東方の島国に唯一残存する「レーニン神話」残留度

 

残留度バロメーター=共産党員数・読者数激減テンポ

 

第26回大会直後2月度早くもH2146減・N5763減=計7909減

3月度HNとも後退・部数沈黙=2月度以上の大量減紙か?

4月度HNとも後退・部数沈黙=2月度以上の大量減紙か?

 

すでに死滅し、再生不能な「空白」分野・階層2つ出現(加筆)

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   1、東方の島国に唯一残存する「レーニン神話」政党と残存3要因

      1、東方の島国のみに残存する「レーニン神話」政党

      2、日本共産党のみ=レーニンの犯罪的組織原則堅持

      3、「レーニン神話」政党が唯一残存している3要因

           1、地理的要因 2、歴史的要因 3、社会的要因

   2、残留度バロメーター=共産党員数・読者数激減テンポ

      1、「レーニン神話」の残留度を測るバロメーター

      2、共産党員数・読者数激減テンポの長期データ

   3、「レーニン神話」政党の余命−2019年説=いったん自然死

      1、加藤哲郎「日本の社会主義はいったん自然死」=日本共産党の自然死

      2、最後の生き残りコミンテルン型共産党=日本共産党の将来見通し

      3、すでに死滅し、再生不能な「空白」分野・階層2つ出現

           〔死滅した分野・階層1〕大学の教員・院生・学生

           〔死滅した分野・階層2〕、青年・学生階層−民青

 

 〔関連ファイル〕       健一メニューに戻る

   1、レーニンの連続クーデター 2、レーニン1917・10 3、レーニン1918、19

   4、レーニン1920、21 5、レーニン1922 6、『国家と革命』

 

   1、組織・体質 党財政 志位和夫 不破哲三 宮本顕治

   2、民主主義的中央集権制 4、粛清・査問 5、逆説の90周年党史

   6、逆説の戦後党史 7、逆説の戦前党史

 

 1、東方の島国に唯一残存する「レーニン神話」政党

 

      と残存3要因

 

 〔小目次〕

   1、東方の島国のみに残存する「レーニン神話」政党

   2、日本共産党のみ=レーニンの犯罪的組織原則堅持

   3、「レーニン神話」政党が唯一残存している3要因

        1、地理的要因 2、歴史的要因 3、社会的要因

 

 1、東方の島国のみに残存する「レーニン神話」政党

 

 日本共産党は、資本主義世界において唯一残存し、しかも、東方の島国のみに残存する「レーニン神話」政党である。私は、このファイルにおいて、改めて、日本共産党=「レーニン神話」政党と規定する。

 

 コミンテルン型共産党は、すべてが「レーニン神話」政党だった、である。その政党は、レーニン・コミンテルン型共産党の原則をすべて隠蔽・堅持している政党を意味する。その本質は、「スターリンは悪いが、レーニンは正しい」とするロシア史偽造歪曲の詭弁有権者・国民騙す政党である。

 

 「レーニン神話」政党は、レーニンの著書・演説をスターリンが編集した『レーニン全集』内容をすべて真理とし、「教典」と崇める。それは、赤色思考停止党員からなる赤色新興宗教政党である。資本主義世界においては、東方の島国以外で、全滅した。寿命は、1917年レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターから、1991年ソ連崩壊までの75年間だった。

 

 「教典」は、レーニン自身が極秘「レーニン文書保管所」ひた隠しにし、ソ連崩壊後初めて発掘公表された「レーニン秘密資料6000点」排除していた。

 

 私(宮地)のレーニン基本評価は次である。そのデータ・根拠は多数のファイルで検証した。

 1、レーニンは、典型的な言行不一致人間だった。『レーニン全集』内容と、「レーニンが最高権力者4年8カ月間でしたこと」との間逆ははなはだしい。

 (2)、「レーニンがしたこと」における最大の犯罪は、ロシア革命・ソビィエト勢力数十万人の大量殺人と、膨大なウソ・詭弁である。

 

    『ウソ・詭弁で国内外の左翼を欺いたレーニン』

       基本テーマに関するレーニンのウソ・詭弁7つを検証

    『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力

    『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書

    Wikipedia『ウラジーミル・レーニン』

 

 「レーニン神話」政党批判内容は、レーニン批判と日本共産党批判との複合になる。そして、今回のファイルは、私のHP開設60歳・後18年間における「レーニン神話」批判の集大成になった。その内容をストレートに書けば、長大すぎる文書量になってしまう。そこで、従来にない量で、レーニン批判・日本共産党批判ファイルのリンクを載せる。本来なら、リンクファイルをすべて文末に載せるべきかもしれない。しかし、あえて、このファイル中の、いたる箇所に、随時・大量に載せることにした。

 

 別ファイルに載せているように、21世紀になって、「共産党」を名乗り、国会議席を持つ政党は、他に2つしかない。フランス共産党ポルトガル共産党である。ただ、いずれも、レーニン・コミンテルン型共産党の原則をほとんど、または、基本原則を党大会において放棄宣言をした。もはや、コミンテルン型共産党=「レーニン神話」政党でなくなった。

 

    フランス共産党の党員激減とユマニテ危機

      プロレタリア独裁放棄、民主主義的中央集権制放棄、M・L主義放棄だが

    ポルトガル共産党の経緯と現在−民主主義的中央集権制堅持』

      プロレタリア独裁放棄

 

 2014年、東方の島国において「レーニン神話」政党残留する党費納入党員は、何人になったか。120年間前後約40万人→(2)2010年1月第25回大会40.6万人→(3)2012年8月90周年講演31.8万人→(4)2014年第26回大会30.8万人→(5)実質的な党費納入党員数21.5万人に激減した。彼らは、「レーニン神話」の呪縛から解き放たれていない

 

    (党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人

 

 党費納入拒否党員数・支部解党による離脱党員数は、20.1万人・50.4%になる。彼らは、日本共産党を見限った。その理由はいろいろある。1賽の河原の石積み運動にうんざり、「計画的党勢拡大路線」は誤りだ。(2)「レーニン神話」は、ウソ・詭弁ばかりだ、「レーニン神話」政党から離脱をした。

 

 「レーニン神話」教団信者=なおも残留する日本共産党員はどのような行動をするのか。1まず、党費1%・数種類のカンパという教団への献金多額を奉納する。(2)教団新聞H3400円・N800円を購読する。(3)教団教主が信者に指令する決定文書・教団大会文書を読了する。(4)HN拡大という布教活動に年がら年中励む

 

 熱烈な教団信者かどうかを見分けるポイントはあるか。いろいろあるが、「レーニン神話」内容の基本点2つをどの程度信仰しているかによる。ただし、そんな内容をまるで知らない、知る気もない。東方の島国に君臨する教団教主の言動だけに服従し、信仰していればよいという信者多い。

 

 〔見分けるポイント1〕、1917年10月レーニンがしたことは「革命でなく、

 

 単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだった」説を全面否認か、認めるか

 

    第1部『レーニンによるソヴィエト権力簒奪7連続クーデター』

         1917年10月、レーニンによる十月・第1次クーデター

    第2部『憲法制定議会の武力解散・第2次クーデター』

         1918年1月、議会1日目での解散作戦と内戦第1原因形成

 

    『レーニンによる十月クーデター説の検証』10月10日〜25日の16日間

    『1917年10月、レーニンがしたこと』

    稲子恒夫『ロシアの20世紀−年表・資料・分析』「はしがき」「あとがき」全文

          『1917年コラム−16のテーマ』臨時政府時期=10月クーデター

    リチャード・パイプス『ロシア革命史−第6章十月のクーデター』クーデター

    ダンコース『軍事革命委員会の創設は紛れもないクーデター』クーデター

           『レーニンとは何だったのか・序−「レーニン神話」を解体』

    R・ダニエルズ『ロシア共産党党内闘争史』蜂起、連立か独裁か

    アファナーシェフ『ソ連型社会主義の再検討』

    梶川伸一『飢餓の革命 ロシア十月革命と農民』1917、18年

          『レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか』軍事クーデター

          『十月革命の問題点』4月16日講演会レジュメ全文

 

 〔見分けるポイント2〕、レーニンの赤色テロル実態=大量殺人犯罪データを否認するか、認めるか

 

    『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力数

    『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書

    S・P・メリグーノフ『ソヴェト=ロシアにおける赤色テロル』レーニン時代の弾圧システム

    アプルボーム『クラーグ−ソ連集中収容所の歴史』端緒をひらいたボリシェヴィキ

    ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書』「第2章・プロレタリア独裁の武装せる腕(かいな)

    スタインベルグ『ボリシェヴィキのテロルとジェルジンスキー』テロル

    ヴォルコゴーノフ『テロルという名のギロチン』『レーニンの秘密・上』テロル

    ロイ・メドヴェージェフ『1917年のロシア革命』食糧独裁の誤り→テロル

 

