●過去のDiary
- 12月31日「ぼくの神様」
- ナチス時代のポーランドが舞台。ユダヤ人の子供ロメックは、知り合いの農夫にあずけられる。 そこの二人の息子ヴラデックとトロと、その仲間たちと過ごした日々が描かれている。
題名にある神様というのは、彼が、引き取られる時にキリスト教のお祈りを覚え、教会行くことを必死とされる状況からきているのだろうが、 それとは別に、弟のトロの存在のことなのだろう。
ポーランド人は迫害はされなかったとはいえ、ナチの統制下において理不尽な規制を受けていたようだ。 豚を買うことを禁止され、それが原因で射殺されてしまった老夫婦。そして、彼らの父親も。
小さいトロは何を感じていたのだろうか・・・。ある日、神父が教えたひとつのゲームをきっかけに、 トロは、神様になって大切な人たちを生き返し、戦争を止めさせようとした。
最初はからかっていたヴラデックだったが、トロの真剣さに幼い希望を少しでもかなえさせようと、ロメックと共に そのゲームに加担する。子供だからともいえる、真剣さと、残酷さが見える映画。
ナチ時代の暗さが根底にあり、当たり前のように繰り広げられる日常があまりに悲しく、 おもいのツボで涙してしまう^_^;。
ロメック役は、あのハーレイ・ジョエル・オスメントくん。これいつ撮影したのだろうか・・・もうだいぶ大人になっていると思うのだが。。。
何にしても、突然親と離され怯えながら生きてる。 たぶん、自分が追われるという実感がそんなにはなかったのだろう。ユダヤ人をいっぱい乗せて通る夜汽車をはじめてみて、 両親は迎えにはこないだろうと感じて、それまで1日にひとつずつおいていてた石を片付けるシーンは悲しい。
ロトくんも、かわいくて・・・。4つか5つぐらいの設定なのだろうか。 びっくりしたような目がとても印象的で・・、あの目にやられるよぉ〜〜。
ラストはほんとうに悲しいものだった。トロはユダヤ人の乗る汽車に自ら乗ってしまう。
父親の死が、隣のおじさんのせいだったことの復讐にその子供を殺した兄、その場に居合わせて、 おいはぎのふりをするロメックを彼はどう見ていたのだろうか。ロメックの行動は、 仕方がないものだと私たちの目にはうつり、それは涙を誘うのだが・・・
トロの無言の瞳は、彼らをそしてすべてに絶望しているようにみえた。- 12月30日「コスメティック」
- 化粧品会社のPR担当の沙美、雑誌に少しでも多く商品を載せてもらおうと必死になってがんばる姿と、 恋が描かれている。
化粧品業界の裏側とキャリア女性の生き様。これってものすごく女性の興味を惹くのじゃないかなぁ(笑)。
化粧品って興味をもってみると面白いもの。昨年あたりから、百貨店の化粧品売り場はおもしろいなぁ〜 と意味もなくうろうろして、その宣伝にひっかかっている私(笑)。
身近でありながら別世界の物語、でも、ストレートに面白い話だった。どこまでが作り物で、真実なのかは想像もつかないけれど、 リアルに響いてくる。
主人公とは、同年代で・・・この差は何?って(笑)おもっちゃうけど、あまりにも違う世界で、うらやましいというよりもびっくりしちゃいますね。 こーやって仕事している人もいるんだなぁ〜なんて。
人の功名心や、プライドをうまく利用しながら、人にあわせて付き合っていく。私がめんどくさいと思うような^_^;細かい人間関係を とても楽しそうに泳いでいる姿はちょっとまぶしい。
その沙美の前に現れる3人の男性の存在も、それぞれに、いい男性だけど、ずるい部分もリアルで、なんかありそな話で・・・妙にうなずいてしまう。
バイタリティー溢れる女性には、いろんなことがおこるものだなーんてヒトゴトじゃなくて、 なーんか自分も動いてみたくなったな。林真理子さんは、ずっと掲載されているananの連載が好きなのだが、その文とほぼ同じテンションで 書かれていて、読んでいて、思わず真理子さんの顔が浮かんできてしまう1冊でもありました。
- 12月17日「透明人間の蒸気」
