷従者宮本顕治
『宮本顕治の「五全協」前、スターリンへの“屈服”』武装闘争実践データ
『嘘つき顕治の真っ青な真実』五全協共産党で中央レベルの活動をした証拠
日本共産党−宮本・不破・志位は、朝鮮戦争参戦=日本本土という後方兵站基地における武装闘争事実について、どう説明・公式記述しているか。
1、『日本共産党の七十年・党史年表』(日本共産党中央委員会、1994年、P.138)−「徳田・野坂分派が『中核自衛隊の組織と戦術』発表。『中核自衛隊』・『山村工作隊』なる武装集団の組織を主張」。「徳田・野坂分派、現段階を『武装闘争の準備期』とする」。1952年『日本共産党』欄に、4大事件の記述なし。すべて、徳田・野坂分派に責任転嫁。宮本顕治・現在の日本共産党免罪をした。
2、『日本共産党の七十年』(日本共産党中央委員会、1994年、P.231、240)−「朝鮮戦争を『内戦』」と規定した。「徳田・野坂分派による武装闘争路線の破たん」とし、「『中核自衛隊』・『山村工作隊』、極左冒険主義=武装闘争の方針〜」だけで、具体的な武装闘争実態を隠蔽沈黙した。ここでも、すべて、徳田・野坂分派に責任転嫁。宮本顕治・現在の日本共産党免罪をした。
3、『日本共産党の八十年』(日本共産党中央委員会、2003年、P.127)−「武装闘争論の誤りが徹底的に証明されたことです」。しかし、具体的な武装闘争実態を完全に隠蔽沈黙した。
4、現在まで、宮本・不破・志位・国会議員ら全員は、「戦前戦後とも、反戦平和でたたかってきた」と真っ赤なウソを大宣伝し続けている。
3、戦前戦後93年間における日本共産党史の特殊性
日本共産党は、(1)戦前中、「反戦平和でたたかってきた」の真逆で、スターリンの「社会ファシズム論=社会民主主義主要打撃論」に隷従し、軍部・戦争と戦うのでなく、「社会民主主義政党・団体殲滅でたたかい、反戦平和運動を妨害・分裂のために狂奔した」実態が真相である。(2)戦後も、宮本顕治も加担した武装闘争=朝鮮戦争参戦でたたかったのが歴史的真実である。
スターリン隷従+ソ中両党隷従期間は、どれだけか。93年間中、1967年決裂=「隷従脱出の受動的な完全孤立政党→自主独立とウソ詭弁規定」までの45年間・48%が、基本路線・党財政・幹部任命権を奪われ続けたソ中両党隷従政党だった。
戦前戦後のソ中両党隷従実態=スターリン隷従→ソ中両党の朝鮮戦争参戦実態を隠蔽沈黙し、真っ赤なウソを大宣伝し続けている事実こそが、他政党・有権者における「共産党アレルギー」として、沈殿し、こびりついている。
この宮本・不破・志位による妨害分裂棘を抜き取らなければ、「国民連合政府」構想・「選挙共闘」大宣伝は幻想に終わる。
この93年間における日本共産党史の特殊性は、資本主義ヨーロッパにおけるどの共産党体質・党史にもない。ヨーロッパには、これほどの隷従共産党・党史は見られない。そこに、21世紀に、資本主義国で、日本共産党だけが生き残っている要因の一つになっていると思われる。
ただ、唯一生き残り原因は複雑で、その解明作業は単純でない。
国際共産主義運動関係を基準とした5時期分類−6部作1
2012年1月、志位和夫新春インタビュー+旗びらき=その特徴4つ
ソ連共産党支配下の反国民的隷従政党
ソ中両党支配下の反国民的隷従政党
『日本共産党90周年の根本的な逆説、第3期』1967年決裂〜70年代後半
隷従脱出の受動的な完全孤立政党→自主独立とウソ詭弁規定
『日本共産党90周年の根本的な逆説、第4期』70年代後半〜97年宮本脳梗塞
ユーロコミュニズム運動に急接近→逆旋回→再孤立
『日本共産党90周年の根本的な逆説、第5期』98年〜現在
孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの友党関係復活政党
4、ヨーロッパ型共産党とアジア型共産党の共通性・異質性
従来、コミンテルン型共産党を、(1)ヨーロッパ型共産党と、(2)アジア型共産党とに分類する見解・理論はなかった。しかし、21世紀になって、アジアにおいてのみ4共産党が崩壊しないで、生き残っている。キューバ共産党があるが、この分類から除く。アジア型共産党とは、アジアだけで生き残っている現象にたいする仮称である。