 2、日本共産党のみ=レーニンの犯罪的組織原則堅持

 

 ただ、不破哲三は、さすがに、レーニンの「暴力革命路線」だけの放棄を明言した。1)堅持は、レーニンの犯罪的組織原則=democratic centralism・「民主主義的中央集権制」を、「民主集中制」と略語にしただけで、放棄していない。(2)他原則を日本共産党の綱領・規約の文言から削除しただけで、隠蔽堅持している。

 

 2000年11月、不破哲三・共産党は第22回大会を開き、42年ぶり「新・規約」を決定した。問題となったのは、()党名、()規約である。それらの放棄と堅持の状況を検討する。

 

(表1) 不破哲三「新・規約」での放棄と堅持

 

規約

放棄部分

堅持部分

党名

日本共産党であり、かつ前衛党

2つは、同義語で、不可分一体

前衛党のみ

削除

共産党のみ

堅持

規約

民主集中制

(放棄せず)

堅持

分派禁止規定

(放棄せず)

堅持

民主主義的中央集権制の4つのシステム実態

(放棄せず)

堅持

規約前文()から()

削除

前衛政党、大衆的前衛党

削除

「民主主義的中央集権制」という正式用語

削除

もっとも先進的な組織

削除

みちびくことをみずからの責務(指導政党の意味)

削除

反帝反独占の民主主義革命から社会主義革命へ、さらに共産主義社会

削除

マルクス、エンゲルス、レーニン

削除

階級闘争

削除

日本革命、党の革命的伝統

削除

規約条文

74条項

⇒57条項

党員の義務と権利

党員の権利と義務に順序変え

 

    『規約全面改定における放棄と堅持』2000年第22回大会 「新・規約」

    田口富久治 『どこへ行く日本共産党』

    中野徹三『理論的破産はもう蔽いえない』日本共産党のジレンマと責任

    加藤哲郎『20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失』

 

 東方の島国におけるマスコミ・ジャーナリストほとんどは、不破・志位らの隠蔽堅持謀略に騙された。日本共産党とは、資本主義世界で最後の生き残りをかけた二重仮面をかぶる政党である。1有権者の要求を取り込んで、民主的仮面・装いをこらした政策を大宣伝する。(2)党内民主主義抑圧・破壊組織原則などレーニンの党内犯罪原則隠蔽しつつ、堅持している。それら「レーニン神話」原則の放棄宣言を、ヨーロッパの共産党のようにしたことが一度もない

 

 その欺瞞的二重仮面に騙され、有権者多数「日本共産党は民主的政党」だと錯覚している。そして、1アベノミクスは嫌い→(2)しかし、他野党も信用できない→(3)やむなく、嫌いだが、共産党に一時的軒下雨宿り先として投票するか、となる。

 

(表2) 日本共産党の欺瞞的な4項目隠蔽・堅持方式

 

4つの原理

欺瞞的な隠蔽・堅持方式

他国共産党との比較

 

プロレタリア独裁理論

綱領において、訳語変更の連続による隠蔽・堅持。()プロレタリア独裁→()プロレタリアのディクタトゥーラ→()プロレタリアートの執権→()労働者階級の権力→()放棄宣言をしないままで、綱領から権力用語を抹殺し、隠蔽・堅持している

ヨーロッパでは、1970年代、ポルトガル共産党を筆頭として、100%の共産党が、これは犯罪的な大量殺人をもたらし、誤った理論と認定した。そして、明白に放棄宣言をした。資本主義世界で、放棄宣言をしていないのは、日本共産党だけである

 

民主主義的中央集権制

規約において、訳語変更による隠蔽・堅持。()民主主義的中央集権制(Democratic Centralism)()「民主集中制」という略語に変更()「民主と集中の統一」と解釈変更で堅持→() 「民主と集中の統一」は、あらゆる政党が採用している普遍的な組織原則と強弁している

ヨーロッパの共産党は、「Democratic Centralism」の「民主主義的・Democratic」は形式・形容詞にすぎず、「官僚主義的・絶対的な中央集権制・Centralism」に陥ると断定した。それは、「党の統一を守るのには役立ったが、一方で党内民主主義を抑圧した」組織原則だと認定した。この反民主主義的組織原則を堅持しているのは、残存する犯罪的な一党独裁国前衛党4党とポルトガル共産党・日本共産党だけである

 

前衛党概念

規約において、()前衛党→()規約前文から綱領部分削除に伴い、その中の「前衛党」用語も事務的に削除()不破哲三の前文削除説明で、「前衛党」概念を支持・擁護

イタリア共産党は、「前衛党」思想を、「政党思想の中で、もっともうぬぼれた、傲慢で、排他的な政党思想だった」と総括し、全面否定した。日本のマスコミは、左()を「前衛党」概念の放棄と錯覚し、誤った解説をした

 

マルクス・レーニン主義

()マルクス・レーニン主義→()個人名は駄目として、「科学的社会主義」に名称変更し、堅持。不破哲三の『レーニンと資本論』全7巻を見れば、マルクス・レーニン主義そのものの堅持ぶりが分かる。ただ、彼は、さすがにレーニンの暴力革命理論だけを否定した

「マルクス・レーニン主義」の命名者はスターリンである。ポルトガル共産党を除くヨーロッパの共産党すべてが、マルクス・レーニン主義と断絶した。フランス共産党も、ソ連崩壊数年後、「ソ連の失敗は、マルクス主義の失敗だった」とし、マルクス主義の立場を取らないと宣言した。

 

 日本共産党は、4項目に関し、訳語変更・名称変更・規約から削除しただけで、ヨーロッパの共産党がしたような明白な放棄宣言を一つもしていない。その実態も、隠蔽・堅持方式を採っている。世界的にも、こういう欺瞞的スタイルを採る共産党は皆無であり、いかにも不可思議な政党ではある。

 

 その点で、加藤哲郎一橋大学教授は、日本共産党を「現段階のコミンテルン研究の貴重な、生きた博物館的素材」と指摘した(『コミンテルンの世界像』青木書店、1991年、P.)。その視点から観れば、日本共産党を21世紀における「貴重な絶滅危惧種」として、このまま生態保存しておく必要があるのかもしれない。

 

 ただし、選挙政策面では、天皇制・君が代日の丸・自衛隊テーマなどで、無党派層への支持拡大を狙って、どんどん現実化している。それは、不破・志位らが、()レーニン型前衛党の5基準・原理の隠蔽堅持路線と、()選挙政策の現実化路線という矛盾した2面作戦を採用していると規定できる。

 

 3、「レーニン神話」政党が唯一残存している3要因

 

 21世紀の資本主義世界で、いったい、なぜ、日本共産党という一党だけが、レーニン型前衛党の4つの基準・原理を保持しつつ残存しえているのか。もっとも、残存する一党独裁型前衛党の中国・ベトナム・北朝鮮を合わせれば、アジアでは、4つの前衛党が崩壊しないでいる。

 

 なぜ、東方の島国のみに、「レーニン神話」政党が残存できているのか。その要因3つを考える。ヨーロッパでは、11989年〜91年東欧・ソ連10カ国崩壊と前衛党崩壊同時期に、(2)コミンテルン型共産党も全滅した。ヨーロッパと東方の島国との180度違いが発生した要因は何か。

 

 〔小目次〕

   1、地理的要因

   2、歴史的要因

   3、社会的要因

 

 1、地理的要因

 

 第1、地理的距離・位置、情報量・亡命者数

 

 ヨーロッパと日本とでは、地理面で、ソ連中心地モスクワ・東欧との距離が大きく離れている。しかも、1ヨーロッパとモスクワ・東欧が地続きであるのにたいし、(2)日本ははるか離れた東方の島国である。私が何度も、「東方の島国」と言うのは、全滅唯一残存の違いにおいて、地理的距離・位置が重要な要因になっている事実を強調する目的からである。

 

 その違いにより、「レーニン神話」国ソ連・東欧から資本主義ヨーロッパに直接流出してくる情報量は、東方の島国への情報量よりも圧倒的に多かった。亡命者数もそうである。日本へのソ連・東欧亡命者は皆無だった。公表され、日本に定住した亡命者は一人もいない。それにたいし、ヨーロッパへの亡命者数はどれだけいたのか。

 

 1レーニン時代におけるヨーロッパへの亡命者は約200万人と言われている。(2)1956年ハンガリー動乱の亡命者20万人(3)1968年プラハの春で党除名者50万人・亡命者10数万人(4)1989年東欧革命期間で数十万人もいる。その中から、アメリカへも多数が亡命した。彼らが口頭・文書でもたらす直接の生々しい情報データは、ヨーロッパ有権者の認識において、「レーニン神話」を打ち砕く上で、最終的効果を生み出した。

 