- 野田秀樹さんの原作を演出を変えて、筧さん、小西さん主演の舞台でした。
野田さんの作品をみるのは何年ぶりでしょうか。。。15年ぐらい経っているような気がする^_^;。 忠臣蔵を題材にした舞台だったのだけど、これをきちんと理解している人はいるのだろうか???と 思いながら劇場を後にした記憶がある。特に野田さんの言ってることが早口すぎて聞き取れなくて(笑)。 それ以来、特に見たいと思うことなく来ました。今回は、知らずに見せていただいた・・んで、みているうちにこれはもしかして・・と(笑)。演出が違っても、 そうそう、違うイメージになるものではないのでしょう。
のっけから、前座がどうとかってハイテンションなのりで(笑)、なんだこれぇ〜って思う(笑)。
おっきな、日本国旗がでてきて。。それを風呂敷にして、20世紀中に消えてしまうようなものを21世紀にもっていくんだ・・とはじまった。 でも、めんくらいながらも、必死になってみている自分がいたのよ(笑)
とりあえず、ひとつのことを言うのにストレートではなく行ったりきたりしながらいうので、倍ぐらいしゃべっているのではないでしょうか。 シェークスピアの言葉遊びに似たところもあるなぁ〜なんて思ったりもして。
本筋は、ケラという盲目の少女と、詐欺師なんだけど、ひょんなことから透明人間にされちゃった男の恋物語?なんでしょう。
ケラは、透明人間になった神様(彼女はそう呼ぶ)を見ることが出来、闇の世界から開放される。 彼を元の姿にもどそうとするが、それは、また一人ぼっちになってしまう。その葛藤と戦いながらも、彼女は、一生懸命彼のために行動するんですよね。 詐欺師と呼ばれた男が、純な心に出会って・・というかんじかな。
しかし、話がまっすぐ進むことはなく、妙なおばけが出没したり、いつの間にか見世物小屋の芝居の中のことにされてしまっていたり・・・ 色んなキャラクターも出てきて、ごった煮状態、のお祭り騒ぎ(笑)。とにかく、大声でしゃべりまくり、ずっと動いて芝居して・・・この体力たるやものすごいなぁ〜と感心してしまうことしばしば。 ケラの小西さんは、以前に一度舞台をみていますが、なんか大胆さが気持がいいんですよねぇ・・。みかけは、 かわいらしいくてうさぎちゃんみたいなのに。。。。ちょっと声がかすれ気味だったのが気になりましたが また、違う舞台をみてみたいなと思いました。
筧さんは、普段のイメージとおりでコメント終了って感じ(笑)。あてがきされたのかと、思うぐらいはまってました。
びっくりしたのが、ケラが先生と呼んでいた人物。女性だとずっと思っていた・・・^_^;。 小西さんも大きいので、そんなに気にならなかったんですよねぇ・・大きさ。ハスキーでおもろいなぁ〜と思っていたのですが、 終盤に、ふとオペラグラス覗いてびっくり。男性だった・・^_^;。それも若い・・・^_^;。欲見ると完全にオコト^_^;どなたなんでしょ。 なんとなくですが、初演では、野田さんが演じていたのじゃないかな、というような役どころでしたね。悪い人じゃないだろうけど、どっか、 人を食ったような役(笑)。ドタバタとした舞台の何に、ちゃんと心に感じるものがあって・・なかなか楽しい舞台でした。
かなりの年月が経って、その間にいろんな舞台をみているってこともあるのでしょうが、 野田作品の私の中のイメージがよくなった気がする。先入観はいけません(笑)。- 12月13日「ギャング・オブ・ニューヨーク」
- ディカプリオ主演、撮影期間270日、制作費150億円、2時間48分の超大作です。
時代は1846年〜1863年。今のニューヨークからは想像も出来ない雰囲気。 アメリカは南北に分かれて戦争していて、アイルランドから移民が流れ込んできて、その移民を使って、 戦争をしようと徴兵制度を取り入れた。3食付きという触れ込みで、 たくさんの移民を徴収し、金持ちは300ドル払って徴兵を免れていた。