〔小目次〕
3、共通性と異質性
ヨーロッパ型共産党とは、ヨーロッパ地域に存在した共産党だが、全滅した。1989年〜91年東欧・ソ連10カ国と前衛党崩壊とほとんど同時期に、ヨーロッパの資本主義国共産党もドミノ的に崩壊した。
フランス共産党は、共産党名だけを残しているが、レーニンの理論・組織原則の誤りを党大会において公然とすべて放棄宣言をした。
ポルトガル共産党は、1994年、レーニンの「プロレタリア独裁理論」を犯罪的原則と断定し、党大会で放棄決定をした。2共産党とも、コミンテルン型共産党の崩壊と判定できる。
プロレタリア独裁放棄、民主主義的中央集権制放棄、M・L主義放棄だが
ポルトガル共産党の経緯と現在−民主主義的中央集権制堅持
『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約
『イタリアで共産主義諸政党が国会議席全滅』08年総選挙141議席→0議席結果と原因
アジアでは、3カ国の社会主義国共産党・労働党と、日本共産党が崩壊しないで、残っている。マルクス主義発生の地ヨーロッパで終焉を迎えているのに、はるか東方の地域でのみ生き残るというのは、地政学上でも、思想史上でも、興味深い現象である。
中国 一党独裁を強化し、社会主義市場経済、開放経済政策を採用している。「法輪功」弾圧は、一党独裁システムの限界と矛盾を示している。2004年7月3日付「中日新聞」によると中国各紙が3日、中国共産党組織部の最新統計として同党の党員数は6800万人を超えたと発表した。女性は1235万人(全体の18%)で、少数民族は432万人(同6.3%)。大学生の入党など、党や政府への就職を望む高学歴者の入党が増加しているという。
加藤哲郎は、次のように規定している。今日の中国(中華人民共和国、PRC)を「社会主義」と呼ぶとき、そこでの「社会主義」には、共産党一党独裁以上の意味は、含まれていない。含めようがない。
『中国共産党 - Wikipedia』 『中国共産党ニュース』
加藤哲郎「『社会主義』中国という隣人」(『葦牙』第34号、2008年7月)
ベトナム 一党独裁を堅持し、ドイモイ(刷新)で開放経済政策を行っている。
『ベトナム共産党 - Wikipedia』 『ベトナム共産党ニュース』
北朝鮮 社会主義国初の3代連続世襲制で、一党独裁、情報・思想統制を異常なまでに強化しつつ、ソ連、中国との国境地帯の経済開放を模索している。指導者層の亡命続出、食糧危機をふくめ、体制自体が崩壊寸前の危機的状況にある。
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』北朝鮮型社会主義の7つの特殊性
『朝鮮労働党 - Wikipedia』 『朝鮮労働党ニュース』
日本 民主主義的中央集権制を堅持している。自主独立型であるが、ソ連、中国、北朝鮮、ユーロコミュニズムとも決裂した。
『日本共産党 - Wikipedia』 『日本共産党ニュース』 google『共産党』
ユーロコミュニズムにたいしては、1970年代の急接近を経て、1989年のイタリア共産党の民主主義的中央集権制放棄への公然批判以降決裂した。
東欧革命前では、ルーマニア共産党と「自主独立」という面で友党関係を持ち、宮本議長も2回訪問した。チャウシェスク賛美、ルーマニア社会主義賛美の声明や談話を発表した。崩壊後は、その誤りや自己の個人責任を強弁で回避した。ルーマニア問題で、赤旗ルーマニア特派員いわなやすのりが詳細な宮本顕治告発をした。
『宮顕とルーマニア問題』2回訪問の宮本顕治批判
いわなやすのり『日本共産党との決別』チャウシェスク問題↓2稿目
1997年以降、中国共産党側との関係改善をした。 2000年第22回大会には、中国共産党、ベトナム共産党、キューバ共産党、朝鮮労働党「代理人」の朝鮮総連が参加し、メッセージを寄せた。朝鮮総連の党大会招待・参加は、朝鮮労働党との実質的な関係改善である。そこで、42年ぶりの規約全面改定をしたが、民主集中制を堅持し、前衛党概念を隠蔽堅持した。
第3期、日本共産党と「朝鮮総連」(=朝鮮労働党)との共産主義友党関係修復
