"Old"ナルドの香油

障害はマイナスと考える事ではなく


JEC拡大教職者セミナー2007春、関西学院会館にて開催、「ホモ・パティエンス」ブックレット原稿
2007年3月13日
関西学院大学ランバス礼拝堂前
 子供を授かった親は最初の頃は、男であるか女であるかに関心を持つ。しかし、もうしばらくすれば、生まれるという頃になると、ほとんどの親はそんな事よりも「とにかく健康で(五体満足)であってくれさえすれば…」と思う。

 何年か前に早稲田の学生が『五体不満足』という本を出し、世間に注目された。あの方が人々に教えた事は、「たとえ心身に障害があったとしても、一人の人間としてこの世に生まれてきた事は、大切な事であること、障害はマイナスと考える事ではなく、一つの個性として認める事が大事である。」という事である。

 私はクリスチャン人生を病の中に生きた人と考えた時、三浦綾子さんを思い出す。彼女の人生は多くの病に満ちていた。不健康という事が不幸であると言うなら、彼女の人生は不幸そのものであろう。しかし、そうではないという事が彼女の本の中に証しされている。まず病気になって動けない状態になっていたからこそ、福音にふれる事が出来た。寝ていて出来る事は、人の話を聞く事、そして考える事、…。

 忙しすぎる人間はじっと立ち止まって深く考える事をしない。彼女にとってはいやでもじっとしていなければならなかった年月は深く深く物事の真理について考える良い機会となった。今までの自分への反省、人に対するさまざまな思い、表面ではなく、その深い底にある真実、病があったからこそ彼女は救われ、その後の数々のすばらしい本を書き上げた。

 彼女自身も著書の中で、自分自身の事を「神さまからえこひいきされている。それほどたくさんの病気をするという事は特別に恵まれた人生なんだ。」と述べている。単に強がっているだけなのか。自分の人生を何とか価値あるものとして認めてもらいたいのか。 そんな愚かな人でなかった事は彼女の本を読み、生き方に触れた人はすぐに分かる。

 病の中にある人はだれでも「なんとかそれから逃れたい」と思う。それが自然な感情だ。痛みや発熱、吐き気、「一分でも一秒でもいいから早くこの不快な感覚からのがれたい」そういう状況になってしまった事を嘆き、原因が思いつけば後悔する。一般的に普通に生活している者にとって、この味わいたくない経験は私たちに大きな発見をもたらす。いつもなにげない普通の生活を送る事のすばらしさ、あまりにも平凡で刺激のない繰り返しの生活が実は恵まれた生活である事、やろうと思えば何でも出来る生活である事…。 

 このたった二、三日の苦しい経験でさえ、私たちに普段動いている時には感じる事の出来なかった感謝の心を呼び起こす。