そのニューヨークの中でも貧しい下町、ファイブ・ポインツでは、アメリカ生まれの 住民がつくるネイティブズと、デッド・ラビッツと呼んでいるアイルランド移民たちの組織が縄張り争いをしていた。
1846年、デッド・ラビッツのリーダーのヴァロン神父がネイティブズのリーダービルに刺されネイティブズの 勝利にとなる。
16年後、ヴァロン神父の息子ヴァロンはビルへの復讐のためにニューヨークに戻り、 幼馴染みのつてを経て、アルステルダムと名乗りビルの懐に入り込み復讐の時を待つ。試写会でしたので、先に抽選会やら解説やらがあったんです。それを聞きながら睡魔におそわれまして・・・ 眠りコケはしないものの、朦朧とした意識の中で映画がはじまった。当然のことながら頭にはいらないっ。 一応ちらしに目はとおしていましたが・・・中盤までは物語の基盤を理解するのに必死でした。
日本でいうと、幕末ぐらいの時期になるのでしょうね。ラスト近くにデモを鎮静するために、 国がめったやたらに大砲をうちまくるのですが、それをみながら「白虎隊」を思い出してしまいました(笑)。 どこの国でも近代化されるまでには、血がいっぱい流されているのですね。
アカデミー賞の呼び声もあるらしいので、アメリカではウケたのでしょうが、DNAの違いがあるかもしれないなぁ〜。
話の軸はギャングの縄張り争いからくる復讐劇なんですが、父親が殺されるまで がかなり早くて、いきなりバーンと山場なんですよ。でも、まだ話についていっていなかったわけで・・・ ヴァロン神父を殺したギャングのボス、ビルも、ビルと呼ばれたり、ブッチャーと呼ばれたり、もうひとつ違う呼び名もあったようで・・・ これが仇なんだろうなと思いつつも、本当にこの人?とか考えてました。 ヴァロン神父とは敵は敵でもいいライバルだったのか、相手の男気にほれていたらしく、やけに思いいれ熱く語るわけです。 肖像画までかざってあってりして・・・(これも私の頭を混乱させるひとつの原因だったんですけど^^;)
それを聞きながらアルステルダムは、復讐をするのを辞めたのかな?なんて思う雰囲気もあったりするのですが、 途中一気に対立モードになって???でした(笑)。なんかうわべじゃない男気の部分で共感するものがあったような 気がしたんですけどねぇ・・・。
ラスト1時間ぐらいは、ビルvsヴァロン(アルステルダム)なんですが、それと同時に当時の政治情勢も絡んできて・・・ 最後ははっきり言ってぐちゃぐちゃ。ふたりともそんなところで殺し合いしてる場合じゃないでしょっって 雰囲気でなんか違う映画になってまして、あっけに取られている間に終わってしまったのが残念だった。しかし、そりゃ150億もかかるだろぉ〜ってな豪華な映画でしたよ。
あれだけの人がいて、ものを壊して(笑)・・・。最初の解説のとおりアップの映像からぐんと引いてその 全貌が映し出されるとものすごい迫力を感じました。
CGを使用せずということをえらい強調されてましたが、CGを使用するかどうかっていうのは みてる方にはあんまり関係ないような気がしますけどね。申し訳ないけど解説されていなきゃそんなこと 考えてみてませんし、本物に見えりゃどちらでもいいよな・・。
ディカプリオは、復讐に燃える力のある男。彼自体は、今までみた彼の映画の中では一番好きかも しれませんねぇ・・・。なかなか迫力あってよかったです。
ヴァロンと完全に敵対してからのビルは本当に嫌なやつで・・・。みていてむかつくから、ものすごく かっこよく倒してほしかったんですけどねぇ・・・^_^;。
復習劇の合間に芽生えた究極の愛(らしい)のお相手が、キャメロン・ディアス演じるジェニー。
女を武器にスリをする、つわものなんですが、ほんとうにキュートで色っぽくいい女だった。 当時のドレスがとってもよく似合っていて・・・ちらしにもなっているドレスはぴか一でした。
ちらしには許されない恋とでてましたが、別に許されない恋じゃない。確かにビルの女ではありましたが、 堂々と「しからないだろうね」と聞くヴァロンに「いいや」という顔するビルの姿がありましだから。
