6月7日「アイ・アム・サム」
知的障害をもつサムは、ルーシーと二人暮し。ルーシーの母親は生まれたわが子をサムに渡したまま消えてしまった・・・
途方にくれるも、隣人のアニーの助けによってなんとかくらしていた。
ルーシーは、サムとサムの友人に愛され愛らしく育っていたが、成長と共に、サムの知能年齢を追い越そうとしていた。
その7歳の誕生日、福祉局からサムにこれ以上教育は出来ないと勝手に判断し、
ルーシーを施設に預けようとする。
そこで、サムは、弁護士のところに駆け込むが。。。
昨年、公開された映画で最も泣けると誰かがいっていたが・・・悲しい話ではなかった。
人の思いが溢れていて、なんだかいいなぁ〜〜と思う涙だね。
ルーシーが愛らしくて・・夜中、起きだして父親のもとをたずねちゃう姿はほほえましいというか・・・。
パジャマ姿でトコトコ。彼女の強い意志は、何者にも負けなかった。
サムを演じるショーン・ペンもとっても優しい目だったなぁ〜。
子供を育てるにあたって、勉強は教えられなくても大切なことは教えられると言い切った。根拠はなかったのだろうが、
本能がそういわせたのだろう。
なによりも、裏表のないストレートさが胸を打つ。そして、一生懸命さの勝利。
この親子に絡んでくるエリート弁護士は、ミッシェル・ファイファー
行きがかり上無償でサムの事件に首を突っ込んだ弁護士リタで、
最初は、戸惑いが大きくてどうしようもないっと言った顔がみえた。
彼女の家庭とサムの家庭、全く正反対の家庭が、幸せの定義を考えさせてくれる。
何が幸せか・・・そのはかりはひとつじゃないというのだな。
アメリカの社会。子供の親権に対する福祉局の強引さにびっくりする。
日本でも虐待が取りざたされるようになったがここまで、ずかずかと人の家に入ってはいかないだろうなと思う。
それで、助けられる子供もいれば、サムん家のようなケースもあり、難しい判断なのだろうな。
ただ、生まれた赤子をかかえてあたふたしているとき、何も手助けしないで
子供が自分のことをできるようになってから何をいまさらとそこが不思議だったりした。
たまたま隣人にいい人がいたから育ったけど・・・ねぇ(笑)。
5月22日「美肌」
山咲千里さんのエッセイ。
まあ、すごい題名だと思うよ、んでもって彼女のドアップの写真が表紙ときたもんだ。
確かに綺麗・・・。その綺麗さに惹かれたわけじゃないけど、月の満ち欠けと女性の体調なんぞを触れていたので、興味をもった。
月といっても女性のものではなく、空にある月・・・。
そーいや、月をあんまり見たことないなぁと、改めて思う。星はわりと綺麗だなと思ってみているんですけどね。
本を読んでから見てみたけど、欠けている途中なのか満月に近づいている途中なのか分からなかった(笑)。
美肌という題名から想像できるように、スキンケアのお話が中心。
自分の体を見つめてほしがっているものを与える・・・・。すごく根本的なことなんだけど、
言われてみると、なかなかそんな余裕をもって生活していないし、何を欲しがってるのか、何すればいいのかわからないぞ。
自然の流れに逆らわずに生活できたらどんなにいいだろうかと思う。
その流れさえ気がついていないから。
感心してしまうほどいろいろなことを知っているというか考えていると思うんですよね。
綺麗な人は、それなりに気をつけて生活してるもんです。
「無意識の意識」って呼んでらっしゃったけど、ちょっとを当たり前のように
考えていられたら、積み重なるんでしょうしね。
まねっこできるものならしたいこともあるけど・・・生活スタイル違いすぎるなぁ〜。