 ヨーロッパへは、1980年代、ソ連・東欧1)経済停滞・(2)他政党禁止=一党独裁の党治国家・(3)人権侵害犯罪などのマイナス情報が大量に流れ込んできた。それらは、ヨーロッパの共産党支持者・「レーニン神話」信者の信仰心を萎えさせた。その影響は、ヨーロッパすべての国において、党員数激減・共産党機関紙数激減・国政選挙連続惨敗結果となって現れた。

 

 ヨーロッパの共産党指導部は、このままでは党そのものが死滅するとの恐怖に襲われた。じり貧的消滅から逃れる道は、「レーニン神話」を否定する新しい共産主義思想=「ユーロコミュニズム運動」しかないと決断した。理論・運動の中心は、イタリア共産党・フランス共産党・スペイン共産党・イギリス共産党だった。

 

 日本共産党の宮本・不破・上田耕一郎らも、1980年をピークとする赤旗HN大量連続減紙によって、日本共産党崩壊の予感に怯えた。宮本・不破・上田耕一郎らは、「ユーロコミュニズム」に急接近し、「ユーロ・ジャポネコミュニズム」と呼ばれるレベルになった。

 

 しかし、ヨーロッパの共産党指導部は、あまりもの共産党党勢力指数激減のショックで、「レーニン神話」に見切りをつけ、democratic centralism放棄の方向を目指た。それにたいし、宮本顕治は、レーニン・スターリン信奉者として、「ユーロコミュニズム」からの断絶を決断した。彼は、4連続粛清事件を強行し、日本共産党の逆旋回→党内民主主義抑圧・破壊の「レーニン神話」型組織原則堅持という党内犯罪路線に逆戻りをした。。

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

    『3、日本共産党の逆旋回 4、逆旋回遂行のための4連続粛清事件

 

 第2、出版体制・研究者数

 

 ヨーロッパと東方の島国とでは、第1要因に伴って、「レーニン神話」解体の出版体制と研究者数が桁違いだった。「レーニン秘密資料6000点」・アルヒーフ(公文書)が続々と翻訳・出版された。亡命研究者も多数出た。

 

 それにたいし、日本における「レーニン秘密資料6000点」他の出版体制と研究者数はごく少数=実態は下記の2人しかいなかった。その桁違いの「レーニン神話」解体研究・出版相違によって、ヨーロッパ有権者東方の島国有権者との認識度は隔絶したレベルに離れた。

 

 1稲子恒夫名古屋大学教授は、著名なソ連法学研究者で学者党員だった。ソ連崩壊、彼は、ソ連体制・レーニン賛美党員で有名だった。しかし、ソ連崩壊、「レーニン秘密資料」などに直接接し、愕然とした。彼は、ある時、水田洋名古屋大学名誉教授に会って、「私のロシア革命・レーニン認識は根本的に間違っていた」と告白した。その会話内容を私(宮地)は、水田教授からじかに聞いた。

 

 その後、稲子名誉教授は、脳梗塞の後遺症にもかかわらず、1991年ソ連崩壊に発掘・公表された大量の極秘資料収集・分析し、下記『ロシアの20世紀』(東洋書房、2007年4月、1069頁)を、70歳・1998年から80歳・2007年にわたり、10年間掛けて完成させた。(宮地)が別件の大須事件取材で、稲子宅を訪問した時点も、彼は1069頁のすべてを自分でパソコンに入力している最中だと語った。彼は、出版後の2011年8月に死去した。

 

    稲子恒夫『ロシアの20世紀−年表・資料・分析』「はしがき」「あとがき」全文

      『1917年コラム』十月革命は選挙運動中のクーデター

      『1918、19年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』

      『1918、19年コラム』

      『1920、21年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』

      『1920、21年コラム』

      『1922年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』

      『1922年コラム』

 

 (2)梶川伸一金沢大学教授は、共産党員ではない。ソ連研究者として、ソ連崩壊「ロシア革命」批判・「十月革命」批判をテーマとする多数の著書・研究論文を出版・発表している。

 

    梶川伸一『飢餓の革命 ロシア十月革命と農民』1917、18年貧農委員会

      『ボリシェヴィキ権力とロシア農民』クロンシュタット反乱の背景

       食糧独裁令の割当徴発とシベリア、タムボフ農民反乱を分析し、

       レーニンの「労農同盟」論を否定、「ロシア革命」の根本的再検討

      『幻想の革命』十月革命からネップへ これまでのネップ「神話」を解体する

      『レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか』十月革命は軍事クーデター

      『十月革命の問題点』2006年4月16日講演会レジュメ全文

      Wikipedia『梶川伸一』

 

 ちなみに、稲子教授に関するエピソードを一つ書く。1969年、全国の大学封鎖運動と同時期に、新左翼・革マルが、名古屋大学の文学部・教養部を封鎖し、立てこもった。名大の共産党3支部−1)教職員支部・(2)院生支部・(3)学生支部は、封鎖対策問題でグループ会議を初めて開いた。

 

 私(宮地)は、共産党愛知県委員会の代表で参加した。私は当時、(3)学生党委員会と(2)院生支部も担当していた。3支部からトップが2人ずつ参加した。(3)学生党委員会は、共産党員400人・民青1000人を抱え、全学部だけでなく、文化部ほとんどにも共産党グループを配置していた。(2)院生支部も全学部にできていた。

 

 場所は、稲子宅だった。稲子教授は、1)教職員支部のトップだった。テーマは、封鎖解除をどうするか、だった。稲子教授の提案で、圧倒的多数の共産党・民青組織は、封鎖を包囲し、ビラ・立看板などの宣伝行動をするだけで、武力解除方針を採らないという結論で合意した。

 

 その時点、広松渉は、名古屋大学文学部教授で、ドイツ語・哲学を教えていた。彼は、封鎖学生の理論的指導者として、毎日、自由に封鎖学部を出入りしていた。双方に暴力的出来事もなく、新左翼・革マルはまもなく自ら封鎖を解除した。

 

    Wikipedia『廣松渉』1956年から1970年まで名古屋大学教授

 

 2、歴史的要因

 

 第1、戦前日本共産党史認識−獄中体験ニュース、特高体制、大量転向・非転向分布

 

 東方の島国有権者における戦前日本共産党史認識はどうなっているか。1ファシズム・ドイツを除くヨーロッパと、(2)ファシズム・日本の特高体制とは、極端な差があった。特高により、日本共産党中央委員会は何度も壊滅させられた

 

 ヨーロッパにおいて、共産党は弾圧を受けつつも、レジスタンス運動を広範に展開し、国民からの信頼は高かった。ヨーロッパの共産党は、ドイツ共産党以外、一度も壊滅しなかった。

 

 日本において、特高の弾圧とは別に、日本共産党のソ連隷従路線・反民主主義体質・「社会ファシズム路線」に基づく反戦平和運動にたいする分裂策動は、国民からの信頼を失った。日本共産党は、1934年スパイ査問事件後、中央委員会体制は壊滅した。1945年敗戦までの11年間、共産党活動は空白で、獄中以外では存在しなかった

 

    『1930年代のコミンテルンと日本支部』志位報告の丸山批判

    『反戦平和運動にたいする共産党の分裂策動の真相』

      「反戦平和でたたかった戦前共産党」史の偽造歪曲

    渡部徹  『一九三〇年代日本共産党論−壊滅原因の検討』

    田中真人『一九三〇年代日本共産党史論−序章とあとがき』

          『日本反帝同盟の研究−共産主義運動と平和運動』

    伊藤晃  『田中真人著「1930年代日本共産党史論」』書評

 

 特高による根こそぎ逮捕→拷問・脅迫で、雪崩的大量転向が発生した。それは、ヨーロッパのどこにもない異様な特殊現象だった。大量転向者たちは、革命・共産党・「レーニン神話」を裏切ったと負い目を抱いていた。戦後釈放された共産党幹部の獄中体験ニュースは衝撃を持って、受け止められた。そのニュースは、1「レーニン神話」とともに、(2)「日本共産党幹部の非転向神話」を創作し、広げた。

 

    『転向・非転向の新しい見方考え方』戦前党員2300人と転向・非転向問題

    『日本共産党90周年の根本的な逆説、第1期』

       ソ連共産党支配下の反国民的隷従政党

    『日本共産党90周年の根本的な逆説、第2期』

       ソ中両党支配下の反国民的隷従政党

    『日本共産党90周年の根本的な逆説、第3期』1967年決裂〜70年代

       隷従脱出の受動的な完全孤立政党→自主独立とウソ詭弁規定

 

 ただ、最近2007年になって、獄中12年・自称「唯一の完全非転向者」宮本顕治に関する恐るべき疑惑が発掘公表された。山田正行大阪教育大学教授PDF(3)「転向」の神話化の問題一宮本顕治に関連させて(P.45〜52)である。その疑惑とは、山田仮説宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった、とする内容である。私は、その疑惑の解明→疑惑の追検証に取り組んだ。その派生として、宮本百合子疑惑までも発生した。

 