1、日本共産党第22回大会における「朝鮮総連」来賓参加・メッセージ 2000年
2、北朝鮮拉致(殺害)事件にたいする日本共産党の姿勢と対応 1988年〜
(表4) 日本共産党の欺瞞的な4項目隠蔽・堅持方式
4つの原理 |
欺瞞的な隠蔽・堅持方式 |
他国共産党との比較 |
プロレタリア独裁理論 |
綱領において、訳語変更の連続による隠蔽・堅持。(1)プロレタリア独裁→(2)プロレタリアのディクタトゥーラ→(3)プロレタリアートの執権→(4)労働者階級の権力→(5)放棄宣言をしないままで、綱領から権力用語を抹殺し、隠蔽・堅持している |
ヨーロッパでは、1970年代、ポルトガル共産党を筆頭として、100%の共産党が、これは犯罪的な大量殺人をもたらし、誤った理論と認定した。そして、明白に放棄宣言をした。資本主義世界で、放棄宣言をしていないのは、日本共産党だけである |
民主主義的中央集権制 |
規約において、訳語変更による隠蔽・堅持。(1)民主主義的中央集権制(Democratic
Centralism)→(2)「民主集中制」という略語に変更→(3)「民主と集中の統一」と解釈変更で堅持→(4) 「民主と集中の統一」は、あらゆる政党が採用している普遍的な組織原則と強弁している |
ヨーロッパの共産党は、「Democratic
Centralism」の「民主主義的・Democratic」は形式・形容詞にすぎず、「官僚主義的・絶対的な中央集権制・Centralism」に陥ると断定した。それは、「党の統一を守るのには役立ったが、一方で党内民主主義を抑圧した」組織原則だと認定した。この反民主主義的組織原則を堅持しているのは、残存する犯罪的な一党独裁国前衛党4党とポルトガル共産党・日本共産党だけである |
前衛党概念 |
規約において、(1)前衛党→(2)規約前文から綱領部分削除に伴い、その中の「前衛党」用語も事務的に削除→(3)不破哲三の前文削除説明で、「前衛党」概念を支持・擁護 |
イタリア共産党は、「前衛党」思想を、「政党思想の中で、もっともうぬぼれた、傲慢で、排他的な政党思想だった」と総括し、全面否定した。日本のマスコミは、左(2)を「前衛党」概念の放棄と錯覚し、誤った解説をした |
マルクス・レーニン主義 |
(1)マルクス・レーニン主義→(2)個人名は駄目として、「科学的社会主義」に名称変更し、堅持。不破哲三の『レーニンと資本論』全7巻を見れば、マルクス・レーニン主義そのものの堅持ぶりが分かる。ただ、彼は、さすがにレーニンの暴力革命理論だけを否定した |
「マルクス・レーニン主義」の命名者はスターリンである。ポルトガル共産党を除くヨーロッパの共産党すべてが、マルクス・レーニン主義と断絶した。フランス共産党も、ソ連崩壊数年後、「ソ連の失敗は、マルクス主義の失敗だった」とし、マルクス主義の立場を取らないと宣言した。 |
日本共産党は、4項目に関して、訳語・名称変更しただけで、ヨーロッパの共産党がしたような明白な放棄宣言を一つもしていない。その実態も、隠蔽・堅持方式を採っている。世界的にも、こういう欺瞞的スタイルを採る、採った共産党は皆無であり、いかにも不可思議な政党ではある。
その点で、加藤哲郎一橋大学教授は、日本共産党を「現段階のコミンテルン研究の貴重な、生きた博物館的素材」と指摘した(『コミンテルンの世界像』青木書店、1991年、P.3)。その視点から観れば、日本共産党を21世紀における「貴重な絶滅危惧種」として、このまま生態保存しておく必要があるのかもしれない。
ただし、選挙政策面では、天皇制・君が代日の丸・自衛隊テーマなどで、無党派層への支持拡大を狙って、どんどん現実化している。それは、不破・志位らが、(1)レーニン型前衛党の5基準・原理の隠蔽堅持路線と、(2)選挙政策の現実化路線という矛盾した2面作戦を採用していると規定できる。
21世紀の資本主義世界で、いったい、なぜ、日本共産党という一党だけが、レーニン型前衛党の5つの基準・原理を保持しつつ残存しえているのか。
『規約全面改定における放棄と堅持』2000年、欺瞞的な隠蔽・堅持