とりあえずは「はよ寝な」ってことかしらん(笑)。
多分、私にとって美肌への一番の近道はこれのような気がするよ。夜中は、
体を動かす時間じゃないってことだからな。簡単そうで一番難しい。。。。(ーー;)
最近、人の生活に興味あって、こういうエッセイを読むことが多い。
ホラー小説ばっかりのときもあるのに不思議なもんだ。
いろいろ読んで、
頭のすみっこにおいといて、たまには引出してこよっ。
5月12日「めぐりあう時間たち」
1923年のロンドン郊外、作家ヴァージニア・ウルフは「ダロウェイ婦人」を執筆してる。
彼女どうやら、少し精神的に病んでいるらしく情緒不安定のようにみえる。
1981年ロサンジェルス、主婦のローラ・ブラウンは夫の誕生日に息子とケーキをつくりはじめる。
とても、優しい夫とかわいい息子、そしてお腹の中には子供がいて・・・一見幸福そうだが、
彼女の表情はとても微妙。
2001年ニューヨーク、編集者クラリッサ・ヴィーンはエイズにかかている友人の作家の受賞パーティの準備で忙しい。
友人との関係はとても複雑で、死を前にして恐れる友人をみながら、彼女も疲れていた。
3つの時代と3人の女性。朝起きてからの1日の様子が描かれる。
アカデミー賞にいくつもノミネートされた作品で、主演女優賞をニコール・キッドマンが受賞している。
ニコール・キッドマンは今までのイメージを払拭というか、これ本当に彼女?って演技で
(顔も違って見えたとおもったら特殊メイクだったらしい)びっくり。この人、トムクルーズと離婚してからの仕事って
えらくそれまでと違うよなぁ〜〜昔から好きだったけど、単に綺麗な人で出てる映画は面白くなかったもの。
タバコを吸いながら一人で執筆する姿はかなり危なっかしくて
異常にうつる。抑圧されたものが今にも爆発しそうだった。
主婦のローラは、ジュリアン・ムーア。幸せなはずなのに幸せではない自分に押しつぶされそうになっていて、
見ていてつらくなる。子供に笑顔が痛々しい。作っていたケーキの色合いがなんともいえない色してて^_^
それだけで大丈夫か?と思うよ(ケーキを緑色のクリームでトッピングしないだろうと思うが、向こうでは
普通なのか?)。
クラリッサのメリル・ストリープは、松坂慶子さんとどこかにてるなぁ〜と思いながらみていた(笑)。
この人の喜怒哀楽が一番分かりやすくて楽だった。もちろん、一番かわいそうな境遇なんだろうけど。
感情の幅がはっきりしていたからかな。
どの人も行き詰まるような空気の中にいて、見いてる方も行き詰まる。
誰がどこで死をえらんでも不思議じゃない描写なんですもの。
流れる曲もそれを増徴するようで・・・。
見ていると、ヴァージニアの台詞と他のふたりの生活が重なってきて、
3つの物語の接点がどこかも気になってくる。
おもしろいと一言ではいえないけれど、妙な魅力のある映画で、引込まれた。
どの人の感情も別に特別じゃなく、いつの時代にもある感情で、少しのことがきっかけで、
人生変わっちゃうんだなぁ〜と思う。しかし、作家の「殺すのはやめた」の一言で
違うひとが死んじゃうって設定もすごいけどね。
時代、時代の家の様子や、小物、衣裳なんかもみていて面白い。日本の話ではないので、
きちんと理解できていないだろうと思うが。
ただ、気持ちの落ち込んでるときなんぞに見ると、この世界に引きずり込まれて、
あぶないから、お勧めしません。
5月11日「春爛漫」
森光子さんとヒガシの共演で話題になった作品の再演です。