    『山田正行−研究者プロフィール』 山田正行『ブログ』

 

 (3)「非転向」の神話化の問題一宮本顕治に関連させて− (P.45)

       a.神話化と精神主義のコンプレクス (P.45)

       b.獄中での厚遇 (P.47)

       c.中川成夫の「聴聴書作成不能」の報告 (P.49)

       d.宮本顧治と特高警察の関係性 (P.50)

       e.宮本顕治と機動隊の関係性 (P.51)

       f.小括 (P.51〜52)

   2、山田正行PDFリンク (PDF全文)

 

 本来なら、PDF全文のリンクだけで済む。ただ、ジャンプ機能になっていないので、(P.45〜52)まで行くのが分かりにくい。そこで、私のHPとして〔目次〕全体だけを載せた。カーソルを(P.45)まで一気に動かす。リンクだけなので、山田教授の了解を得ていない。

 

 ただ、宮本顕治と特高との関係疑惑PDFで公表したのは、山田正行大阪教育大学教授だけである。2007年が初めてだった。その驚天動地仮説追検証したのも、私(宮地)一人しかいない。しかも、宮本顕治に関する当時の特高資料・証拠は、完璧に廃棄・隠滅されている。山田教授仮説や私の追検証にたいし、さらなる追検証をする新資料・証拠が発掘公表される見込みはもはやない。

 

    『「犬は吠えても歴史は進む」再取上げ=異様さと謎2つ』

       宮本顕治における二重恐怖有無と2つの恐怖相互増幅作用

       ()スパイ査問シーン全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

       ()検挙後の特高と秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑発覚恐怖

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』第1部、目次1〜4

       獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑

       山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5〜7

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』第3部、目次8・9

      〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因

      〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎

 

 第2、コミンテルン型共産党の組織原則・体質を戦前・戦後とも堅持

 

 ある党の最高指導者個人を、党の路線選択の決定的要因とすることは、現代の民主政治、政党ではありえない。しかし、Democratic Centralismという個人独裁に必然的に行き着く組織原則の政党においては、その最高権力者個人の資質、経験、独裁期間は、まさにその選択を左右する。

 

 革命第一世代コミュニストは、最終的政策決定権者として君臨し、死ぬまで引退しない。彼らが権力保持に抱く異様なまでの執着心を念頭に入れれば、党改革への彼らの警戒心、拒絶反応は、十分想像できる。

 

 なぜなら、彼らは熾烈な党内闘争において競争相手、批判者をあらゆる手段で排除しつくしてきた経験から、党規約でなく、人治主義・人脈こそ党支配の根幹であることを知っている。そして、そのためには、水平交流禁止、分派禁止のタテ割り型中央集権制の官僚主義的Centralismほど利用価値が高い武器はないことを熟知している。

 

 組織の専制的支配を可能にしてくれているレーニンの党組織論、組織原則を、自ら手放すはずがない。レーニンはまさに崇拝に値する精緻な組織原則を党指導者に、今もなお与えてくれている。

 

 しかも、党改革は、必然的に党内での自由の大幅な容認をもたらす。それらは官僚主義的中央集権制、軍事的集権制を本質とする民主主義的中央集権制の党運営と絶対的に対立せざるをえない。そして、それは党民主化という耳ざわりがよいスローガンとともに、彼の専制的支配を崩壊させてしまうことを彼は本能的に予知している。したがって、Democratic Centralismを強化しこそすれ、その放棄につながる党民主化など絶対に選択しない。

 

 第3、ナショナリズムが強く、その象徴として共産党の権威の高さ

 

 (1)、大国の共産党政権による露骨な内政干渉、党分裂工作、妨害の体験

 

 日本共産党へのソ連、中国、北朝鮮の国家権力・前衛党による暴力的党破壊、分裂策動は、ヨーロッパの資本主義国共産党への干渉の程度をはるかに上回った。ヨーロッパでも一様に、ソ連からの干渉は受けているが、日本のように3カ国もの社会主義国家権力・前衛党からの直接的干渉・分裂策動を受けた党は一つもない。

 

 (2)、戦後の米ソ冷戦戦略に組み込まれ、日本を含め、4つとも、国土分裂(北朝鮮、ベトナム)、一部分割(中国と台湾)、一部占領継続(1972年返還までの沖縄、およびその後の沖縄基地問題)の国民的体験と、国土統一への国民的願望の存在

 

 そこで共産党が、その願望の先頭に立ってたたかった、またたたかっているという有権者の認識がある。ヨーロッパでは東西ドイツ分裂以外には、この面での国民的経験はない。東方の島国における「レーニン神話」政党とは、「ナショナリズム」政党という側面を伴っている。

 

 3、社会的要因

 

 第1、東方の島国における市民社会の形成史・成熟度と、ヨーロッパにおける

 

   文化や議会制度、個の自立を含めた市民社会の形成の歴史との相違

 

 それらの未熟度から、一党独裁、指導者専制を容認する国民性、党派性が、強く残っている。党内で、批判者異端として排除するのはDemocratic Centralismの本質的特徴である。同時に東方の島国では、会社組織、社会内で、批判、個人的意見発表者排除する社会的風土が根強い。そのアジア的社会と民主主義的中央集権制型国家・党組織とによって、異質排除体質が複合的に形成されている。

 

 その体質と、1一党独裁国家・前衛党3つとの共産主義友党関係容認、(2)非政権政党における最高権力者専制とは、精神科用語の「共依存の関係」にあると診断できる。

 

 第2、日本におけるマルクス主義理論の研究・普及・定着度とヨーロッパとの相違

 

 日本では、戦前・戦後を通じ、ヨーロッパと比べ、マルクス主義理論の研究・普及・定着度が高かった。その翻訳・研究レベルは、資本主義ヨーロッパ諸国より、進んでいた、と言われている。戦後において、歴史学・経済学分野では、マルクス主義研究者の層が厚かった。多数のマルクス主義研究者が、日本共産党入党した。

 

 歴史学などは、共産党員学者・支持学者が多数を占めた。経済学でも、マルクス経済学が、近代経済学を圧倒していたほどだった。大学の講座では、「マル経」学者・「マル経原論」講座・ゼミの方が、「近経」学者・ゼミより多かった。もっとも、2014年現在、「マル経」学者・講座には、学生からの人気がなく、ほぼ絶滅している。

 

 

 2、残留度バロメーター=共産党員数・読者数激減テンポ

 

 〔小目次〕

   1、「レーニン神話」の残留度を測るバロメーター

   2、共産党員数・読者数激減テンポの長期データ

 

 1、「レーニン神話」の残留度を測るバロメーター

 

 東方の島国における「レーニン神話」の残留度を測るバロメーターはないか。やはり、「レーニン神話」教団信者数=共産党員数・読者数であろう。彼らは、「スターリンは悪いが、レーニンは正しい」とするロシア史偽造歪曲の詭弁教義信じる。バロメーター=計測機器数値は、二重仮面で、共産党員・赤旗読者騙す宮本・不破・志位崇める赤色思考停止人間の人数になる。

 

 ヨーロッパでは、このタイプの赤色新興宗教教団信者は、絶滅した。キリスト教・イスラム教・仏教という3大宗教は、2000年以上続いている。それにたいし、「レーニン神話」教とその教団・宗教国家は、1917年から1991年までの75年間で、教義も国家体制も壊滅した。その結果から、それは、75年間で潰れた赤色の新興宗教だったと規定できる。

 

 赤色思考停止人間とは何か。その精神・思想状況をイメージできるか。

 ドストエフスキーは『悪霊』において、次の洞察を書いた。

 

 もう一人の主人公ピョートルは、スタヴローギンから強い思想的影響を受け、彼を「僭主」と仰ぐ。そして善悪=人間規範を超えた革命のために秘密結社を作る。ピョートルは革命運動の組織者、実践的指導者である。彼は「ぼくらは破壊を宣言する」「山をならして平地にする」「服従を組織する」とした。さらに革命運動のためのスパイ制度を設けようと考える。その拠り所になるのが全国にくまなく広がっている五人組網だとし、個人的テロルでなく、党派による権力奪取を提起する。

 

 五人組とは、その後「細胞→支部」と呼ばれる革命基礎組織のことである。党派を結合させる力について、ピョートルはまず党派内官僚システム感傷主義をあげる。そして「ところで、最後に最も重要な力はーほかじゃない。自分自身の意見に対する羞恥である。これは一切を結合させるセメントである。実に素晴らしい力だぜ! 実際だれ一人の脳中にも、自己の思想というものが一つも残らなかったとは、一体まあ誰が努力した結果なんでしょう?」と強調する。

 

 ドストエフスキーは、ネチャーエフ事件を契機として、革命党員には自分の意見への羞恥心を持たせる、即ち自分の思想を持たず与えられた思想のみを忠実に守る党員を党派内に作り出すことこそが、革命組織を結合させる最大の組織原理となると、『悪霊』を書いた1870年に考察した。その時期は、レーニンによる1917年クーデターの47年も前だった。