・・・と映画が長い分、突っ込みがいのある映画でもありましたが、 すごいものを見たという感覚は味わえたかな。- 12月9日「運命の女」
- リチャード・ギアとダイアンレイン、この素敵な二人の映画でこの題名、さぞやふたりのロマンスが・・・と思いきや、 ギアさま扮する夫エドワードを裏切って、風の強い日に出会った男性と不倫しちゃうダイアン、という図の映画でした。 運命の女って題の意味がわからないよ・・・。その青年にとっちゃ運命なんでしょうが。
素敵な旦那様と可愛い子供がいて、それでも、ふらぁ〜と素敵な青年に引かれちゃう。彼が素敵だったというのもあるけれど、 この年になっても、いいよってくる男がいるってことが新鮮であり、ドキドキしちゃったんでしょうか。
ほんと・・・素敵でしたよダイアン。セクシーで・・・セクシーさ満開の映画前半。冗談抜きで綺麗な裸体とおへそをと激しい情事をみながら それだけやでと、思いながら見てました。
ギアさまぁ〜〜(T_T)と、ちょいとかわいそうな役回りでしたね。 でも、とっても素敵な旦那様で、コニーのことはとっても愛しているんだよ。 これはもぉ。。。浮気するほうが悪い!いや、ダイアンもまた素敵なのが悪いのか・・・(笑)。
途中からは、ちょいとサスペンスたっちでドキドキしたけど・・・尻切れトンボかな。 結局、その青年はどういうつもりかよくわからなかったけど、ふたりはとっても大切に思っていて、決してずるくもなく。。。 ただ間が指して、間が悪かっただけ(みてないとわからないね)・・・という空気。いいひと過ぎて盛り上がりはなかった。
まあ、ちょっととぼけた味わいもみせてくれたギアさまの、妻を大事そうにみる目が優しくて・・・ それだけで私は満足だ。- 12月8日「アルジャーノに花束を」
- ダニエル・キース作のベストセラー小説です。
今ドラマになっていて、たまたま途中からみたんですが、主人公の変化に引き込まれて行き是非原作を読んでみたくなりました。 ドラマでは結末がもうすぐわかるので見終わってからの方がいいかなとも思いましたが待てなかった。
精神遅滞といわれる青年が、脳の手術によって天才ともいえる知能を手に入れる。しかし、 同時に失うものも多く孤独になっていく彼。彼にされた手術と同じ手術をしたというアルジャーノという実験用のマウスと 異変(知能の衰退)から自分の身にも同じ様な異変がおこることを悟り、現実にそのとおりになっていくという過程が、 彼の経過報告という形でつづられている。
話の内容には関係ないことだけど、この原作を翻役するのは大変だったのじゃないだろうか。日本語で書いてあるにも関わらず、 本のはじめの方の文章はかなり読みにくく、考えて読まなければ意味が通じなくなってしまうのだから。内容的には小学生の作文のような ものだというのに・・・。
知能の低い彼が一生懸命文字を覚えて書いた文章。それが手術を受けることによりどんどんと文章がしっかりしたものに なっていくのが、句読点の位置や、「は」と「わ」の使い方、漢字の使い方などでくっきり読み取れるのだから感心する。
彼、チャールズは、「ばかだったころの僕にはたくさんの友人がいた。かしこくなったらもっとたくさんの人に喜んでくれるとおもっていたが、 今は一人ぼっち」という。
読み書きができるようになって、いろんなことを 覚えられるようになったら、もっともっと人から好かれると単純に信じていた彼の純粋さが痛々しい。
何もかもが鮮明に分るようになり、同時に過去のことも思い出すチャールズは、 以前の自分がどのように見られていたかを実感し、人間不信気になり、そして、そのことも忘れて今度は 自分も同じ様に人のことを見下すようになる。そして、そのことにも自分で気付き、傷ついている。
頭がよすぎるのもほんと問題だよ(笑)。