知らずに行ったら千秋楽で・・・・椅子の上には、千秋楽の挨拶と共にコールの時に立ってもいいのか(スタンディングね)と
いう問合せがありましたが、出演者が喜びますのでどーぞと書かれた紙があった。
これって・・・あおってるよなぁ〜と(笑)。
フェスティバルホールで、みる芝居にしてはかなり違和感があり^_^;。
舞台の内容のせいかもしれないけど商業演劇と大衆演劇
の境目を行ったりきたりした雰囲気で、さくら?と思われる男性の掛け声や、
(フェスの2階の後から叫んでとおってるのだから、かなり年季が入っているとみた)。
もしも、一番前でみていたら、きっとこの人ヒガシに抱きつくんじゃないかというようなおばさま・・・。
宝塚ファンの熱狂的なのとはまた違った雰囲気で・・・私がみたことのある帝劇芝居ともまた違った雰囲気で、
かなり・・・・ヒイタ(笑)。
舞台の上で繰り広げられるものは、気楽に観れるお芝居で、森さんは元気だし(うわさのでんぐり返りもみちゃった・・
しかし、あそこでする意味はナイな^_^;。すごい拍手だったけど)
上手いし、ヒガシの足は長いし・・・こういうのもアリかなと。
かなりドタバタ系で、テンポよく進んでいくし・・・それなりに楽しいものだった。
しかしなぁ・・・前日にみた「サラ」と時代的にはかぶる部分があるはずなんだが、この差はなんだろぉ〜と。
そして、海外ミュージカルなんぞで受けるのは悲劇的な重い作品が多いにも関わらず、
日本人が作る作品は笑わせるテンポのものが多くて・・・けっこベタな表現だったりするのはなんなんだろぉ・・・^_^;。
レトロ感たっぷりの舞台に、沸く客席をみながら、日本の舞台はやはり役者ありきなんだなぁ〜と
舞台上のことよりもイロイロ考えちゃいました。
5月10日「サラ」
女優サラ・ベルナール。椿姫やハムレットなどを演じて一世を風靡したという。
事故で右足を失って、彼女は77歳になっていてた。
自分の生きてきた意味を残そうと、ピトゥという執事の手を借りて、今までの半生を伝記しようと
している。
麻実れい、金田龍之介の二人芝居です。
サラ・ベルナールという人を知るわけではないのですが、昔の女優の
さぞかし、波乱万丈の人生模様が繰り広げられるのかと思っていったのですが、
ある昼下がりから夜明けまでの時間、サラとその執事ピトゥとのふたりの日常が淡々と
映し出されるものでした。
死を覚悟して不自由になった体に苛立ち、癇癪さえ起こすサラの姿と、
ふりまわされ、雇用契約とは違うと文句をいいつつも、
一生懸命働き、そしてどこかぼけてる(というかこの執事さんもお年なんですよねぇ・・)
ピトゥとのやりとりがくすっと笑えます。
そして、昔のことを思い出すのにサラはピトゥに、サラにかかわった人たちを演じろといいます。
いつもぐちっていた母親、男娼の作家etc。
サラも当時の口調にもどり・・・ふたりで回想していたかと思うと、急に
素に戻るので、見ている方も多少の切り替えと想像力が必要かもしれないなぁ〜と思いながらみてました。
でも、慣れるとすごくそれが自然で、なんだかじゃれているふたりをみている気持ちになりました。
そして、最後までみてみると、
順追って、説明されるわけではなく、サラが気まぐれのように、バラバラに
思い出される断片だけで、彼女の生き様がくっきり見えていたのにはびっくり。
同様に一緒に生きてきたピトゥの今までも想像できちゃうからすごいです。
演じている麻実さん、金田さんもその役そのもので演じてらっしゃるということを
忘れそうになるぐらい。コールの時もそのままの二人で・・。
