JECだより 『わたしの献身』シリーズ原稿 |
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2000年9月1日 |
この原稿依頼に際しまして、「資格は必要ないのですか?」とお尋ねしましたところ、「それは別にありません」とおっしゃいましたので引き受けさせていただきましたが、『たった千字で、夜も眠れず』という心境です。いったい何をお話ししたら良いのでしょう。はっきり言ってまとまりません。 私が教会に導かれたのは、中学生の頃です。初めて西宮福音教会に行った時の事をはっきりとは覚えていませんが、入口の不思議な鏡や木下先生(石崎夫人)とお会いした事や初めて行ったにもかかわらず、当時130円だった新約聖書をその場で渡してくださった事など、おぼろげながら覚えています。家に帰ってからは毎日その聖書を読み、土曜日にはかかさず中高生クラスに集い、聖書の中でわからない事を先生に教えていただきました。 私が後から、自分はいつ救われたのだろうかと考えてみると、初めて教会に足を踏み入れた日としか言えないことがわかりました。 どうしてもっと劇的な救われ方をしなかったのだろう、いろんな方の証しを聞くたびに、ちょっと残念に思います。 そしてそれは、献身の姿勢にも現れている様に自分でも思います。勝負師のような、ここ一番という命がけの様なところがないのです。こんな私が献身者の妻になったのですから無茶な話です。 「君にはミセス(Mrs.スンベリ)の様な同労者になって欲しいんだ」。同労者?℃рノは聞きなれない言葉でした。共に祈り、奉仕し、支え合う…そんな献身者としては当然な?イメージを彼は私に望んでいたのでした。私はとうてい無理な事だという事で「そんな風にはなれません」と、言ったのだと思います。彼は信じられないという顔をして帰ってしまいました。後に残された私の惨めだった事。喫茶店からトボトボと夜道を一人で帰りました。 そんな灰色の?婚約時代でしたが、なんとか導かれ、結婚にまで至りました。そして今年で20年が過ぎました。よくぞお互い忍耐しました。仲人たる神様のとりなしを感ぜずにはおられません。私の信じる神様はとっても自然な方で、だれよりも私の事をありのままに受け入れてくださいます。しかし、献身ということに関しては非常にシビアな方であり、取り扱われなければならない所はこれでもか、という具合に取り扱われます。 日本ではよく、○○さんの奥さんとか言われますが、一人の人間としての私そのものです。 人を本気で変えるには本物の愛が必要です。ゆっくりゆっくりカメの様ではありますが、試練を与えられる神様の愛を感じて歩んでいきたいと思っています。 |
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