ただね、いろんな風に彼は変っていくけれど、純な部分があるからこそ、変った自分に対して悩みもしていたのだろうなと思う。虐待されて育った子供時代など、読んでると うわぁ〜〜と本を閉じたくなるようなことも多い。母親の病的なまでの行動は彼に強迫観念のように「かしこくならなければ」と 植え付け、いろいろなメンタル的な面でキズを残している。かなりひどい話なんだけど、どこか責められない部分もあるような 気がする。
手術はかなり危険なもので、人体実験に近いものであることが最初から分っていたり、 確実にひどくて、悲しい話なんだけど、 最後の最後で、きっちり書かれていない悲しい結末を想像しつつも、チャーリーの性格に助けられ、 ぐんと落ち込んだ気分で本を閉じなくてもいいのは助かった。 結果として手術は失敗だったけど、彼は決してモルモットのまま終わらなかったし、 決して不幸せではなかっただろうなと思える(幸せだったといい切れはしないけど)。
私なんぞが言うことでもないけど、ダニエル・キースって人はすごいなぁ〜ドラマを先に見てしまったので、登場人物が時折頭の中で重なるコトもあったけど、 色合いは全然違うものになっていますね。ドラマはもっと綺麗な優しい色合いを感じる。
「しあわせ」になる状態なんてこと考え出したらキリがないけど・・・
人と人がつながるのは、ものすごく単純なことが必要なんだろうなと改めて感じた1冊でしたっ。- 11月27日「ロード・トゥ・パーディション」
- トム・ハンクス主演の映画、かなり前にやたらCMをやっていて絶対にみるぞぉ〜と思っていたのを思い出して見に行ってきました。
クラシカルでミステリアスなイメージを持ってみていましたが、息子を守ろうとする父親の愛情を感じる人間味のある ロードムービーでした。
育て親のルーニーの元、殺し屋として組織の仕事をするマイケル・サリヴァン。ある日長男がその仕事現場を見てしまった。 この事件がきっかけで、妻と次男を殺され、彼とその息子は殺し屋に狙われ、息子とふたり 妻の妹が住んでいるパーディションに向かうが。。。。
マイケルはルーニーに信頼されていて、彼の息子たちはまるで本当の孫のようにかわいがっていたはず。 なのに、殺しを見られ、その上、マイケルの妻子まで勝手に殺してしまった実の馬鹿息子コナーを殺すことはできず、 マイケルにどこかに別の土地に行って欲しいという(さすがに殺したくはなかったらしい)。
マイケルとルーニーの対決シーンは、複雑な思いが充満する。また、なんて顔で殺すの?殺されるのぉ〜〜(叫) 死を前にして「お前でよかった・・」そんな言葉がでるのに・・・お互いの絆は見えるのにコナーを 処分することはできひんのんやぁ〜。
なんだかなぁ〜と思うが、コナーの方を殺しちゃったらいいのにって思いにくい何かがある。 この何かはやはり「血」に対する人の潜在意識なんでしょうね。
ルーニーは別の土地に行けと金を渡す、 だけど、危険と分っていてもマイケルは息子を連れて復讐のため、戦うことを選ぶ。これが女性なら息子のために自分の気持ちを 押さえて生きていくような気がして男らしい愛し方なのかもしれないなと思った。まあ、 ギャングだからなんだろーけどねぇ〜。
台詞の中にもあったけど、似たもの親子。人に対してはぼくとつで不器用 その二人がぼそぼそと語る会話から信頼を感じて、このままふたりがどこかに落ち着いてくれたら・・・と 願わずにはいられなかった。ギャングの世界の話だから、人が殺されたり血は一杯なのだが、描写の仕方が綺麗だった。絵画的な 感じがして、人の死に顔もひとつの絵のようで生々しくなかったりする。 特に終盤以降は、緊迫し、熱くなってくるのに、体温低くて静かに時間が流れていって、 不思議な感覚だった。
ジェード・ローが 死人をばかりを写真に収めている殺し屋で登場する。1本キレたような役だったが 青すぎる目と、綺麗な顔立ちが妙に役にはまっていたなぁ〜。この方もだだんキワモノっぽくなってしまうのだうろうか・・・。 キワモノでもいいけど・・あの自然剃り込みは役作り?- 11月16日「モーツアルト」
- 運良くチケット手に入りまして、「モーツアルト」2度目です。