ラストは、もう一度若い脚本家の作品を演じてみたいというような生きる活力を持ち直した感じで終わるのですが、
コールの時に、ピトゥに付き添われながらも、女優そのものの風情で挨拶をするサラをみていたら、
この後、サラはもう一度舞台に立って、こんな感じに観客から拍手を受けたのだろうなと
、妙な感動がありました。
4月12日「コンタクト」
劇団四季のミュージカルを久しぶりに見てきた。
3つの作品からなるオムニバス形式の舞台。筋もあるし台詞も多少あるけど・・・新しいミュージカルというか・・・
宝塚でいったらショーの中の一場面のようだった。
PART1は「退屈な貴族たちの戯れ」。18世紀のヨーロッパが舞台。
ワインを片手にブランコ遊びしている。
ブランコにのる淑女、それを相手する男性。
ブランコを後ろから押す使えているらしき男性と、舞台3人。
ブランコを使ったアクロバット的なダンスがすごい。力技だわ。
ちょっと危ない三角関係?と思いきや
ラストまでみると・・・あらぁ〜〜って感じ(笑)。大人の遊戯でございました。
PART2は「抑圧された妻の夢」。ニューヨークのイタリアレストランが舞台。
支配力の強い夫が、ビュッフェに食事をとりに行く間の妻の空想がダンスになります。
まあ、すごい独占欲というか・・・おっそろしい旦那さんで。その前で
おとなしくしている妻・・・その夢の世界は、おなじよう境遇の方の夢じゃないかしら。
このシーンの音楽が私はすごく好きでした。まあ、この舞台をみに行こうとおったのも、
JRの駅で流れていた宣伝用のTVでこれが「アルルの女」の曲が流れていたからなんですけど・・・^_^;。
そして、夢の中ではえらい惨事になっちゃうんですが、これが夢じゃなかったら気持いいかも・・と
思ってしまいました。
PART3は、エリート重役の孤独。ニューヨークを舞台に、エリート広告マンの孤独から生まれた夢ですねぇ
世間では成功を収めている広告マンが人知れず精神科医にかかり孤独感を満喫する。
広い素敵な部屋と、なり続ける留守番電話の対比がいい。
その彼がふらっと訪れたダンスクラブ・・・そこで、黄色いドレスを着た女性に出会ってしまう・・。
この黄色い女性の存在の描き方がすごかったなァ〜〜。そのクラブの女王様なんだわさっ。
登場時には後ろから後光さしてましたもん(笑)。
ここのダンスシーンは圧巻でしたねぇ・・・PART2がわりとクラッシック系なダンスだったのに
こちらは、スイング。こちらの雰囲気の方が出演者の方々はのびのびとしていたような気がする。
観ていて気持がよかった。
黄色い女性は背筋をいつも伸ばして踊る姿が、他の方と違って見えて透明感があった。
そういう指定なのか・・・彼女の持ち味なのか・・・?
ピタっとしたドレスのなかで、横隔膜が激しく動いていたなぁ〜〜。きっちりとしたステップが
小気味良かった。
エリートは下村さん。相変わらず存在感のある・・・自分を見失った男性を
少し滑稽に演じてらした。この役をやる人によって、作品の雰囲気がかわりそう。
全体的にまとりまりのある舞台で、大人な作品だなぁ〜と思う。それだけに、
好き嫌いは別れるかな。私は、楽しめたけど・・もう少しここがクライマックスだぁ〜
というような盛り上がりがほしいような気がした。
ただ、ダンスみてるだけで満足ではありますけどね。
4月2日「PENGUINZA」
ザ・コンボイショウV22、今村ねずみさんと9人の女性たちの「PENGUINZA」の再演です。
飛べない鳥ペンギン、だけど大昔は空を飛べたという・・・
では、何故に今は?
