第3話 T.REXに夢中時代(高1〜2-1986〜1988年)
海の向こうでDAG NASTYがぶいぶい奮闘していた高校1年の時代になると、同級生同士で編集したテープを交換しあうことが多くなり、かくゆう私も友人岩見氏から1本のテープを借りた。これが運命のテープだったのだが、ある1曲を除いて何が入っていたかは覚えていない。とにかくそのT.REXの"Metal Guru"という曲にとてつもなく惹かれてしまった。は虫類のような声に、変なバックコーラス、滅茶苦茶なストリング・アレンジ、シンプルだが印象的なメロ、なにもかも今まで聴いたことのない曲でてっきり最新ロックだと思って、岩見氏に学校でこの曲について尋ねると、1972年の曲でボーカルは1977年に亡くなっているときた。
ショックだった。14年前の曲が巷で流れている曲より新しいように聞こえた。摩訶不思議って言葉が似合うこの曲は私にとってのNew Waveであった。で、少ない小遣いの中からベスト盤、2nd「スライダー」、1st「電気の武者」等、CDを少しづつ購入していく。当時は、若干安くなってきたとはいえ、1枚3,200円であったので1枚、1枚真剣に聴いた。3,200円も出したから悪いはずはないと思いながら…。寂しいことだが、もう、あの時代の聴き方はできないと思う。
で、世間で出版されているパンクの教科書的な本には、パンクの元祖としてNEW YORK DOLLSやTHE STOOGES、MC5等が取り上げられることが多いが、実のところ、ロンドンのパンクス達の直接の師匠はT.REXのはずだと私は常々思っている。70年初期のテクニック至上主義の中で、シンプルなブギーを演奏したT.REXのポップな大ヒット曲の数々を後にパンクスとなった当時10代半ばのガキは熱狂して聴いていたはずだ。そして彼らが楽器を持ったとき、絶対、最初にT.REXを試しに演奏していたはずだ。ONLY ONESなんかもろに影響を受けていると感じるんだけど、私の勘違いだろうか。
有名な話だがパンク以前のバンドがパンクに対して批判的な目で見ていたのにMARC BOLANはパンクに理解を示し、自身がホストのTV番組"MARC"に数々のパンクバンドを招くとともに、DAMNEDの"Help"を絶賛し、1977年のツアーにDAMNEDを従えている(ライブアルバムの中ではDAMNEDとともに演奏している"Get It On"が収録されている)。そして、逆にあまり知られていないというか興味がないかも知れないが、CAPTAIN SENSIBLEはソロでT.REXのトリビュート12inch EPコンピ(1987年作品)に参加し、"Ride A White Swan"を愛情を持ってカバーし、T.REXに対する賛辞をジャケット裏に記載するとともに、MARC BOLANとのツーショット写真を載せている。渋いぜ、キャプテン!
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