ヴォルフは同じく中川君。しかし、全然違う印象を受けました。存在の大きさが全然違う。前回の印象度としては、 父>姉>男爵夫人>大司教>アマデ>ヴォルフ>コンスタンツェといった感じだったのですが、今回はダントツに ヴォルフですっ!。
こんなに出番があったかしら(笑)って思ってみてましたもの。
ヴォルフのエネルギーをびんびんに感じることができました。見ている場所もよかったのですが、 それだけではないような・・・のってきたのかしら。 父親の死を聞いて動揺する姿にはびびってしまいましたし、苛立ちとかがストレートに入ってくるのでやけに辛かった。
音楽が耳に慣れて、出演者の雰囲気も体に入ってからみるとこうも違うのか・・・という前半部分^^;。
??だった部分の半分ぐらいはちゃんと説明されていました^^;。
アマデちゃんは違うアマデちゃんでした。表情豊かなアマデちゃんで、 前半は弟みたいじゃれてるんだもの。分身なんだなぁ〜と実感。生身の部分を切り取った感じがしました。
もっとストイックに才能の部分の芯というか塊の象徴のようなものに感じていましたから。これも演じる 人によって変ってくるものなのだなぁ〜と思うと、台詞もなく中盤以降はそんなに表情も変らないのに違ってみえるのが おもしろかった。1部ラストにインクが出なくなっていらだってくる様子は、かなり理性ぶっとんでて怖かった。前回も気になり、やっぱり気になっちゃったのは・・
男爵夫人が歌う歌はとても素敵なのですが、壇上でその歌を両手広げて熱唱するという シーン。なんであそこで歌っているのだろうかと思ってしまうのですが・・・。
舞台の天井が狭いからよいけに迫ってくるのかもしれませんが、下では父親に再度、 一人でウィーンに行きたいと懇願している情景があって、その様子ってかなり大切なような気がするですよねぇ・・ ナンネル姉ちゃんは必死になって頼んであげているし・・・。この辺りから絶望的に気持ちが歩みよれなくなっているのですから。
その情景を見てはいるのだけど、上では迫力で歌っていて気になっちゃって・・・気持がどっちにも 集中できずにばらばらになってしまったんですけど。。。 声にもう少し透明感があれば気にならないのかなぁ???ラストはやはり衝撃的だぁ〜〜。やめてぇ〜って心の中で叫んでしまう。そして死んだアマデちゃんが魂抜けたとたんに、人形に見えてきて不気味。
ヴォルフの感情に圧倒されて気持ち終わってまして、そのあとの大合唱はうわぁ〜〜っていう気持ちにはなれませんでした。
またあの高揚感に浸れるかなとちょっとそこんとこ期待していたんですけどねぇ(笑)。
でも、いっぱいいっぱい拍手したくなるような気持ちがで、何度か幕前にでてきてくれるヴォルフ&アマデコンビを 見てました。- 11月6日「モーツアルト」
- 話題のミュージカル「モーツアルト」見てきました。
他のことに頭いっぱいで、全然興味なかったんですが^^;、運良くチケットまわしていただいて・・・ほんと見てよかったと。 音楽家モーツアルトの壮大な大河ドラマでした。
天才と言われてたモーツアルト、当時の音楽家の地位が低いということが頭の中にないと戸惑う。私も、そんなこと忘れていましたから、 ちょっと??でしたね。赤に金のブレードの上着を着るのは貴族だけだと主張されても・・・。何のことかさっぱり。
舞台をみていると、宮廷音楽から庶民の生活の中に根付いたのはパリで、王政が崩れた頃からのようですから。 この舞台少しの前知識必要ですね^_^;。ふたりのモーツアルト、独りは実態としてのヴォルフガング、もうとひりは分身で神童のままのアマデ。舞台の上でアマデは、 あっちこっち寄り道をしようとするヴォルフガングを横目でみながらひたすら作曲活動にいそしんでいます。そして、 時には軌道修正しようとして・・・。
結局は、モーツアルトはこのアマデの存在を自分の中から決別というか才能へのプレッシャーから開放されなかったんだろなと感じた。 1幕ラストの歌は切なかった。
