“出産前の検査が羊水ではなく血液採取によって出来るようになる” A |
---|
2013年8月6日 |
私は教師になる為の大学に進みながら、結局は一度も教師になることもなく、あの四年間は何だったんだろうと時々考える事があります。 でも、障害児について学んだ事は決して無駄では無かったなぁと思っています。大学の四年生は卒論と教育実習に奔走しました。付属学校での実習だけではなく、聾学校や養護学校にも実習に行きました。付属の子供たちはある意味”実習生慣れ”していて”ああ、また下手なんが来たわ。害を受けんように適当にあしろうとこか”ってなもんで距離を感じます。そこでの思い出はあまりありません。子供の方が優秀過ぎて・・ しかし、一番思い出に残っているのは聾学校の子供たちです。私が配属されたのは、たしか三年生のクラスだったと思います。クラスといっても十数人いたでしょうか?でも、授業をする時、子供たちが全員じっと私の事を見ます。なぜなら、じっと見なければ私が何を言っているのか判らないからです。全員が補聴器を着けていますがその補聴器からの音声はクリアな物ではないので口の形を見て判断しなければならないからです。最近は更に技術も進んで聾学校の学習効率も上がっているでしょう。 聾学校の授業は一つの単元を学ぶのに随分と時間のかかる物でした。聞こえないというハンデキャプがいかに伝達効率を削ぐ物であるかを知らされました。だから、三年生のクラスなのに二年生の教科書を使う事もあります。進むスピードがどうしても遅いからです。でも、子供たちはとっても明るくて素直な子供たちでした。”子供らしい子供?”何だか久しぶりに本来の子供に出会った様な・・ その時、私は情報量の少ない事がこんなにも子供を子供らしくするなんて・・何とも複雑な気持ちになった事を忘れる事が出来ません。今は更に情報が溢れる時代になりました。子供らしい子供を探すのはもっと難しくなっているのでしょうか? |
|