飛べないのか?飛ばないのか?飛びたくないのか?飛びたいのか?・・・
そして、どこでどう戦うのか・・・
水族館の中にいるペンギンたちの世界と芝居を作る上で悩む団員たち。
その二つの設定が交錯して・・現代女性の迷いを映し出す・・。
これは、彼女らが作る芝居に中でペンギンを演じているのか・・・゜ペンギンたちの夢なのか・・微妙な香りがする。
ねずみさんの演出の香りとパターンをそのままにしながら、それでも、オリジナルメンバーの時よりは、しつこさが(ちょいと言葉悪いですが、やりすぎるぐらいのところが。。って部分ね)多少消えていて、
一般的に観やすい舞台になっていたんじゃないかな。
そして、彼はいろいろな役に化けて出演してきて笑わせてくれる(笑)。
芝居部分では、ペンギンそのもののかっこうになり、くちばしつけて、足ひれつけて動く姿がかわいいの。
このまま何かのCMできそうだな。
おそろしく現実的な内容を、楽しく幻想的に見せる手腕はすごいと思った。
ショー部分は白鳥の湖などのクラッシックな楽曲をベースにいろいろな
ジャンルのダンスを見せてくれる。たぶんそれぞれの得意とする分野があって、それをふんだんに見せようとしているんだろなと推測。
それも、そのまんまじゃなくて・・笑い充分なのだ。
シンクロナイズドスイミングバージョンはかなり笑えた。どれもショーアップされて飽きることなく続いて
たのしませてもらい、拍手一杯して気持よいショーでしたっ。2時間半ぶっちぎりでパワフルだったなぁ〜〜
3月23日「TOY STORY」
ディズニー映画です。「Me&My Girl」のジャケット姿のビルを見て、「ヴッディ」っと思わず口に出てしまった私。
それで、パート2を見た時にパート
1も観たいって思っていたのに、忘れていたのを思い出したの(笑)
それで、レンタルしてきたら、唐沢さんが日本語の声やってらして・・・ちょっとうけちゃいました(^o^)丿。
アンディ君が所有するおもちゃたち。人間がいないところでは動くんですよねぇ・・。
そのウッディと仲間のおもちゃたちは、アンディがクリスマスやら誕生日に新しいおもちゃをもらうたびに、
自分が変りに捨てられるんじゃないかなとびくびくしてる。
その年の誕生日会にやってきたのがバズという、宇宙戦士?の人形。
アンディはそのバズがお気に入りになり、今まで一番のお気に入りだったウッディは面白くない。
それで、ちょっと拗ねて意地悪するんだけど・・・。それがもとでウッディとバズの冒険?が始まる。
人形なのに、表情豊かで、
人間の社会そのままがそこにある。
その風貌と言ってる現実的な言葉とがみょうにちぐはぐして面白い。
観ているうちに、彼らがおもちゃだってこと完全に忘れていますしね(笑)。
真剣にハラハラしてドキドキして一生懸命応援してました。バズが自分がおもちゃだって悟っちゃうところでは、
本当にかわいそぉ〜〜って。
こういっぱい頭使わずに、観ていられるものっていいですねぇ・・・。
キャラクターが生き生きしているのと、
単純だけど、優しさが溢れているのも人気の秘密かな。
3月11日「ぼくんち」
観月ありさちゃん主演って聞いてみたんですが。。。これは一太と二太、二人のたくましぃ〜〜子供と、
素朴なというかさびれた、時間の止まったような(笑)島のお話ですっ。
一太と二太の母親が・・・ちょっと買い物と行って出たきり、
半年ぶりに帰ってきたところからはじまるんですけどね、その時
その時母ちゃんは、姉ちゃんつれて帰ってくるわけ。
その母ちゃんはまたすぐにいなくなり、姉ちゃんと3人の生活が始まる。
まあ、いろいろワケありの家族のご様子なんですが。。。
その生活にすぐに馴染んで優しい姉に甘える二太と、なかなか素直になれずに、
拗ねて、自活の道に走る兄一太の描写がよかった。
子供たちのすれた会話が、笑えるよぉ〜〜。時折入る
二太のナレーションがツボです。「ぼくんち」っていうイントネーションがサイコ!!