『「削除・隠蔽」による「堅持」作戦』欺瞞的な隠蔽・堅持方式の4段階
『日本共産党の党勢力、その見方考え方』党勢力PHNと選挙結果
『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回
『綱領全面改定における不破哲三の4面相』綱領改定案と討論
3、共通性と異質性
1、共通性
ヨーロッパ型共産党、アジア型共産党とも、1917年、レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターを契機とし、結成気運が高まった。社会民主主義路線に対抗し、数年内に各国で結成された。それらは、コミンテルン型共産党=単一世界革命政党の各国支部だった。
コミンテルン型共産党本部=実質的にソ連共産党を本部とし、支部との関係は「democratic centralism」→1921年には、レーニンの「democratic centralism+分派禁止規定」により、→「官僚主義的中央集権制」政党に変質した。
1970年代、80年代は、コミンテルン型共産主義運動が、社会主義国と発達した資本主義国との両地域で、その思想、体制、運動のすべての面において破綻をきたした。従来のレーニン主義のままでは全面後退、崩壊してしまうという危機を迎えた時期であった。その危機意識に基づいて、各国、各党で様々な改革、路線転換の模索がなされた。
一つは、社会主義国での経済政策の転換、いわゆる社会主義市場経済という名目での資本主義市場経済の導入である。そして発達した資本主義国での革命路線の転換、即ち暴力革命、武装蜂起、プロレタリアート独裁を放棄して、平和移行、ブルジョア議会主義、ブルジョア民主主義評価への大転換である。この導入、転換の内容には、様々な相違があるが、ほとんどの国家、党で行われた。
二つは、その経済路線、革命路線を転換する以上、その組織としての前衛党の組織論、組織原則、党運営等を、それに対応して転換させるのか、それともそれを全く切り離し、党組織は民主主義的中央集権制を堅持、強化しつつ、経済、革命路線だけを転換していくのかということである。党改革の根幹は、Democratic Centralismを放棄するのか、堅持するのかの問題に収斂する。
2、異質性
アジアの4カ国といっても、それぞれの特殊性が強く、共通性の面が少ないと言える。ただ、ヨーロッパ全国家・地域でのコミンテルン型共産主義運動のドミノ的崩壊が、なぜアジアに波及しなかったかということを、ヨーロッパとの比較論として検討してみたい。
ヨーロッパでは、この2つの転換は、同時か、もしくは時期的に十数年のずれがあるが両方が行われた。ソ連のペレストロイカでの同時的転換、東欧およびヨーロッパの資本主義国共産党での時差的転換がある。この2つ目の党改革を始めようとした段階で崩壊した国家、解党した党もある。
異質性を形成した最大要因は、ソ連・東欧からの亡命者規模ではないか。(1)レーニンの1917年「十月革命=単独武装蜂起・単独権力奪取クーデター」における亡命者は2百万人と言われている。(2)東欧動乱で数百万人が亡命した。(3)1968年チェコ・プラハの春は、粛清者50万人、亡命者も50万人を生み出した。
彼らの亡命先は、数百万人ほぼ全員がヨーロッパかアメリカだった。ヨーロッパに定住した亡命者たちがもたらしたソ連・東欧社会主義・共産党の他政党禁止・人権侵害・大量殺人犯罪・経済停滞・全面的腐敗情報は、レーニン神話・社会主義幻想を破壊しつくした。
資本主義国ヨーロッパの共産党全滅時期は、1989年〜91年東欧・ソ連10カ国と前衛党崩壊と同時期だった。レーニン・スターリンの赤色犯罪が、「レーニン秘密資料」6000点や秘密政治警察チェーカー資料によって、発掘公表された。ヨーロッパの国民・有権者は、東欧・ソ連10カ国を含む資本主義ヨーロッパの共産党すべてを見限った。
それに対し、アジアには、東欧・ソ連からの亡命者は、ほとんどか、一人も来なかった。中国、ベトナムは、ドミノ的崩壊に怯え、開放経済政策が大胆に取り入れられた。
