パンクへの道!PART1

第1話 最初はABBAだ!(小6-1982〜1983年)

ABBA自分が覚えている洋楽初体験は、小学6年生頃に聴いたABBA(アバ)だ。1982年当時、イギリスでDISCHARGEの嵐が吹き荒れている中、私はABBAだった。ラジオから自分がカセットに録音したもので、内容は70年代ヒット曲集であった。その中には、EAGLESの"Hotel California"等が収録されていたと思う。で、私にはその中でも一番"Dancing Queen"が好きで何度も聴いていた…。

誰だ!ABBA"Dancing Queen"って書いているのを見て、失笑したのは。そりゃパンクとは全く違うが、冷静に聴けば、ポップでドラマチックないい曲やと思う。しかも、確か、GLEN MATLOCKの自伝"オレはセックス・ピストルズだった"(アホなことに捨ててしまった)には、"Pretty Vacant"はABBAの"S.O.S"のフレーズを拝借したものだと告白していた記憶がある。つまり、ABBA無しでは、あのパンクの超有名曲は作られなかったわけだ。

ということで、私が、小学生の頃にABBAを聴いていたのは、そんなに間違ったことではなかったと勝手にオッケーとすることにする。マンマ・ミーア。

第2話 DURAN DURANに夢中時代(中2〜3-1984〜1986年)

DURAN DURANABBA体験以来、しばらく音楽から遠ざかっていたが、CRASSが解散した中学2年頃になるとテレビにはビデオ・クリップが流れ、まさしくMTVな時代となり、友人連中も洋楽が格好いいという風潮になってきた。かくいう私もレンタルレコード屋(勿論、レンタルCD屋ではない)に行き、いろいろなレコードを借りてきたものだ。その中で、はまったのが、DURAN DURANWHAMCLUTURE CLUB等のイギリスのバンドで、きらきらしたポップなサウンドに目がきらきらしたもんである。

その頃を振り返ると、なぜかVAN HALENMICKEL JACKSON等のアメリカンなロック、ポップスにはほとんど興味が湧かなかった。その当時は全く意識はしなかったものの、脳天気ではないイギリス的などこか陰がある音が好みである趣向が、中学時代に明確なものとなったのかもしれない。これが後にSUNFFLEATHERFACEなどのUKメロディック狂いに繋がっていくとは、その当時は知るよしもない。

ということで、私がDURAN DURANを聴いてきたのは、これまた間違いではないことにする。CLUTURE CLUBも元LONDONだしね。


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