男と女 これは永遠の謎? |
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結婚記念日のニュースに、多くの方々からお祝いのメッセージを頂いている様で、心から感謝しております。 私たちの出会いは、西宮福音教会です。でも、最初の頃、私は礼拝ではなく、土曜日の中高生クラスに参加するだけでしたので、接点がありませんでした。また、今は多くの方が憧れる?関学生への憧れも私には全くありませんでした。 何故ならば、その頃の関学は私学の中では授業料が一番安く、女子学生はそんなことはありませんが、男子学生は概ね薄汚く、ひどい人では下駄を履いて登校する姿を、中学校に通いながら見ていたものですから・・・あんな人たちとは拘わるまいと思っておりました。 それにしても、男女の出会いという物程不思議な物はありません。私たちが同じ教会に導かれた為に出会ったのですが、これが違う教会に行っていたらどうでしょう?事実、私は最初違う教会に行こうかと考えていた時期がありました。そうしたら、今はなかったのでしょうか? また、私の父は私が中学校の頃から転勤が多く、滋賀、千葉、東京と単身赴任を続けておりました。私が大学生になった時に、母を赴任先に呼び私は西宮に残されました。 私がもし、一つも大学に合格しなかったら、多分、両親も兄も一緒に住む松戸に行くことになったでしょう。 関東に住むならば、関西の大学は受けなかったと思います。 だから、私は主人にこう言います。「全部落ちていたら、あなたと結婚しなかったのにね。」しかし、神様の導きを信じる主人は、「君が何処に行こうが何をしようが僕と結婚してるよ。」と言って聞きません。本当でしょうか?(神様の導きって、恐ろしい物ですね) そんな呪われた?いや、祝福された結婚生活も、はや35年となりました。お互い、外見は年輪を重ねても、内面は少しも変わりません。主人はいつまでも青年の様に、課題を見つけてはその答えを見いだすために日々励んでおります。 私も相も変わらず、マイペースでノロノロ亀の様な歩みを続けております。(何一つ極めたものが無いのがちょっと悩ましいところです。) 聖書の中に夫婦についての教えがあります。「夫は妻を自分の身体の様に愛しなさい。」また「妻は夫に従いなさい。」 どちらも難しい課題ですが、私には、自分を愛する様にパートナーを愛することの方が難しいと思われます。 誰でも自分のことは無条件で愛しています。「いや、私は私のことが嫌いです。」とおっしゃる方も、ある意味歪んだ形でご自分のことを愛しておられるのです。この様に、自然にしている限り、自分のパートナーを自分と同じように愛するということは不可能です。 しかし、それにもかかわらず、神様は夫たる者はそうすべきであると教えているのです。私は女ですので、愛される立場ですが、四六時中夫が私に尽くしてくれることを望んではおりません。それはそれで鬱陶しい関係になってしまいます。私は女性に対する男性のたち位置は農夫と作物に例えられると思います。 美味しい作物や美しい花は、それを育てる農夫の細やかな手入れにかかっています。的確な水やり、肥料の与え方、支えを施したり虫を取り除いたり雑草を引いたり。全てにタイミングを要します。 それにしても、どうして女性は記念日にこだわるのでしょうか?私の好きなミュージカルに"マイフェアレディー"という映画があります。その中に登場する教授が友達に尋ねます。「君の誕生日を僕が忘れていたとして、君は怒るかい?」それに対して友人は「ナンセンス!」つまり、そんなことはあり得ないと答えます。 ここに男性と女性の決定的な違いがあります。男性の生活の中にほんの一部分女性への心配りが感じられれば、ほとんどの女性は気分良く生活するでしょう。しかし、どう見ても、完全にその思考から排除されていると感じるならば、ちょっとした端々にイライラ感が現れることになります。そして、つまらないことから火の手が上がるのです。 結婚生活という物は毎日毎日の積み重ねです。全く違った環境で育った者同士が二人三脚で走り始めるのです。上手く行かなくて当たり前、躓いたりよろけたりゴールを目指して走り続けるのです。 しかし、その歩みの中で他では学べない、多くのことを学びます。今は恋愛もしない未婚の男女でいっぱいです。気楽にマイペースで生きたいのであれば、一人で満喫して下さい。ただ、せっかくの人生、スリル満点の劇場型をお望みならば、是非、あなたのたった一人のパートナーを探して下さい。 どんなに世界が変わっても、どんなに時代が変わっても、男と女 そこには謎がいっぱいです。 |
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