日本では、ユーロコミュニズムとの急接近の中で、暴力革命、武装蜂起路線だけを放棄した。しかし、「敵の出方論」については、放棄の明言をしていない。ただし、プロレタリアート独裁理論は、それを「執権」に訳語変更するという姑息な形での隠蔽・堅持である。そして「民主連合政府綱領案」、複数政党制を認めるなどの「自由と民主主義の宣言」が提起された。
しかし、アジアの4党のいずれもが、意識的に、党内民主主義の強化をはかる党民主化路線を拒否し、むしろ党中央の統制を強化する路線を選択した。これら2つ目の党改革路線選択の違いが、(1)ヨーロッパでのドミノ的崩壊と、(2)アジアでの生き残りという分岐をもたらしたと考えられる。
ユーロコミュニズムと日本の党との共通性・急接近が目立ち、ユーロ・ジャポネコミュニズムとも言われる一時期もあったほどだが、以上の2点を総合的に見たとき、両者は党民主化の姿勢、方向において、当初から根本的に異なっていたのである。もちろん、日本の党の中でも、党改革、党民主化を主張する勢力は一部存在し、それへの一定の動きも見られたが、それらはすべて抑圧され、排除・粛清された。
次の問題として、それでは、アジアの4党が、レーニン主義の危機を迎えながら、なぜ党民主化を全面拒否する路線を選択したのかということである。これは各党それぞれの特殊性、条件で選択し、結果的に偶然同じ選択になったとみるのが妥当であろう。ただし、その中にも共通の要因がいくつか考えられる。次の2つの側面で、アジア型共産党生き残り要因を検討してみる。
5、ヨーロッパでの全滅とアジアでの生き残り
〔小目次〕
1、レーニン型前衛党の崩壊過程と度合−ヨーロッパでの全滅
1、 レーニン型前衛党の崩壊過程と度合、ヨーロッパでの全滅−放棄・解党・崩壊
日本共産党は、レーニン以来のコミンテルン型共産党である。21世紀資本主義世界において、東方の島国以外で、共産党は全滅した。日本共産党は、レーニン型共産党の諸原則=イデオロギーをすべて堅持している唯一の政党になった。
ただ、ポルトガル共産党は、1974年12月、ヨーロッパ諸党の中で一番早く、プロレタリア独裁理論は誤りだとして、放棄宣言をした。よって、5つの原理・イデオロギーのすべてを、「訳語変更、略語方式、隠蔽方式」にせよ、堅持しているのは、資本主義世界で日本共産党ただ一つとなっている。その場合、なんの放棄宣言をもしていない。欺瞞的な弁明だけはしている。
(表5) レーニン型前衛党の崩壊過程と度合
ヨーロッパでの全滅−放棄・解党・崩壊
プロレタリア独裁理論 |
民主主義的中央集権制 |
前衛党概念 |
マルクス・レーニン主義 |
政党形態 |
|
イタリア |
´76放棄 |
´89放棄 |
放棄 |
放棄 |
´91左翼民主党 |
イギリス |
解党 |
解党 |
解党 |
解党 |
´91解党 |
スペイン |
´70前半放棄 |
´91放棄 |
放棄 |
放棄 |
´83に3分裂 |
フランス |
´76放棄 |
´94放棄 |
? |
´94放棄 |
共産党名 |
旧東欧9カ国 |
崩壊 |
崩壊 |
崩壊 |
崩壊 |
´89崩壊 |
旧ソ連 |
崩壊 |
崩壊 |
崩壊 |
崩壊 |
´91崩壊 |
ポルトガル |
‘74放棄 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
共産党名 |
日本 |
訳語変更→隠蔽・堅持 |
略語で堅持 |
隠蔽・堅持 |
訳語変更堅持 |
共産党名 |
中国 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
共産党名 |
ベトナム |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
共産党名 |
北朝鮮 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
朝鮮労働党 |
キューバ |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
堅持 |
共産党名 |
レーニン型前衛党が大転換・解党・分裂・崩壊したソ連・東欧・資本主義国を含むヨーロッパ全域では、20世紀末以降で、一般国民や左翼勢力のほとんどが、次のレベルの認識を持つに至ったと言えよう。