 

    『ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求』3DCG6枚

 

 私(宮地)の愛知県共産党専従13年半も、赤旗の一面的拡大活動に超熱心だった。まさに、「レーニン神話」信者=しかも伝道者側だった。宮本・不破の1「計画的党勢拡大路線」+(2)党内民主主義抑圧・破壊組織原則にたいし、赤色思考停止専従だった。それによって、多数の支部・党員破壊してきた。

 

    (日本共産党との裁判)第2部『「拡大月間」システムとその歪み』支部・党員破壊

 

 2014年現在、残留する日本共産党専従=推定約4000人→激減2600人は全員が、1)赤色思考停止専従で、(2)支部・党員破壊者である。

 

 2、共産党員数・読者数激減テンポの長期データ

 

 バロメーター=計測機器数値は、「レーニン神話」教団信者数=共産党員数・読者数である。その激減テンポの長期データはどうなっているか。

 

(表3) 党員数の推移−棒グラフ数値

 

 志位和夫はどこまで支部・党員騙しの党員数に関するウソをつくのか。1)20数年間40万人(2)2010年1月第25回大会40.6万人→(3)2011年11月末総務省宛の党費納入党員数報告25万人→(4)2012年5月「志位90周年講演」31.8万人→(5)2014年第26回大会30.8万人と報告した。

 

 しかし、それ以前(6)2012年8月3日都道府県委員長会議において、7月の党費納入率67.9%実質党員数21万5922人激減したと秘密報告をした。志位は、なぜ、一般党員党費納入率67.9%を正規に報告しないのか。なぜ、隠すのか。

 

    (党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人

 

http://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/img/s02_0102.jpg

【創立90周年】共産党が政権に最も近づいた頃を調べてみ

 

 このグラフは、外部HPのリンクである。グラフを見る限り、党員数のピークは昭和62年(1987)であることがわかる。ちなみに機関紙数のピークは昭和55年(1980)。2012年時点、党費納入党員数実態は、21.5万人に激減している。赤旗部数は、2014年1月第26回大会志位報告のように、124.1万部に激減した。

 

 共産党の党勢力の根幹データとなる赤旗HN読者は、選挙結果に比例して、増えたのか。赤旗読者の長期データはどうなっているのか。日本共産党とは、1980年赤旗読者数ピーク以降34年間連続大量減紙政党ある。参院選結果と党勢力の根幹データとは、反比例関係になった。それらのデータを検証する。

 

(表4) 34年間連続減紙政党=10年単位の激減数・%

 

80

90

00

101

141

差引減

大会

15

19

22

25

26

34年間

HN

355

286

199

145.4

124.1

230.9

内H

54

35

25

21.8

 

内N

232

164

120

102.3

 

HN増減

69

87

53.6

21.3

 

減紙累計

69

156

209.6

230.9

 

減紙率

19.4

43.9

59.0

65.0

65.0

1980年とは、東欧・ソ連の経済停滞・人権侵害犯罪情報で、ヨーロッパ共産党全体が

党員数・読者数・国政選挙結果で全面後退開始→日本共産党も同じく、赤旗ピーク終了

1990年とは、89年〜91年東欧・ソ連10カ国と前衛党のいっせい崩壊中

=ヨーロッパの資本主義国コミンテルン型共産党も、同時いっせい崩壊・壊滅

日本共産党だけが資本主義世界のコミンテルン型共産党として唯一生き残っている

 

(表5) 34年間=党大会毎の読者大量離脱政党

 

80

82

85

87

90

94

97

00

04・1

061

101

141

大会

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

HN

355

339

317.7

317.5

286

250

230

199

173

164

145.4

124.1

内H

54

50

40

35

30

28

25

21.8

内N

232

200

190

164

143

136

120.4

102.3

増減

16

21.3

0.2

31.5

36

20

31

26

9

18.6

21.3

25回・26回大会は、HN部数の区別なし→それ以前の比率で推計

2014年1月第26回大会現数のみ 新鮮味 党改革方針皆無

第26回大会直後2月度早くもH2146減・N5763減=計7909減

3月度HNとも後退・部数沈黙=2月度以上の大量減紙か?

4月度HNとも後退・部数沈黙=2月度以上の大量減紙か?

 

 党大会比較で、1980年第15回大会〜2014年第26回大会までの12回の34年間赤旗部数は毎回激減している。宮本・不破・志位は、賽の河原の石積み運動に執着し、衰弱死突入政党変質させた。

 

 

 3、「レーニン神話」政党の余命−2019年説=いったん自然死

 

 〔小目次〕

   1、加藤哲郎「日本の社会主義はいったん自然死」=日本共産党の自然死

   2、最後の生き残りコミンテルン型共産党=日本共産党の将来見通し

   3、すでに死滅し、再生不能な「空白」分野・階層2つ出現

 

 1、加藤哲郎「日本の社会主義はいったん自然死」=日本共産党の自然死

 

 加藤哲郎は、2002年、論文『日本の社会主義運動の現在』を発表した。彼は、末尾において、「日本の社会主義はいったん自然死」と提言している。全文を読めば分かるように、その自然死という概念は、日本の社会主義=日本共産党の自然死を指している。重要な指摘なので、4章の骨子・抜粋と末尾の一節を載せる。これは、『葦牙』第28号(2002年7月)に掲載された。

 

    加藤哲郎『日本の社会主義運動の現在』末尾−日本の社会主義はいったん自然死

 

 1、はじめに−「社会主義」と「共産主義」

 

 第三インターナショナル(コミンテルン)=国際共産主義運動は、21世紀の今日から見れば「大きな失敗」であったが、20世紀の日本においても、「社会主義」とは、主としてコミンテルン=共産党系の思想・運動、およびソ連や東欧の「現存した社会主義Actually existed Socialism」の国家・経済体制と理解され、受容されてきたので、ここでは「日本の社会主義運動」日本共産党を中心としたものとして扱う。

 

 2、ポスト冷戦期の日本共産党

 

 1989年の「ベルリンの壁」崩壊と91年のソ連解体で、世界の共産党は、消滅の一途を辿っている。旧来のコミンテルン、コミンフォルムの伝統を引いた国際共産主義運動は、基本的に消滅した。北欧、イギリス等では共産党が自主解散し、イタリア共産党は左翼民主党に変身して、社会主義インターナショナルに加盟した。かつての「モスクワの長女」フランス共産党は、スターリン主義的過去を自己批判し生き残ろうとしているが、3分の2の党員を失い、弱体化した。

 

 その中で、なぜ発達した資本主義国である日本で、共産党が生き残り得たのだろうか。これは外国からみると、奇妙な状況だろう。しかし、これにはいくつかの根拠がある。加藤哲郎は、4つの根拠を分析している。

 

 3、日本共産党の自己矛盾

 

 しかし、以上に述べた存続理由の全てが、実は同時に、日本共産党に自己矛盾と衰退をもたらす要因にもなっている。

 以下、加藤哲郎は、自己矛盾と衰退をもたらす7つの要因について、詳細な検証をしている。

 

 4、社会主義運動の展望と課題−20世紀日本の教訓

 

 このように、日本共産党、社会民主党がなお政治勢力として存続しているとはいえ、日本における思想および運動としての社会主義は、21世紀の入り口で、風前の灯である。国家ないし経済体制に転化する可能性は、全くない

 

 戦前・戦後の党資金の出所や、宮本顕治が1933年に関わった「スパイ査問致死事件」についても新たな史資料が出てきて、2002年夏の党創立80周年を前に、党史の再検討を迫られている。フランスで『共産主義黒書』が大きな話題になったように、ソ連・東欧の「現存した社会主義」の歴史に加えて、日本共産党の80年の歴史も、日本の社会主義運動にとっては「20世紀の負の遺産」となりつつある。

 

 イタリア共産党の場合は、こうしたコミンテルン的過去を清算して、左翼民主党=社会民主主義に変身し、フランス共産党も「自己批判」して、過去に党から追放・除名された人々を「名誉回復」し、復帰をよびかけることまで行った。しかし日本共産党はなお、そこまでコミンテルン的過去から脱皮することができず、党機関誌『前衛』の名前を変えることをいったん発表しながら、適当な代替案がなくて、なおそのままで存続している状態である。このような方向では、遅かれ早かれ日本の「社会主義」はいっそう衰退し、すでにゲットー化している現状から、脱する展望はない

 

 そして、そもそも「世界ブルジョアジー対世界プロレタリアート」というコミンテルン的階級闘争図式は、宗教や民族や階級内の社会層(階層)を、生産手段の所有・非所有に還元してすべてを階級関係に従属させることで、現実の20世紀の歴史的展開には、無力だった。ましてや、女性の解放を階級闘争に従属させてきた点で、政治的に誤っていた。

 