このアマデちゃんかわいかった。女の子?って思うぐらいかわいくて。ふたりの関係をちゃんと感じ取れるほど こちらに余裕がなかったのが残念。
この日のヴォルフガングは、中川くん。 しゃべり方は少しくせがあり好き嫌いがあるかなとも思いますが、歌はよかったかな。中盤以降のがんばりはすごかった。 欲を言えば、時の流れが感じられないのが気になったかな。ヴォルフが大人になりきれなかったからといえばそれまでですが。 関係ないけど彼の着ていたコート、いいなぁ〜(笑)。父と子の関係がこの話の中心になるのかな。ヴォルフガングが、アマデの存在を捨てられなかったのは、 この父親のせいかもしれません。今でいうステージママのようなもの?この時代はそれが普通だったのでしょうか。
ただ、父親が無視できるほどの才能ではなかったのでしょう。コロラド神父という存在もまた・・彼の音楽的才能には惚れ込んでいたようですから。 父親がどこかでありのままのヴォルフを認めたら、追い詰められることはなかったような気がしますよねぇ。
父親の市村さんは、こんなに真面目な演技しているのをみるのは久しぶりかも(笑)。でも、あの存在感は重石のように舞台にどっしり。 そして、ラスト近くはヴォルフに「レクイエム」を依頼する謎の人物。これを市村さんがしていたことがこの舞台の解釈ではやはり父親の存在 がヴォルフを追い詰めたという象徴的な部分なんでしょね。しかし、仮面と黒いマント姿はまるでファントム^^;。姉のナンネルは、高橋由美子ちゃん。かわいくて・・・この方のいじらしさに泣かされました。 弟のいろいろに一喜一憂して、父親と弟の間にはさまれていた人生。幸せじゃなかっただろうなぁ〜。
ヴォルフが死んだ後も、彼女が出てきたとたんにじわぁ〜って(笑)。「プリンスとプリンセス」少女らしい夢を語るナンバーが 印象的。歌に関しては、ちょっと弱いという印象。ドラマシティであれだと大きい舞台だときついんじゃないかなぁ〜。 独りで歌っている時は気にならないのですが、市村さんとの掛け合いの歌が多いのですが、声質が合わないようで 聞きにくかった。コンスタンツェはもっとヒロインしてるものだと思っていました。ヴォルフの妻なんですけど、どう解釈していいのか。 確かに愛し合っていて・・・求めているのは分るのですが、その周りにいる母親などの存在と彼女の立場がイマイチ?でした。
ほれていて、それでも、彼の心の中の一番にはなれなくて。。気の毒だった。けど、それで「夜毎、踊らずにはいられない。。。」と歌われてしまうと え??って(笑)。
大司教の山口さんは、出てきて話すともう別世界の人というか・・(笑)。声がものすごい。ひさしぶりに聞いたのでけっこ衝撃ありましたよ。 体内に反響板入れてるんじゃないかというぐらい響いていた。 歌いだすとまたこれが・・・迫力で。今回は、一人地位の高い役でえらそうに大声で歌っている姿がはまっていたなぁ〜と。
山口さんに限らず、市村さん、のんちゃん(久世)が出てきて台詞を言うと、舞台みてるんだぁ〜〜と実感して嬉しくなったりして(笑)。 こういう感覚は、「フットルース」の村井さんやビバさんにも感じましたが、やはり声の質が違うのでしょうかね。アマデちゃんがずっと持っている箱。男爵夫人が、父親に向かってこれはモーツアルトが最初から持っていたものというのですが、この箱、 その後ずっとアマデちゃんが持っていて、一度だけヴォルフと取り合いをするのですが、はっきりとこれは何かと主張することがなくて 謎でした。 「才能」という箱だったのかななーんて思ったりもして。
その男爵夫人も謎。ヴォルフを導いているのですが、彼女の背景が無なので、この人は実態があるのかないのか・・・ なんて疑ってしまいました。
男爵夫人はのんちゃん。いいところでてでくるんですよねぇ・・・そして、何も言わずに突然引っ込んでしまうの^_^;。 言うだけ言って・・・(笑)。唯一理解していた人ともとれるし、また、そういうふりをしていただけとも取れて・・・大司教にも通じているし・・・ わからん。
