"Old"ナルドの香油

三輪車で母を求めて走る友光少年


レディース・カンファランス :  証し・レポート原稿 (オリジナル版)
2013年6月7日
   先生もメッセージの冒頭で言われたように、集会の始まる前から”爽やかな風”がそこには吹いていた。会衆の賛美、向日かおり姉の透き通る様な声と暗闇を抜け出された証し、明るいキャラクターとは想像も出来ない苦悩が私たち聴衆の心を打つ。神様の生きた証し人がそこに送られているのを実感した。

 澁谷友光先生のお話を聞くにあたって、インターネットで青森ジョイフルチャペルのホームページを開いてみた。開けてビックリ、公開されたメッセージは一年以上も前のものだった。普通は聖日が終わればすぐに上げる物なのではないかと思うのだが、予定を教えるはずのカレンダーも古いままで2012年の所にNewという赤い文字が点滅していた。(先生、そんなにお忙しかったら若い人に任せてみられてはどうでしょうか?)

 インターネット上にも上げられているが、先生ご夫妻は家族の問題と取り組むNPOファミリー・リカバリー・センターという働きをしておられる。始められたきっかけとしては聖書の中で神様はアダムとイブという”家族”を最初に創られた。神様が最も基本で大切な存在として創られたその”家族”で、今やさまざまな問題が起きている。それなら、愛を注ぎ回復出来る場所は何処なのか?教会ではないか。

 そして、NPOを立ち上げたところ、小学校から声がかかった。とある週日の午前に親たちを集めて澁谷友光先生の集会が持たれた。集会での内容は解らないが、そこに出席していた一人の母親が集会が終わるなり我が子の所に飛んで行き、子供を抱きしめ、泣きながら我が子に謝ったという。何がその母親をその様な行動に駆り立てたのかは解らないが、そんな事が学校の中で広まり、教頭や校長会でも取り上げられ、絵本の読み聞かせをやってもらえませんか?との依頼が来て、最初は20人くらいだったものが200人もの子供たちが来るようになった。ということである。

 午前の話は主と繋がるならという事で、ルカ19:1〜10のザアカイのお話であった。澁谷友光先生は劇団に属しておられた頃、念願の主役に抜擢され、ザアカイを演じられた故かもしれないが、ザアカイにひどく共感され自分の分身の様に思われているらしい。聖書はザアカイの事を紹介する時に、ザアカイという人がいたが・・・と書いている。富を手にし、人間的には成功したかに見えるザアカイが実はローマの手先と人に蔑まれ、嫌われているという現実。自分の本当の価値が解らないために自分が願わない道を歩んでしまう愚かさ。そういう人間は人から傷つけられると人を傷つけようとしてしまう。傷は傷を生み出す。彼は無意識のうちに自分の本来の姿に戻りたい、変わりたい、という願いがあったのではないか?と、先生は話された。

 ザアカイという名前は「聖いもの」という意味だそうで、創り主なる神様の彼に対するデザインはそれまで封じ込められていたが、主にその名を呼ばれた瞬間に明らかにされた。彼は喜んで主を家に招き、そこまでしなくても良いのに、奪い取った物は四倍にして返すと断言し、神様のデザインどおりの人に生まれ変わった。神様との関係が回復すれば人との関係も回復するのである。

 午後の話は箴言4:20〜27で、主が働かれる心とはどの様な心なのか、という事で話された。神が神であることを無条件で喜ぶ、私たちは救われているという恵みを喜ぶ、そして、この喜びとは自分自身の意志で選び取る事によって湧いて来る物である。

 澁谷友光先生のお話は泣いたり笑ったり歌ったり、まるで浪曲を聞いているかの様だった。ご自分の生まれについて話される時には、(以前私も通った事があるのだが)高円寺の商店街を三輪車で母を求めて走る友光少年が見える様だった。神様によって全く変えられた人生、何と素晴しい物だろう。

 恵まれた集会を終え、家路へと車を走らせながら、収穫間近で黄金色に実った麦畑と植えられたばかりの稲の苗が何とも美しく見え、先生も「忘れないで下さい!」と言われた東北のことを考えさせられた。