 今日では、国家主義の延長上で地球的プロレタリア独裁・集権的計画経済を夢見るよりも、ローカルなコミュニティAssociationを構想し、そのネットワーク型共生のなかで多国籍企業や国家への抵抗を考える方が、はるかに社会主義的である。いいかえれば、政治的民主主義と市場経済を前提とした、「国家中心主義」に対する「社会中心主義」ないし「市民社会主義」としての社会主義である。

 

 「現存した社会主義」の歴史的教訓の一つは、思想の自由・文化的多元主義が、社会主義にとって不可欠だということであった。それは、社会主義の定義そのものにも適用されねばならない。「何が社会主義であるか」をも、後世の歴史の審判に委ねる、思想的寛容が必要である。

 

 その意味で、日本の社会主義はいったん自然死し、新たな名前で再生することが、課題となっている。

 

 加藤哲郎は、さらに、2013年12月、次の著書においても、日本共産党批判を書いた。

    岩波現代全書『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』

     第七章 平野義太郎と日本共産党の「平和利用論」

      1 講座派の論客から「大アジア主義」を経て日本平和委員会会長に

      2 共産党の六一年綱領と「原子力の平和利用」

      3 原水禁運動を分裂させた共産党の「社会主義の防衛的核」

      4 脱原発運動に反対した共産党の「平和利用」の論理

 

    宮地幸子『ソ連の核実験はきれいな核実験??』加藤哲郎著書感想

       「社会主義国の防衛的核」を信じた愚かさ

 

 2、最後の生き残りコミンテルン型共産党=日本共産党の将来見通し

 

 このテーマについては、加藤哲郎提言=日本共産党のいったん自然死以外に、多様な見解がある。1共産党名を変えよ。(2)民主集中制を放棄すべき。(3)志位・不破など指導部を引退させろーなどである。ただ、これらの見解は、日本共産党そのものの自然死概念や、その要求と異なる。死滅ではなく、なんらかの形での共産党存続を認めている。また、半減したといえ、党費納入党員数21.5万人の生き残りを前提としている。

 

 1党名・(2)党内民主主義抑圧破壊組織原則・(3)独裁者などを変えればいいのか。それらによって、日本共産党は根本的に生まれ変われるのか。

 

 最大のネックは、1長期90年に及ぶ組織体質、(2)残存する共産党員の思想体質であろう。3人独裁者・常幹22人から党費納入党員21.5万人に至るまで、全党員に浸み込んでいる「レーニン神話」=レーニンの党内外犯罪組織原則と多数の党内犯罪理論がある。

 

 〔1、レーニンの党内外犯罪組織原則〕とは、1Democratic Centralism+(2)分派禁止規定+(3)軍隊的上意下達規律+(4)批判・不満者排除と粛清の「浄化」是認システムなどである。レーニンは、レーニン批判のロシア革命・ソビィエト勢力を、秘密政治警察チェーカー・赤軍などの暴力装置に命令し、「浄化」という名前の粛清を遂行した。

 

    『知識人数万人追放「浄化」・第7次クーデター』「浄化」文言多数

      1922年5月、「反ソヴィエト」知識人追放作戦という文化大革命

 

 〔2、レーニンによるクーデター〕とは、1917年単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだけではない。その後、憲法制定議会武力解散クーデター以外に、ロシア革命・ソビィエト勢力から、秘密政治警察チェーカー・赤軍などを使って、暴力一党独裁・党治国家樹立のクーデター連発した。レーニンが遂行した7連続クーデターとは、合法的な選挙でなく暴力=赤色テロル・大量殺人犯罪手口で、レーニン批判勢力排除した行為を指す。

 

    『レーニンによるソビィエト権力簒奪7連続クーデター』10部作

 

 ただし、憲法制定議会武力解散という第2次クーデター以後に、レーニンがした犯罪行為多数研究はあるが、それらを「クーデター」と規定した研究はない。21世紀現在では、ほとんどの研究者が、1917年10月=第2回ソビィエト大会前日にレーニン・トロツキーがしたことは「革命でなく、単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだった」規定している。

 

 レーニンの前日クーデターがないままで、第2回ソビィエト大会が開かれていれば、ロシア革命・ソビィエト勢力政党全体によるソビィエト政権成立確実な情勢だった。レーニンは、そのような連立政権を嫌った。彼は、マルクス主義に基いたボリシェヴィキ単独でなければ、「マルクス主義型社会主義を建設できない」と、うぬぼれた排他的エリート意識の狂信者だった。

 

 彼が、最高権力者だった4年8カ月間、彼の最大目的は、クーデター権力の維持・強化だった。レーニンに追放されたベルジャーエフは、自分の体験に基づき、レーニンは権力のための権力者だった」と規定し、公表した。「レーニンは、クーデター権力維持・強化のためには、大量殺人・ウソ詭弁・連続クーデターなどなんでもやる権力者」という趣旨だった。

 

    『聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理』レーニン・スターリン70万人殺害

    『「反ソヴェト」知識人の大量追放「作戦」とレーニンの党派性』ベルジャーエフ

    稲子恒夫『1922年のソ連とソ連共産党年表』ボリシェヴィキ不支持者・政党排除・浄化

          『ロシア1922年〔コラム〕―6つのテーマ』

    梶川伸一『レーニン体制の評価について』21年−22年飢饉から見えるもの

    山内昌之『革命家と政治家との間』レーニンの死によせて

 

 〔3、レーニンの党内犯罪理論の中心の一つ〕は、「外部注入論」である。その内容は、1労働者は自ら社会主義理論に到達できない。(2)社会主義やマルクス主義を名乗る他政党も、すべて真の科学的社会主義政党になりえない。(3)レーニン型共産党だけが真のマルクス主義を認識し、体現し、遂行できる。(4)その真実理論を労働者・有権者・他政党にたいし、「外部から共産党員が注入しなければならない。注入できるのは、共産党員だけである」。

 

    Wikipedia『ソビエト連邦共産党』外部注入論

 

 これほどの「うぬぼれた排他的エリート」理論はないであろう。約半減したとはいえ、残存する日本共産党員=党費納入党員数21.5万人は、このうぬぼれと排他的エリート意識にどっぷりと浸っている。レーニンのこれら党内犯罪組織原則やうぬぼれ理論が根本的な誤りと認識すれば、共産党員を続けることはできない。彼らが、共産党から離党・党費納入拒否をしない事実は、その党内犯罪理論を正しいと信仰しているからである。

 

 埴谷雄高は、戦前の共産党体験に基づき、「共産党と共産党員は、エリート意識の塊だ」と規定した。無知な労働者・大衆に、唯一の真実であるマルクス主義=日本共産党路線・理論・政策を教えてやる。共産党だけが正しい。他政党とは共産党に賛成・服従した場合にのみ、統一行動・統一戦線を組んでやる。日本共産党を批判するような政党・団体との共闘を拒絶する。憲法改悪反対テーマでも、批判学者・講師を含むような集会への参加も拒否する。

 

 たしかに、21.5万人は、「誠実、活動に熱心」と評価されてきた。しかし、反面は、「うぬぼれた排他的エリート」理論を信仰している。レーニンや3人独裁者にたいし、根底的な批判・不満を抱かない。まさに、1「誠実」だが、(2)レーニン理論や日本共産党トップにたいし、疑問・批判を持たない赤色思考停止人間を続けてきた。赤色信仰に基づく宗教的布教なら、活動に熱心になるのは当然である。

 

 自然死・衰弱死をしないままで、かつ、これらの「うぬぼれた排他的エリート」意識共産党員=赤色思考停止人間21.5万人を残存させたままで、最後の生き残り党内犯罪政党変えきることは不可能であろう。「自分の思想を持たず与えられた思想のみを忠実に守る党員21.5万人には、死滅の道しかない。

 

    『日本共産党余命6年・2019年説=党機関財政破綻』

       資本主義世界で最後に生き残っているコミンテルン型共産党の余命

    『日本共産党が自然死と衰弱死に至る展望』自然死の2段階展望と衰弱死

 

 3、すでに死滅し、再生不能な「空白」分野・階層2つ出現

 

 ただ、自然死・衰弱死といっても、日本共産党員を構成する分野・階層によって、死ぬテンポが異なる。主な構成分野・階層は、いくつかある。労働者、中小業者、地域の婦人・定年退職者、青年学生、大学の教職員・院生・学生などがある。他に、医療関係者、弁護士グループ、共産党系団体グループ、地方議員2694人もある。

 

 その中で、すでにほぼ死滅した「空白」分野・階層2つ出現した。これらは、もはや再生不能である。

 

 〔小目次〕

   〔死滅した分野・階層1〕大学の教員・院生・学生

   〔死滅した分野・階層2〕、青年・学生階層−民青

 

 〔死滅した分野・階層1〕、大学の教員・院生・学生

 