それは、「1917年10月、レーニンがしたことは、革命ではなく、一党独裁狙いの権力奪取クーデターだった」、「4000万人粛清犯罪者のスターリンだけでなく、レーニン自身がクーデター政権を維持するために、ロシア革命勢力数十万人を赤色テロルで殺害した大量殺人犯罪者だった」とする「十月革命」認識内容がほぼ常識になった。
レーニン1917・10一党独裁狙いの権力奪取クーデター
『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書
基本テーマに関するレーニンのウソ・詭弁7つを検証
そのような国民・左翼の劇的な認識転換・強烈な圧力を受けなければ、レーニン型前衛党がかくも脆く、いっせいに崩壊しなかったであろう。
『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り
中国、北朝鮮、日本では、ケ小平、金日成、宮本顕治というカリスマ的独裁者がいた。彼ら個人独裁者は、文化大革命、他派の粛清、50年分裂等の党内派閥どうしの激烈、陰惨な党内闘争の豊富な経験を持ち、また党の民主化が何をもたらすのかを肌で知っていた。ベトナムでも、すでにホーチミンはいないが、ベトナム戦争まで戦いぬいた他の革命第一世代の指導者たちがいて、その指導力や影響力は強く残っている。
その党の最高指導者個人を、党の路線選択の決定的要因とすることは、現代の民主政治・政党ではありえない。しかし、Democratic Centralism+分派禁止規定という個人独裁に必然的に行き着く組織原則の政党においては、その個人の資質、経験、独裁期間は、まさにその選択を左右する。
彼ら革命第一世代コミュニストたちは、最終的政策決定権者として君臨し、死ぬまで引退しない。彼らが権力保持に抱く異様なまでの執着心を念頭に入れれば、党改革への彼らの警戒心、拒絶反応は、十分想像できるところであろう。
なぜなら、彼らは熾烈な党内闘争において競争相手、批判者をあらゆる手段で排除しつくしてきた経験から、党規約でなく、人治主義、人脈こそ党支配の根幹であることを知っている。そしてそのためには水平交流禁止、分派禁止のタテ割り型中央集権制の官僚主義的Centralismほど利用価値が高い武器はないことを熟知しているからである。
組織の専制的支配を可能にしてくれているレーニンの党組織論・組織原則を、自ら手放すはずがない。レーニンはまさに崇拝に値する精緻な組織原則をこの4党指導者に、今もなお与えてくれている。
経済路線・革命路線を転換する以上、それに対応して党民主化を行うべきことは彼らも道理としては理解していた、いる。しかし経済改革は、必然的に社会での自由の大幅な容認をもたらす。革命路線の改革は、党内民主主義において資本主義社会レベルの言論、批判の自由の容認をもたらす。それらは官僚主義的中央集権制=軍事的集権制を本質とする民主主義的中央集権制の党運営と絶対的に対立せざるをえない。
そしてそれは党民主化という耳ざわりがいいスローガンとともに、彼らの専制的支配を崩壊させてしまうことを彼らは本能的に予知している。したがって、Democratic Centralismを強化しこそすれ、その放棄につながる党民主化など絶対に選択しない。
アジア4党の指導者がそういう選択をしたのには、個人的体験・資質のみでなく、地政学的要因も考慮に入れる必要がある。一方で経済路線・革命路線の転換をしながら、それと連動している国家運営・党運営の方では、一党独裁・指導者専制を許容する客観条件=国民性・党派性・地政学的要因が存在するのかということである。
第1、アジア4カ国における市民社会の形成史・成熟度と、ヨーロッパにおける文化や議会制度、個の自立を含めた市民社会形成史との相違
それらの未熟度から、一党独裁・指導者専制を容認する国民性・党派性が、強く残っている。党内で、批判者を異端として排除するのはDemocratic Centralism=「官僚主義的中央集権制」政党の本質的特徴である。同時にアジアでは、会社組織・社会内で、批判・個人的意見発表者を排除する社会的風土が根強い。