歌っていた歌が素敵でした。とても耳に残る優しい歌で、 のんちゃんの独特の柔らかい声と、歌があっていて高音はきつそうでしたが、あたたかい感じがしていいなと思いました。 わっかのドレス階段にひっかてまして・・たおやかに取っていた姿をみながら誰かを思い出す・・・(笑)大ヒットした「エリザベート」と同じウイーンミュージカル。
エリザベートほどモーツアルトという人物に魅力を感じられないというか、共感できにくいところで(モーツアルト氏の魅力は生き方ではなく音楽なんでしょうね) エリザほど物語に盛り上がりがなかったように思います。
いくら親の束縛から、時代の束縛から逃れたいといっていても、ふらふらと、姉の結婚資金まで浮かれて使い込んでしまう姿みちゃぅと 同情するのやめちゃうもの(笑)。
ただ、中盤以降の盛り上がり方はものすごくて、ラストはショッキング。アマデちゃんにそんなことぉ・・・(;_:)
終わったあとには大感動が残って体内でぶるぶるしちゃった。ずるいですねぇ(笑)全部この気持ちでみていた気分になっちゃうんですもの。 これは演出、音楽、構成にやられたという感じです。
時おり、トートが出てくるぞぉ〜なーんておもってしまう音楽があったりするのはご愛嬌なんでしょうねぇ。
日生劇場、ドラマシティ、帝劇と違う舞台の上でするこの公演、日本の舞台小屋事情の悪さなんでしょうかねぇ・・・ どんな作品にも見合った小屋の大きさがあるでしょうに。帝劇とドラマシティじゃ^^;。
舞台の広さだけではなく、天井の高さなどから広がる空間のうよなものがドラマシティじゃ感じられず、もったいないなと思いました。
舞台をみてから買ってしまったオリジナルのCD聞きながら、もう一度みたいなと思わずにはいられない舞台でした。 でも、1度では見切れない・・そういうといいけど、1度では理解できない舞台っていうのは どうなんでしょ???- 11月3日「幕末幻妖伝」
- SET、スーパー・エキセントリック・シアターの公演に行ってきました。
2回目です。前回は真面目にミュージカルしてることに感動して(笑)、ゲストの歌声に感動して、 その中で三宅さん小倉さんの二人がそのまんまでいることに喜んで 帰ってきました。
今回は・・・
幕末、高杉晋作、坂本竜馬、伊藤博文らが先に開国をした中国に外交なんかを学びに出かけるところから話は始まります。
その積荷の中には「殺生石」というのがあり、それをめぐって魔の一族と、謎の層ピータンとの争いに巻き込まれる一連。 殺生石の謎と、それにまつわる言い伝え。彼らの国をよくしていこうという心と、その石がめぐりあわせてくれる宝・・・ そんないろいろが(笑)、派手な殺陣とアクションによってつづられていました。
どう収集をつけるんだろかぁ〜と思ったよって近くのカップルが話していたけれど、ほんとこれどうなっちゃうの?というぐらい ぐちゃぐちゃなものを一瞬にしてまとめちゃったのはすごかった。
そして、最後には道徳的なもの今の時代と重なるもの・・・なーんてのもちゃんと感じられるようになっていて、 後味よく劇場を後にしました。殺陣はすごかった。京劇の方を招いてということでしたが、本場の方がどの方か紹介されるまでその 差はあまり感じなかったもの(こういう言い方も失礼かな?)。これがみれただけでも満足かもってぐらいです。
おふたりのテンポには笑いましたねぇ・・・、三宅さんは突っ込まれるのに弱いようで(笑)。
これは、少年隊のミュージカルをみていても思ったのですが、 ここまでするかぁ〜〜ってぐらいに続く部分があるんです。それがすごく観客に受け入れられていて、 それをみながらね、このぐらいくどいのがウケルのかぁ〜と思いましたね。 周りの観客の方がすごい笑うんですよ。ほんと、ここまで笑うのかと(笑)圧倒されました。体にはよさそうだぁ〜〜。
小倉さんがバクテンできなくなるまでは、公演を続けるそうなんで。。また機会があればお目にかかりたいもんです。