 日本の大学内には、3つの共産党支部があった、ある。(1)教職員支部・(2)院生支部・(3)学生支部である。ところが、2014年現在、ほとんどの大学で、3支部とも死滅した。残留しているのは、わずか、日本福祉大学・信州大学だけと言われている。ただ、そこの具体的党員数の証拠はない。

 

 立命館大学学生支部・民青班は、日本共産党の最大拠点と言われてきた。しかし、2014年現在、ほぼ壊滅したとするKM証言がある。

 

    KM『立命館民青小史』立命館民青の崩壊経緯

 

 日本の大学3支部の党員数は多く、影響力は大きかった。その共産党基礎組織が、なぜ、いつ死滅したのか。その原因は、宮本・不破・志位がしかけた学者党員・共産党批判学者にたいする党内民主主義抑圧・破壊・粛清攻撃狂気のような学者批判キャンペーンだった。それに怒って、反発した学者党員だけでなく、院生党員・学生党員も、ほとんどが赤旗HN購読を拒否し、共産党から離脱した。

 

 宮本・不破・志位学者党員・共産党批判学者にたいする党破壊犯罪行為は3つある。

 1ユーロコミュニズム・スターリン問題の研究・出版活動粛清事件=通称「ネオ・マル粛清」

    『田口・不破論争』1978年〜『中野徹三除名』80年後〜『高橋彦博除籍』94年。

 (2)1984年古在由重除籍

 (3)1993・94年丸山眞男批判13回大キャンペーンは、1(2)を合わせ、学者党員ほとんどを共産党から離脱させた。

    田口富久治名古屋大学教授・学者党員は、このキャンペーン批判し、後に「組織を離れた」と公表した。

    小島亮・田口富久治『田口・不破論争と雑誌「現代と思想」』

 

    逆旋回遂行のための4連続粛清事件

     第1ユーロコミュニズム、スターリン問題の研究・出版活動粛清事件

        通称『ネオ・マル粛清』の『田口・不破論争』1978年〜『高橋彦博除籍』94年

        その一つ『上田・不破査問事件』1982年 査問→自己批判書公表

     第2、民主主義文学同盟『4月号問題』事件 1983年

     第3、平和委員会・原水協一大粛清事件 1984年 古在由重粛清・除籍

     第4東大院生支部の党大会・宮本勇退決議案提出への粛清事件 85年

          志位委員長の『汚れた手』出自−「党中央青年学生対策委員」当時

 

    『共産党の丸山批判・経過資料』1993・94年

    『志位報告と丸山批判詭弁術』

    宮本顕治『‘94新春インタビュー』『11中総冒頭発言』の丸山批判

    志位・不破『1994年第20回大会』の丸山批判

    共産党『日本共産党の七十年』丸山批判・党史公式評価

    丸山眞男『戦争責任論の盲点』(抜粋)

    石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』

    田口富久治『丸山先生から教えられたこと。共産党の丸山批判問題』

 

 これら宮本・不破・志位がしかけた犯罪行為の根底には、レーニンの「共産党がすべてを決定する。社会科学・歴史学分野においても、党最高権力者の理論・認識と異なる理論公表学者党員・批判学者の存在を許さない」とする「うぬぼれた排他的エリート」意識が見え隠れする。

 

 そこには、宮本・不破・志位における「マルクス・レーニン主義の解釈権は、日本共産党トップのみが占有する。学者党員風情には、党中央解釈と異なる独自の理論を公表する党員権はない」とする独善的で強権的な思考がある。

 

 「1たかが学者党員でしかない田口富久治が、ユーロコミュニズム理論かぶれdemocratic centralism→民主集中制の見直し理論展開・公表した。党内に複数の潮流があるのは正しい、とするフランス共産党員理論肯定的に紹介した。それは、党内の分派活動容認につながる。

 

 党中央は、彼を査問したが、彼は自説を撤回しなかった。その理論は、反党行為に相当する。1978年田口・不破論争』後も撤回しなかった。そこで、党中央は、愛知県・名古屋市の共産党・民青組織にたいし、田口を講演会・集会に一切呼ぶなと命令した。彼を「赤いエリヤ」から全面追放し、彼の影響力干し挙げた

 

    Wikipedia『田口富久治』

 

 (2)学者党員・水田洋が、マルクス主義全体にたいし、新解釈公表するのは、奇妙な理論内容であり、許さない水田は、「マルクス主義は絶対的真理でなく、あくまで相対的理論」と真理性を否定した。党中央は、「水田洋の奇妙な理論」と、批判論文を公表した。彼は、にも、「民主集中制」批判を公表し、また、「日本共産党の丸山批判」否定した。

 

 1、「集中制ととくにいわなければならないのは、多数決・無条件服従のばあいだけであって、これは緊急やむをえないときの処置で、民主主義の例外ケースである。例外を原則とするとは、どういうつもりだろうか」。

 

 (2)、「ところが問題は復員後にあらわれた。それは、左に日本共産党の自己絶対化と近親憎悪右に天皇制の強固な残存である。ふたつともいぜんとして、日本共産党の体質の基本的特徴であり、前者はたとえば、いわゆる反党分子の批判に、後者はたとえば、共産党の戦争責任論についての丸山眞男批判にあらわれている。「反党分子批判」は正面の敵でないところに批判の矢をはなつことによって、反党分子を増加させているといえよう。

 

 (3)日本共産党は、最近、丸山眞男が四十年近くも前に書いた共産党戦争責任論に、むきになって反論しているが、「敗軍の将」にも、戦争犯罪の主犯たちとはちがった意味で責任があることはあたりまえだし、丸山の理論「傍観者の論理」などといって片付けていたのでは、得票率三パーセントの政党の支持はひろげようがないだろう。のこりの九七パーセントは傍観者なのである。

 

 こうした排他性をささえる思考停止人間(自分で考え自分の責任で発言する能力のない人間)を生産したことは、戦争責任に続く戦後責任といえるかもしれない。」「丸山さんの日本共産党戦争責任論は、あたりまえのことをいっただけ(象二二号九ページ参照)なのに、共産党を刺激していくつかの反論を生んだ。

 

    水田洋『民主集中制。日本共産党の丸山批判』

 

 (3)学者党員・中野徹三が、不破書記局長の「プロレタリア独裁→プロレタリア執権への訳語変更」論文にたいし、『あくまで「独裁」訳語が正しい』と批判する学術論文を公表・出版した。その行為は、「党内問題を党外に持ち出し、出版した反党行為」であり、それは除名に相当する規律違反である。不破論文は、党中央決定と同じレベルだからである。

 

 ただ、中野徹三除名に当たって、札幌学院大学教職員支部が、除名処分可否をめぐり、大混乱した。半ば支部崩壊状況になった。その教訓から、今後、学者党員除名処分において、所属支部の討論・決定を求めるやり方まずい。支部を飛び越え、一級上の党機関が本人だけを、査問→除籍する手口を使え。それなら、支部には、党北海道委員会による除籍の事後通知だけですむ。

 

 (4)学者党員・古在由重は、1984年の平和委員会・原水協一大粛清事件において、被除名者吉田嘉清原水協代表理事への共産党側理事の「吉田退場要求」にたいし、「私は吉田代表理事と同じ意見だ」と発言した。

 

 10月、金子満弘・宮本顕治は、古在由重が、提出した「離党届」受け取りを拒否した。その上で、古在「厳密にいえば分派活動」の規律違反を犯したとして、査問し、除籍した。

 

 1990年3月、古在由重の死去で、ほとんどのマスコミが朴報、追悼記事を載せたのに、「赤旗」は、完全黙殺した。それへの党内外からの批判が高まり、共産党本部や「赤旗」編集局抗議が殺到し、かなりの人が「赤旗」購読をやめた

 

 すると、金子・宮本は、5月23日付「赤旗」で、「古在由重氏の死亡の報道に関して―金子書記局長の報告の要点」を掲載した。そこでは、わざわざ「原水禁運動をめぐっての1984年10月の「除籍」にいたる日本共産党との関係」として、古在「厳密にいえば分派活動」規律違反行為をわざわざ分析してみせて、死者に鞭打った

 

    Wikipedia『古在由重』1959〜65年名古屋大学教授

 

 9月14日、川上徹が、藤田省三らとともに、「古在由重先生を偲ぶつどい」の企画、事務局側の一人となった。呼びかけ人には、家永三郎、久野収、加藤周一、遠山茂樹、川本信正らが名を連ねた。川上徹は、1400人の参加者のまえで「つどいの経過報告」をした。党中央は、それを、「規律違反で除籍した者を偲んだ」規律違反として、川上徹査問し、除籍=実質的な除名処分にした。

 

 (5)学者党員・高橋彦博が、1994年、『左翼知識人の理論責任』を公刊著書で鋭く提起した。「左翼知識人の戦争責任批判」も提起した。党中央は、その内容を、「共産党の戦争責任批判」と同じと偽造歪曲した。第20回大会での「誹謗・中傷」新規定を恣意的に先取り適用した。規約に違反し、法政大学教職員支部討議にもかけず、ひそかに論争無用の党外排除をした。