そのアジア的社会と民主主義的中央集権制型国家・党組織とによって、異質排除体質が複合的に形成されている。その体質と一党独裁・指導者専制とは、精神科用語の「共依存の関係」にあると診断できる。
第2、経済発展の開発独裁地域での国民性
経済的貧困度とそこからの向上・脱出意欲がヨーロッパとは、大きく異なる。中国・ベトナムでの革命による、および開放経済による革命前との歴史的比較(タテの比較)において、生活向上の満足度がある。また、そこでの共産党の功績への信頼度が、ヨーロッパと比較して相対的に高い。
それに加え、東南アジア全体での開発独裁型による経済急成長の影響と、その共通基盤として開発独裁を受け入れる国民の経済要求も考慮する必要があろう。
北朝鮮が開放経済に乗り出さない理由は、中国・ベトナムとちがって権力基盤がきわめて脆弱なことにある。資本主義的自由市場=経済的自由を導入しただけで、不満が爆発し体制そのものが崩壊してしまう状態にあることを指導者がもっともよく自覚している。
中国・ベトナムは、党指導者が体制崩壊の危機意識を強く持ち、経済での資本主義的自由市場と政治での一党独裁・民主主義的中央集権制強化という、絶対矛盾の路線を選択するというカケにでた。しかし、北朝鮮はそのカケにも出られない。
第3、ナショナリズムが強く、その象徴として共産党の権威の高さ
この3つの社会主義国家および1つの非政権共産党は三重の、もしくは二重の民族抑圧を受け、それと徹底してたたかい民族的自立を守ってきた。
(1)、帝国主義的支配、植民地、占領との闘争と民族自立
中国・ベトナム・北朝鮮は、その被支配の悲惨さにおいて、およびそれとの闘争の苛烈さにおいて、ヨーロッパと比較にならない。植民地・半植民地における共産党弾圧の残虐さ、その共産党支援の広がりと深さは、ヨーロッパ帝国主義国家内のそれらとは、質的に異なる。ヨーロッパでも、ナチスによる占領・弾圧と、それへのレジスタンスは、質的に同じと思われるがその期間は短い。
(2)、大国の共産党政権による露骨な内政干渉、党分裂工作、妨害の体験
中ソ対立での経過・中越戦争・北朝鮮へのソ連・中国からの干渉の実情は、社会主義国家間の関係としては考えられないほど横暴・抑圧的なものだった。東欧政権も、スターリンによる一連の粛清裁判、ブレジネフの制限主権論による弾圧を受けてきた。ソ連軍の進駐下での政権樹立という経過もあって、その大部分が民族的尊厳も放棄させられ、ソ連の衛星国家の地位にとどまった。
それに対し、アジア3カ国は、ユーゴ、アルバニア、ルーマニアと並んで、様々な抵抗・闘争を通じて、国際共産主義運動の中で相対的自立をかちとってきた。
日本共産党へのソ連・中国・北朝鮮の社会主義国家権力・前衛党による暴力的党破壊・分裂策動は、ヨーロッパの資本主義国共産党への干渉程度をはるかに上回る。しかも、ヨーロッパでも一様に、ソ連からの干渉は受けているが、日本のように3カ国もの社会主義国家権力・党からの直接的干渉を受けた党は一つもない。
アジア4カ国においては、これらの露骨な干渉に対し、自主独立を一定守っているという面だけを見れば、党指導部への党内外の信頼感が存在している。もっとも、これら党指導者の頭脳内では、対外的な自主独立=自由の主張と、国内・党内での独裁制や指導者専制=自由剥奪・党内民主主義抑圧とは、なんら矛盾せず、両立するようである。
アジア4党は、その「自由」を、外と内でたくみに使い分けている。それだけでなく、中国・北朝鮮は、自分より小国や日本の党に分裂策動・干渉をするというように、「自由」の三重の使い分けをしている。ベトナムのカンボジア侵攻も、同じ性質をもっている。
(3)、戦後の米ソ冷戦戦略に組み込まれ、日本を含め、4つとも、国土分裂(北朝鮮、ベトナム)、一部分割(中国と台湾)、一部占領継続(1972年返還までの沖縄、およびその後の沖縄基地問題)の国民的体験と、国土統一への国民的願望の存在
そこで共産党が、その願望の先頭に立ってたたかった、またたたかっているという実績がある。ヨーロッパでは東西ドイツ分裂以外には、この面での国民的経験はない。
6、残存するアジア型4共産党・労働党の展望