しかし、変なキャラクター一杯。
何でも屋のにいちゃんに、まずいけどそこしかないから流行っている食堂、
猫のように20人も子供を産んでは捨ててきた猫ばあ。鉄のかたまりをいつも触ってる
鉄じいに子供と一緒に内職して暮らしてるやもめ男、刑務所帰りのにいちゃんに、
ピンクサロンの呼び込みの兄ちゃん。
よくぞここまで・・・と拍手送りたい(笑)。
漫画が原作だけあって、こんな島はいまどきないでしょぉ〜って設定なのですが、
でも、もしかしたらあるかもなぁ〜〜と思えちゃうところがすごいかも。まだ日本が貧しかった時代には
よく似た光景もあっただろうからかDNAが呼ぶ気がする。
いろんなヘンさが味があり、関西弁とマッチしてました。
ただ、もう少し短くまとめてほしかったかな。この手の映画で
2時間あるとだれます。
「幸せはあったかいごはんの中にある」二太の言葉ですが、
なんか、究極の言葉のような気がする。忘れないでいると・・幸せでいられそうだな。
3月10日「戦場のピアニスト」
第2次世界大戦中のワルシャワ。ここに住むユダヤ人は、市内のゲットーと呼ばれるユダヤ人居住区に移り住むことを強制された。
主人公、シュピルマンも家族と共に、移り住む。僅かな所持金と、荷物、狭い部屋での不自由な生活だったが、
そのうちに、収容所への移動となる。シュピルマンはひとり、そこから逃れ、ゲットーでの強制労働から逃れ、
ひとり、隠れ、逃げる生活がはじまる。
戦争を題材にした映画も多いし、特にユダヤ人迫害に関するものも少なくない。いつもみ初めに思うのは、
みなけりゃよかったかな・・・と。なんというか・・・知らないでいるのもいけないコトだけど、
こんな風に傍観しちゃっていいものなのかと思うわけで・・・^_^;。
一般の市民が、ひとつの条例のもとに、いろいろな自由を拘束されていく、じわじわと生活範囲がせばめられ、
先のみえない不安に怯える家族の様子をみているとたまならい。
主人公は、生きるためにひとり逃げる。後半は、ほとんど台詞もなく、ただ、ひたすらじっと耐える様子が描かれる。
何を考えて、何を感じているのかは、彼の表情が語るのみ。だんだんと、捕まることへの
恐怖よりも、飢えとの戦いになっていく。
がれきの中をひとり、もくもくと食料を探して歩く姿。彼がピアニストであったということも
忘れてくる。それだけに、クライマックスの演奏はものすごい効果的に映る。彼の精神がピアニストにもどる瞬間。
写しだされる年号を見ながら、
4、5年の話なのだなぁ〜なんて考えていた。たったというのか、4年間もというのか・・・。逃げ続けていた人たちには
長い年月、でも、殺された人の数を見ると・・(ーー;)。
シュピルマンが一人になってからは、悲惨だとか、かわいそうだとか、感情移入できずに観ていた。
私の感情の許容範囲を超えていたのかもしれない。
ただ、シュピルマンがドイツ軍兵士に
親切にしてもらうところで、初めて涙がでた。不思議な涙だった。
この映画は実話をもとにされたものだという。これだけ過酷な生活をしていて、88歳まで生きたという彼。
ピアニストだったから、生きてこられたわけでもない(ピアニストだったからの人脈は効果的だったようだが)、
やはり運なか・・・。
無造作に意味なく射殺される人々・・・まびくように人を選ぶ基準はないのだから。
3月9日「体は全部知っている」
吉本ばななさんの短編集です。
たわいのない毎日は、確実に過去があっての出来事、普段忘れていることも、しっかりと覚えていることも、
すべて体は覚えている・・・本を読み終えて、この題名につけられた思いをそういう風に捕らえたのだけど・・・
とても、優しい心を感じる話ばかり。楽しい物語ではなく、どちらかというと、
友人の病気だったり、両親の離婚の時の話。。。はたまた、主人公が疲れ切ったOLさんだったりもするのですが、
とてもあったかい気持が残るのです。
そして、なんだかゆったりした気持を思い出して、ふふって顔がほころんでくる。
キーって(笑)イライラしている時に読んだらいいかなぁ〜なんて(笑)。