 

 その手口は次である。高橋一人だけを呼び出し、査問せよ。その場で即座に、除籍せよ。除籍理由・措置の文書を渡さないで、口頭のみで言い渡す法政大学教職員支部には、党東京都委員会が「都委員会決定を知らせる。高橋除籍した」と、文書を渡さないで、口頭のみで事後通知をする。教職員支部から、反対意見・「意見書」が出されても、すべて無回答にし、握りつぶす

 

 詳細な内容は、高橋彦博ファイルリンクにある。一部だけ載せる。

 「私が今回、日本共産党から除籍されたのは、昨年(一九九三年)七月に私が窓社から刊行した『左翼知識人の理論責任』が「日本共産党に対する誹謗・中傷に満ちている」「党外からする党への攻撃である」と判断されたことによるものでした。今回の除籍措置にあたって、私には、呼び出しと口頭による言いわたしの形式がとられました。除籍理由の文書による明示は、私の強い要請にも関わらず、遂になされませんでした。以下の五点の除籍理由は、私のメモによるものです。

 

    高橋彦博『論争無用の「科学的社会主義」』高橋除籍問題

 

 現在、日本共産党になお残留している学者党員は、これらの学者党員への除名と除籍批判学者攻撃13回大キャンペーンを見聞きしたはずである。それでも、党に残ったのか。それとも、宮本・不破・志位らの攻撃・粛清論理を正しいと判定したのか。彼らは、まさに、赤色思考停止専従・推定4000人→激減2600人と同じレベルの思考停止の赤色御用学者と言える。

 

 〔死滅した分野・階層2〕、青年・学生階層−民青

 

 このテーマについては、かなり検証してきた。その死滅経緯・データを確認する。この青年学生階層・民青も再生不能である。

 

    〔実相5〕民青−沈黙。250崩壊/315地区=民青問題に具体的コメントなし・沈黙

 

志位は、2014年第26回大会中央委報告において、民青再建地区数についても、沈黙した。2004年からの青年支部数にも沈黙した。民青実態への無知から、生まれた代々木内の机上の空論青年支部は、ほぼ全滅したと思われる。

 

 第25回大会決議は、民青再建65地区−共産党315地区中250地区・79.3%崩壊のままとした。民青同盟員数・班数についても、沈黙・隠蔽している。共産党青年支部数について、04年1000支部結成→05年400支部に減退=600支部崩壊→09年決議は支部数に沈黙・隠蔽をした。実質的にもっと崩壊していると思われる。

 

 そもそも、共産党青年支部とは、民青体験がない共産党常幹が代々木から発想した机上の空論だった。私の民青名古屋地区委員長1年半体験から見ても、それは二重の誤りを持っていた。第1の誤り=民青同盟員の数が、青年党員の数倍いればともかく、ほとんど同数になった現崩壊状況では、二重組織になり、民青班側の方が先に壊滅する。第2の誤り=青年党員だけを分離・分割すれば、残るのは、高齢者党員だけになり、次第に不活動→支部自体が消滅する。

 

 民青体験がない志位・不破でなければ、1972年新日和見主義分派事件=(1)対民青クーデター・(2)対青年学生党員への党内クーデターに次いで、こんなにも誤った二度目の民青破壊路線をとらなかったであろう。

 

(表7) 宮本・不破による民青破壊犯罪と民青壊滅

 

第26回大会志位報告−民青問題への言及・具体的コメント一切なし

 

共産党党大会史上初めて沈黙民青組織ほぼ壊滅か?

 

民青同盟員数と実態

1972

民青同盟員数200000と最高値

 

 

1972

宮本・不破による民青・新日和見主義分派事件

(第1回方針転換)1)民青に事前相談もしないで、民青幹部30歳→25歳への年齢制限引き下げという共産党の独断決定。2)1972年沖縄返還闘争位置づけへの批判。3)朝鮮労働党分派疑惑

 →民青内に党中央批判勃発、民青中央の過半数が反対→批判者を2人分派・3人分派とでっち上げ→全国で600人査問、100人を1年間党員権停止処分・1人除名→その全員を民青専従解任・民青から追放→宮本・不破忠誠派への総入れ替えクーデター強行

これは、日本共産党史上、最大規模の冤罪粛清クーデター事件だった。

1995

民青同盟員数23000人に激減。宮本・不破忠誠派への総入れ替えクーデターによる民青破壊犯罪により、民青崩壊

(第2回方針転換)民青崩壊により、党中央は、199510月、315民青地区の廃止指令→民青都道府県委員会と民青班の直結命令

2003

民青中央委員会において、同盟費納入率40と報告。ただ、その実態を民青大会に報告せず

在籍23000人×40%≒実質同盟員数9200人にまで崩壊

2004

(第3回方針転換)崩壊度が止まらないので、共産党支部内で、民青指導の共産党青年支部分離方針を決定。

志位和夫は、青年支部1000結成と自慢報告

 

 

2005

民青同盟員数在籍20000人未満に転落と推定。というのも、2001年後の民青大会は、同盟員数を報告するなという党中央命令で隠蔽中。同盟員数報告の禁止という異様な共産党指令によって、その壊滅度が推定できる。

(第4回方針転換)党中央は、民青地区廃止命令を撤回→民青地区委員会再建方針に逆転換

5中総で、志位は、47都道府県・約316廃止地区中、8都道府県において、共産党命令で26地区の再建に成功と報告

(第5回方針転換)青年支部分離方針が頓挫→1000の青年支部も活動停止状態→5中総報告で400支部に減退=1年間で600支部が崩壊→共産党青年支部分離方針の逆転換・廃止か?

2007

11月民青33回大会。前回大会より同盟員数1100人減と報告。共産党中央発表禁止命令→13年間同盟員数・同盟費納入率隠蔽

2009

1121日、民青第34回大会。315地区中250崩壊のまま=共産党地区の79.3が民青地区機関壊滅のままで、都道府県と班直結1994年大会同盟員数23000報告以降、共産党中央の発表禁止命令により、15年間同盟員数・同盟費納入率隠蔽、再建地区数のみ公表

2010

共産党第25回大会決議。再建65地区−共産党315地区中250崩壊のまま青年支部数に沈黙・隠蔽。中央委報告はすべて沈黙

2014

共産党第26回大会志位報告。民青問題への言及・具体的コメント一切なし。共産党党大会史上初めて民青組織ほぼ壊滅か?

 

 民青は、共産党の指導を受けるという特殊規約を持ち、共産党員候補の最大の貯水池である。宮本・不破による1972年新日和見主義分派事件は、民青中央委員会幹部や都道府県委員会専従たちが、共産党からの自立傾向を示した諸運動・言動にたいする一大粛清・犯罪事件だった。たしかに、その対民青クーデターは、民青幹部トップたちを、宮本・不破忠誠派に総入れ替えすることに成功した

 

 しかし、そのツケと反動は、強烈だった。その犯罪的な2人分派・3人分派でっち上げクーデターは、同時に、共産党貯水池20万人という民青ダムを爆破した。20万立方メートルの党員候補者たちは、見る間に、2万立方メートル未満へと枯渇し、貯水池は干からびた。宮本・不破らは、民青という青年組織の未成熟さ・不安定レベルにまったく無知だった。彼らは、その行為が、ダム決壊を誘発し、民青が、共産党指導規約の科学的社会主義テリトリー(領域)から「大逃散」する事態想定にも入れていなかった。

 

 私は、共産党名古屋中北地区常任委員になる前、1962年から1年半、名古屋市の民青地区委員長だった。その個人的な体験から見ても、宮本・不破の民青実態への無知からくる傲慢な一方的決定のごり押しと民青破壊の誤りは、日本共産党史上最大規模の冤罪粛清だと位置づけている。

 

 被査問者600人・被処分者100人は、全員が民青幹部内の共産党員だった。よって、この事件の性格は、()対民青クーデターであるとともに、()青年学生分野における党内クーデターという二重の犯罪となる。党中央側の共同正犯は、他に2人いる。600人査問・100人処分の実務統率者下司順吉と、思想検事役の上田耕一郎である。上田の犯罪的役割は、別ファイルに書いた。

 

    『新日和見主義「分派」事件』その性格と「赤旗」記事

    『上田耕一郎副委員長の多重人格性』新日和見主義分派事件での思想検事役

 

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 〔関連ファイル〕

   1、レーニンの連続クーデター 2、レーニン1917・10 3、レーニン1918、19

   4、レーニン1920、21 5、レーニン1922 6、『国家と革命』

 

   1、組織・体質 党財 志位和夫 不破哲三 宮本顕治

   2、民主主義的中央集権制 4、粛清・査問 5、逆説の90周年党史

   6、逆説の戦後党史 7、逆説の戦前党史