"Old"ナルドの香油

礼拝は終わったのに


礼拝は終わったのに

   

  一宮チャペルは本当に小さな家族の教会です。でも、"この地上に二人三人と私の名の下に人が集まるならば、私もそこにいます。"というイエス様の御言葉を信じて、守り続けています。

 私ほど主人のメッセージを聞いた人間はいないでしょう。結婚する前から今にいたるまで、ある期間を除いて、毎週。もう何百回になるのでしょうか?

 教職者の配偶者というのは、そう簡単に他の教会の礼拝に出ることは出来ません。「ちょっと私は〇〇教会に今日は行くわね。」なんて言ったら信者さんもびっくりされるでしょう。

 礼拝が終わるといろんな教会で、先週のメッセージという形で記録のためや週報に載せるため、まとめられる方がおられることでしょう。それが牧師先生自らである場合もあれば、信者さんの奉仕者である事もあるでしょう。

 うちの教会の場合、私が拙い文章で、礼拝の間記録したメモやその日の聖書の箇所を開きながら、礼拝の後一時間半から二時間かけて、間に昼食を挟みながら携帯電話で書き上げます。

 自分で話したんだから、自分でまとめれば良いと思うのですが、わざわざ私に任せます。多分、私というフィルターを通すと神学者の難しい言葉が、一般人の柔らか~い言葉に変換されることを狙っている様です。

 つまり、エリクソンやラッドの神学書が私というフィルターを通すとサザエさんのコミック本に変わるということでしょうか?

 もちろん、内容に誤りがあったり、自分が言いたいことが抜けていたら、彼は勝手に書き変えたり書き加えたりしますので、今週のはまるで安黒先生が書かれたみたいだと思われた時は、多分、相当修正が入った時だと思われます。

 まあ、いったい何人の方が読んで下さっているのだろうか?誰かの役にたったりする事があるのだろうか?と虚しくなる時も正直あるのですが、だんだんと物忘れも始まる年齢になってきましたし、脳トレだと思いながら、止めろと言ってもらえるまでやりましょうか。

 礼拝は終わったけれど、私の苦闘は続きます。

 おかげでブログもなかなか書けません。