それでは、なぜ、アジアにおいて、非政権の日本共産党+一党独裁で党治国家を支配する中国共産党・ベトナム共産党・朝鮮労働党が生き残っているのか。それらは、アジア型共産党としての共通する生き残り要因があるのか。その今後展望をどう分析したらいいのか。
『世界のコミンテルン型共産党=赤色生命体の誕生・死滅・残存』
死に方・死亡診断書レベルの4パターン
1、マルクス・レーニンのプロレタリア独裁理論・体制と大量殺人犯罪結果
2、資本主義世界唯一の生き残り赤色生命体=日本共産党の死期展望
3、生き残り赤色テロル型生命体=党独裁・党治国家4つの死期展望
以上見たように、コミンテルン型共産主義のヨーロッパでの終焉に対して、アジアでは3カ国と資本主義国内1党が現時点で生き残っている。しかし、それぞれの革命第一世代指導者たちが死去、引退したあとで、どのような変化が起きてきたのか。今後、起きるのか。まだ、予測がつかない。
とりわけ、中国・中国共産党をどう規定したらいいのか。中国とは、(1)政党の自由を禁止し、他政党を殲滅した一党独裁システム、(2)法治主義でなく、人知主義、(3)資本主義の自由主義市場経済でなく、社会主義経済を僭称し、共産党統制下国有企業が大半を占める国家資本主義経済国家である。それらは、矛盾に満ちている。いずれ破綻するシステムである。
日本共産党は、中国を「社会主義を目指す国家」と規定している。それなら、現在の中国体制・システムへの規定はあるのか。それには、頬かむりをするというペテン政党である。
加藤哲郎「『社会主義』中国という隣人」(『葦牙』第34号、2008年7月)
不破哲三中国共産党との関係、ファイル多数
中国共産党リンク多数
ただはっきりしていることは、一党独裁の放棄、民主主義的中央集権制+分派禁止規定→「官僚主義的中央集権制に変質」の放棄をしない限り、内部矛盾が激化するか、じり貧の党勢にならざるをえない。しかし仮に、それらを放棄したとしても、別の明るい展望が開けるわけでもない。
アジアにおいて、はたして2000何年まで、共産党というヨーロッパ生まれの妖怪が徘徊するのであろうか。
資本主義から社会主義、共産主義への必然的発展という史的唯物論に基づくマルクスの革命論は、人類が生みだした中でもっとも理論的、かつ魅力的なユートピア構想であった。「2001年宇宙の旅」、「2010年」という有名なSF映画がある。その時期以後においても、この壮大なSFユートピア構想は、太陽系第三惑星上でなお影響力を持ち続けているだろうか。
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〔関連ファイル〕
5、逆説の90周年党史 6、逆説の戦後党史 7、逆説の戦前党史
2、民主主義的中央集権制 3、世界のコミンテルン型共産党現状
宮本顕治における二重恐怖有無と2つの恐怖相互増幅作用
(1)スパイ査問シーン全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖
(2)検挙後の特高と秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑発覚恐怖
『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部、目次1〜4
獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑
山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった
『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部、目次5〜7
『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9
〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因
〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